J-2

 勧めてくれた椅子も、氷を入れてくれたグラスも、見覚えのない、シュウが選ばなそうな洒落たモノ。

「二人の女を同時に愛せないって言ってたわね。……彼女のこと、愛してた?」

 愚かな問いに返ってくるのは、日本人特有の曖昧な笑み。そんなもの、以前はしなかった。それがすべてを物語っている。

 もし彼女があの、父の仇である組織に属する立場でさえなければ、もっと吹っ切れたし、同僚の顔をして気楽に話せていたかもしれない。
 日本での潜入捜査中のことについては、同じ立場の捜査官として報告により知っていて、彼女とのやりとりの記録だって読んだ。
 潜入捜査のために利用した関係で、もうそれは終わってしまったものだというのも、知っている。それでも、勇気が出なかった。
 ”今も愛してるの?”なんて。
 せっかく酔った勢いということにしてあれこれぶちまけたのに、それだけは聞けなかった。情けない。

 変わってしまったシュウ。
 悔しいけれどいい変化かもしれないと、そう思っていたのは、はじめだけだった。


 ――忘れまいとするように紙に書きつけられた名前。筆跡にはどことなく焦燥が見受けられた。
 その男に対して、シュウは随分と気安そうだった。報告書にはなかった名だから、一般人かもしれない。組織に殺されたか、あるいは、シュウ自ら引き金を引きその生命を奪ったのか。
 私たちの仕事は過酷で危険なものばかりだから、当然同僚を失うこともある。めったにないことではないが、慣れるものでもなく、知人友人を失えばいつだってつらくて悲しい。折り合いの付け方や切り替え方がうまくはなっても、その感情そのものをなくすことはできない。
 日本で会ったというならば、男はここ二、三年のうちに亡くなっているはずだ。
 それなのに。
  ”いや、それは無理だろう”
  ”もうこの世界にはいない”
  ”謝ることじゃない”
 この世にいない親しい男のことを語るのに、何ら感情をのせず、僅かな色すら欠片も見せず、シュウはそれまで浮かべていた表情の一切をなくし、軽く淡々とそう言う。

 その、ともすれば行き過ぎた平常さにゾッとした。
 シュウは理性的で合理的な人間ではあったが、こんなに冷淡ではなく、むしろ情は深い方だった。だからこそ私が惚れたし、上司の信も篤く、同僚や部下が自然と従い着いて行っていたのだ。
 彼の瞳は、声色は、どうあがいても、自分と同じ世界を生きていた、自分と同じ人間に対するものではなく。
 一度それを目の当たりにしてしまうと、私が他愛無い話を広げるとまた柔らかくなったように見える表情が、どこかとても恐ろしいものに思えてしまった。


 ふと気がつけば、本当に酔って眠ってしまっていて、いつの間にかベッドの中にいた。運んでくれたのだろう家主は床で寝ていると思って部屋を見回したのだが、どこにも彼の姿はない。

「……シュウ?」

 窓の外に目をやると、空は少し明るんでいる。もう早朝のようだ。
 そこに薄っすらと煙が見えて、半端に開いていたカーテンをそっと引く。
 シュウはわざわざ外でタバコを吸っていたらしい。申し訳程度に作られた狭いベランダで柵によりかかり、天に向かって首をもたげたまま動かない。
 足元の灰皿には数えきれないほどの吸い殻が詰まっていた。

 ――まるで、何かに焦がれるかのような後ろ姿。
 彼の待ち望むそれはきっと、朝日なんかではないのだろう。



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