21

「面倒が好きなのは構わねえが、俺はそうじゃねえからな」

 アニキさんが揶揄混じりの調子で言う。ベルモットさんは僅かに眉を跳ねさせたが、言葉を返すことなくバーボンさんを顎で呼ぶようにした。

「追加の任務があるわ、出て」

 それに小さく頷き、バーボンさんは私を抱えて車を降りた。ゆらりと視界が揺れる。

「今晩中に仕掛けることはしないそうよ。ご苦労さま」

 会場で別れたときのまま色を損なうことなく艷やかな唇で弧を描き、アニキさんとウォッカさんにそう告げると、ベルモットさんはバタンと車のドアを閉め、バーボンさんの腕を抱いて手を振った。どことなく挑発的な声色と仕草だ。もしかしたら横目で見る程度はしていたのかもしれないけれども、アニキさんは何かを言おうとする素振りもなく、一切姿勢を変えずにいた。すぐに車は発進して、姿が見えなくなってしまった。

 ヘッドライトやテールランプの明かり、エンジン音がなくなり、周囲は一気に暗さと静けさを増した。
 それでもブラックアウトしてあの白文字が浮き上がることはない。ホッとして息を漏らしたリアルの自分の息が微かに聞こえた。
 まるで息とともに力まで抜けたかのように、視界がずり下がる。しかし動いたのは私のアバターではなかった。

「――何を?」
「……ギムレット、だったと思います。酒の方は」
「それはあなたに向けたものだったのかしら」

 さあ、と曖昧に答えたバーボンさんは、私をそっと地面におろし、不自然になっていた姿勢を整えた。そう、まるで抱き疲れたとでもいうように、私を抱く力が緩んだのである。
 NPCがただ立って決められた行動をするのに疲労が湧くはずがない。特定の条件下で、特定のアクションをする様が、作り手によって疲労と定義されていたり、プレイヤーにそういう動作として受け取れるようにしているだけのことなのである。明らかな挙動からして、今バーボンさんが私を取り落としかけたのには、何らかの意味があるに違いない。
 ベルモットさんはほんのりと表情を崩していた。片腕はバーボンさんの腕に巻き付けたまま、やや正面へと立ち位置を変え、バーボンさんの顔をじっと見上げる。
 ――バーボンさんのその顔色は、少し悪い、ように思う。あたりが暗く建物の影も落ちているのと、失礼ながらもともと色黒であるのとで分かりづらいので、あんまり自信は持てないけども。

「手配は要る?」
「いえ、幸い少量でしたので問題ありません」
「この子は」
「連れて帰ります。あなたは予定どおりに。任務というのは?」
「帰ってもらうための断りよ」
「……痛み入ります」

 ふっと息を吐き、腕を解いて、ベルモットさんはカツリカツリとヒールの音を立てて数歩離れ、これまでのように艷やかというよりも、どこかあっさりとした笑みを浮かべた。

「足はいくらでもあるわ。次は帰りもしっかりエスコートしてちょうだいね」
「ええ……すみません」

 頭を下げるバーボンさんの、声にはやはり覇気が足りない。

「べるもっと」
「やんちゃは控えてあげなさい。彼がまたガミガミとうるさくなるまでね」
「ありがとう」

 ふふ、と笑いで返された。
 長い金髪が風に靡き波打ちながら、宵闇に消えていく。
 バーボンさんは、それがすっかり見えなくなって幾分あとに通りがかった車を目にして手を上げた。特に行灯もスーパーサインもないのに、車はバーボンさんに吸い寄せられるように近づいてきてそばに停まり、バーボンさんは当たり前のように後部座席へ乗り込み私の手を引いた。
 友人や知り合いで拾ってくれたのかと思ったのだけれど、運転手はバーボンさんと一切何の会話をすることもなく、私に声をかけることもなく、マンションそばに着いて私とバーボンさんが降りると即座に発車していなくなってしまった。特段個別に性格等の設定がつけられていないモブだったのか。ずっと前を向きっぱなしで、ミラーにもうまく映らず、覗き込んでも暗くてうまく見えなかったので顔もあるかどうか怪しい。ホテルのお兄さん以下である。眼鏡をかけているっぽい様子ではあったけども。

 マンションのエントランスから部屋まで、バーボンさんはほぼ無言で私の手を引いた。その足はせかせかと早足で、心なしか手首を握る力は弱い。
 バーボンさんは部屋に入って施錠を終えるとパッと手を離し、私に「おとなしくしていて」と言うと足早にトイレへ向かい、なかなか長い間籠もっていた。そして、出てきたかと思えば、洗面所で水音を立てたあと、すぐに寝支度をはじめて、私を引っ張り布団へと潜り込んだ。
 声や顔の色、ベルモットさんの会話とで、まさかとは思っていたけれども。

「ばーぼん……」
「すみません、また明日……明日なら、聞きますから……」

 眉を寄せ、瞼を閉じたまま、息に乗せて力なく言うそれは、まるでうわ言のようだ。

「いたい」
「……」

 しばらく静かに呼吸をして、バーボンさんはギュッと私の体を抱いた。

「…………すこし。すこし、痛い……というよりも、苦しい……」
「くるしい=v
「息をするのがね、少し、つらくて……いや、いい、そんなこと、覚えなくても……明日には、治るから……」

 緩慢な動きで私の頭と肩を撫でる。その動きに合わせて、かさりと布団が音を立てた。

「――あなたは、しっていたんですか」

 それを最後に、バーボンさんは言葉を紡ぐのをやめた。慌てて口元に当てた手には、生暖かい湿気を帯びた空気がふわりとぶつかった。ちゃんと息はしているようだ。
 フェードアウトもただのゲージ減少による活動限界で訪れたもののようで、少し待てばまた瞼が開き明るい視界が戻った。
 けっこうだいぶドキドキしてしまった。なんだか黒地白文字恐怖症になってきてる気がする。


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