S-1

 消音器付きの銃を構えようとして柵の崩れた階段から落ちかけた、銀髪の男の服を掴む。
 その直後、背後から聞こえる二人分の足音と、「待ってください!」という焦った蘭の声。
 ――バーロー、なんで来たんだ!
 そう怒鳴ろうとして肩越しに見やると、数段下でオレに背を向け腕を広げた蘭に、更に下の踊り場で銃口を向ける男の姿があった。

 鋭い眼光、厳しい顔つき、サマータイム真っ最中だというのに真っ黒なロングコートとニット帽を被った男の姿は異常だ。
 長い黒髪を雨に濡らしているそいつはおそらく日本人で、今袖を引っ張り上げているおっさんよりも前に出会っていたなら、確実に例の通り魔だと思っていただろう。
 しかしこうして二人を同時に見れば、若い女を狙った通り魔という犯行は、おっさんのほうがしっくりくる風貌をしている。

 男の銃口は、正確にはオレの腕の先へ向いている。つまり彼は、仲間割れをしている同類か、“通り魔を追う何者か”だ。

「おっさん、早く上がれ!」

 オレの声に、おっさんが銃を口にくわえてから柵を掴み、ひらりと飛んでそばの踊り場に着地した。手負いの癖にかなり身軽だ。
 ニット帽の男は、軽やかなそれを確実に追って腕を動かし、オレの後ろに立つおっさんの鼻先へと照準を合わせる。
 蘭は両者の動きに戸惑った様子で、視線をうろつかせると、男とオレの間の壁際に背をつけるよう、道を開ける形で後ずさった。

「あんた何者だ?」
「……下にキャブを呼んでいる。彼女を連れて早く帰れ」

 モスグリーンの瞳を、アイアンサイトの先から一ミリも離すことなく男が言う。
 少し体を斜めにして視界の端でおっさんの様子を伺うと、くわえた銃はそのままに、血の滲む脇腹を左手で抑えて息を乱している。

「俺達が去ったあと、あんたがこのおっさんを殺さないとも限らねーだろ」
「そいつは殺人犯だ」
「関係ねーよ」
「助けてやる義理もないだろう」
「だから何だってーんだ。人が人を助けるのに、論理的な思考は存在しねーだろ」
「……」
「それをやめろっていうなら、納得するだけの充分な説明をしろよ。ここで引くのが人殺しの手伝いにはならないってことを」
「……」
「なんでこのおっさんを追ってる? どうするつもりなんだ?」

 男がため息をつく。

「正義感が強いのも、好奇心旺盛なのも結構だが……」

 そして不意に素早く銃口をずらし、躊躇なく引き金を引いた。
 発砲音、足元を転がり落ちていく消音器つきの拳銃と、おっさんのうめき声。それらがほぼ同時に過ぎ、一拍後に、蘭の体がよろけて倒れかけ、慌てて駆け寄って支えた。

「――それで可愛い彼女を亡くしても、俺に喚き散らしてくれるなよ。相手も慰めもできない。お前のママじゃないんでな」

 腕の中にいる蘭の息が荒い。しかも体は熱を持っている。――こいつ、風邪引いてやがったんだ。

「もう一回言う、早く消えろ。これ以上庇い立てするならば、お前らもそいつの仲間と見做す」

 このままではおっさんどころか、俺も蘭もこいつに殺されかねない。男はそう思わせるほどの殺気を放っていた。

 先程の所作から見て、男が撃つとさえ思ってしまえば、照準を変えるのも弾丸を放つのも一瞬だ。きっと反応できないし、こんな場所でこんな状態の蘭を守りながらなお、銃を持った相手に対抗する手立てなどない。

「……新一、大丈夫だよ……行こう……」

 掠れた声が一押しとなって、身体が動いた。
 くたりとしたその身体の、膝裏に腕を回して抱え上げる。蘭はまだ何か言おうとしていたものの、音にする前に気を失ってしまう。
 男が何者であれ、どちらにしろ今の銃声で、通り魔を探し回っていた警察がすぐに駆けつけるに違いない。その証拠に、そう遠くない場所でサイレンが響いている。
 ――悔しいことこの上ないが、あの瞳に射竦められる前に、この場を離れないと。

 蘭を抱えてすれ違い駆け下りていく俺を、男はついぞ見やることはなかった。


 ただのデマカセかと思っていたが、本当にキャブが入り口で待っていた。ちゃんとメダリオンが貼り付けられた、黄色のクラウンビクトリアだ。
 しかし、俺と蘭が乗り込むと、インド系の運転手が行き先も聞かず発車する。

「お、おい!」
「乗ったらとにかくすぐ出るように言われてるんでな」
「あの男にか!?」
「さあ、誰のことを言ってるのかわからねえが」
「ニット帽かぶった、長髪の日本人だよ!」
「そんなやつ見てねえな。ま、安心しろ」

 急いで腰をひねり、リアガラスの向こうでどんどん遠ざかっていく廃ビルに目を凝らすが、日本人二人が出て来る気配もなければ、その周囲に人影もなかった。

「ホテルはどこだい、おぼっちゃん。お代は先にたんまり貰ってる。どこまでだって行ってやるぜ」

 口惜しさに焦燥感、もやもやとした気持ちで落ち着かない。
 そういえば、さっきの事件で捜査に来たNYPDの警部は母さんの知り合いだったな、と交差点ですれ違った、恐らくあのビルに向かっているのであろうポリスカーに意識を持って行かれかけたが、耳に届いた蘭の苦しげな吐息にハッとする。

「……その前に、近くていい病院に連れて行ってくれ」
「了解」

 ――ああ、母さんに連絡しなきゃ、怒られるだろうな。
 それからは、膝に横たえた弱々しい幼馴染のことで頭がいっぱいになって、外の景色もろくに見えなかった。


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