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「あら? これ……」 と、声をあげ彼女が手にしたのは、シンク近くに置いてあったレシート紙。その裏にあったメモに気づいたらしい。 「漢字? 読めないけれど、日本人か中国人の名前かしら……まさか組織の?」 「ああ……違う。そいつはただの、どうしようもない、馬鹿な男の名前だ」 「日本にいる人?」 「まあ、そうだな」 「シュウがそんなこと言うなんて、ずいぶん仲が良かったのね。会ってみたいわ」 「いや、それは無理だろう……」 「え?」 「もうこの世界にはいない」 だって実際は目の前にいるんだぜそいつ。 ジョディが見つけたメモの字は、”近衛十夜”。俺の現実での名前だ。いわばソウルネームである。……そう言うとなんか危ない人みたいだな。 なんだか恥ずかしくて、冷蔵庫を覗きに立ったついでにそのレシートを、ジョディの手からさっと取り上げて尻ポケットにつっこんだ。 「……ごめんなさい」 「別に謝ることじゃない」 ――近頃、ぱっと思い出せなくなってきているのだ。 目覚めてしまえば関係のない話だが、なぜだか忘れ去るのは危ないことのような気がして、覚えているうちにと書き留めたもの。 なんだかんだと、”赤井秀一”をやりだしてから、この世界で経過した時間はそれなりに長い。はじめはところどころ飛んでいた場面も、最近ずっと続いているのだ。 どんどん、”赤井秀一である俺”から、”近衛十夜であった俺”が遠くなっていく。その感覚に、さすがに夢の中でも些か焦ってしまう。ちょっぴりおセンチにもなる。 しかし、美女に謝らせてばかりで、どこかの誰かに怒られそうだ。若干居心地悪くなりつつ、冷蔵庫の扉を開けた。 そろそろウイスキーでも飲むか、と、グラスを二つ出してシンク横のワークトップに置き、買ってきた氷を割って入れる。二往復して、グラスとウイスキーの瓶を二つずつ、ダイニングテーブルに置いた。 好きな方を自分で入れろ、とジョディに言うと、彼女はオールド・オーバーホルトを選んだ。注ぐさまを見ながら、俺はワイルドターキーの蓋を開ける。 ジョディは一杯目をぐいと飲み干し、もう次の一杯を入れていた。ウイスキーってそうやって飲むもんだったか? 「それにしてもシュウ、本当に変わったわ」 「そうか?」 「以前は、私が煙たがったってタバコを吸い途中で止めたりしなかったし、こんな風にグラスを用意することだってなかったわ。顔も振る舞いも言葉も、もっと粗暴で悪かった」 「ひどい言われようだ。お気に召さないようで」 「いいえ。そんなシュウもいいと思うわ……私……」 言葉を濁し、どこか遠くを見るようにした彼女が、まるでビールを飲むようにウイスキーを煽っていった。おいおい。 明朗快活だったジョディの語りはやや鈍り、俺の悪口をつらつらと並べたりそれまでの話題に戻ったりと、うろうろとし始める。 「――私じゃなかったのが悔しいの」 「……」 「別れたのは振られたんじゃないと、思っていたの。どちらにも非はなかった、止む得ないものだったのだと」 それから、なんだかよくわからないが、あれこれと付き合った男がどうだのなんだのとクダをまきはじめる。美人も苦労しているんだな。 恋愛相談なら相手を間違えていると思うんだが、今更言える空気でもない。 「納得したつもりだったのよ。諦めたつもりだったの。そんなに良い男でもなかったわ、なんて言ったりして。あんなところがダメだった、こんなところがダメだった、厄介な男だったわ、って。それなのに、別れたのに、想うのをやめられなかったの。――今もよ。……ねえ、バカな女でしょ?」 ジョディの瞳には、薄っすらと水の膜が張っていた。手元の酒瓶の中身は随分減っていて、まあこうもなるだろうなという感じだ。 「いいや。ジョディ、お前はいい女だ。今も昔も」 ううん、女性を慰めるのって苦手だ。ひねり出した言葉はなんとも陳腐で稚拙。 あなたこそ、バカな男だわ、と言われてしまった。ぐうの音も出ない。さっき自分で言ったし。 |