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それから結局、警視庁そばには移動したものの、路駐も邪魔だろうしそこらの駐車場に停めて待つかとなったのだが、何を思ったか、少女はそれまでの後部座席でなく助手席に乗り込んできた。 ちょっぴり驚いてビビってしまった俺に、少女は片眉を跳ねさせ、嫌なわけ、と鋭い一瞥をくれる。そうではないとは言ったがご機嫌を損ねたようだ。ますますいかん。 「こんなことになるんだったらノートパソコンでも持ってきたらよかったわ」 「僕のを使います?」 「いい。あなた、そうやって情報端末を簡単に人に貸さないようにね」 「はい」 子どもに教え説くように返されてしまった。みんなー、情報管理とリテラシーはしっかり学ぼうね。いやもちろん相手がこの子じゃなかったら貸さないけれども。 そもそも持ち歩く端末なんて中身を見られようが取られたり壊されたりしようが困ることのないようにしている。無線はごく一般のものだし、ローカルにも重要な情報はもとよりエロ画像や自作ゲームや恥ずかしいポエムなども入っていない。使えなくなったら懐が痛む程度だ。 しかし他にはこっそり持ってる銃器くらいしかない。暇そうにする少女には悪いが、コナン君を残して帰るのも少女を阿笠邸で一人にするのも憚られるので、そのまま持て余してもらうしかなかった。 車を停めてエンジンを切り、ぽつぽつと阿笠氏やら子どもたちやら料理の話やらを続けていたが、コナン君はなかなか帰ってこず、日も暮れ辺りが暗くなってきた。スキーとは何だったのか。事情聴取に移る際に行けなくなったと連絡は取ったらしいにしろ、阿笠氏も子供たちも今頃帰り道じゃなかろうか。 会話も途絶えてしばらく、不意に沈黙を破って少女が小さく問うてきた。 「……あなたもなの?」 この子にしては珍しく脈絡ない。 何の話かわからないと返せば、少女は怒る風でもなくそのまま続ける。 「とぼけたいというなら、それでもいいけど。じゃあ、あなたは何にそんなに怯えているの?」 「……」 何ってそりゃロリコンとして通報されることだ。でもそれ今言ったら自供同然では。なにこれ誘導尋問? 「見つかってしまうのが、捕まるのが恐ろしいんでしょう」 「……それは、まあ」 タッチでお縄なんてもしマジもんだとしても紳士になりきれなかった野郎だとその界隈でも謗りを免れないだろ。 プライドはあったところで意味もなしわりと地べためだが、さすがにそればっかりは俺だって遠慮したいのである。 「犯した罪は消えないわ」 「……ええ」 「一度刻みつけられた恐怖も、拭い去れるものじゃない」 「そうですね」 「逃げること、それ自体は悪いことじゃないの。けれど、だからといって逃げ続けたって何にもならない」 転進と遁走は違うって話か。だがこれは戦術的でなく戦略的撤退だと思うんですマム。仕方がないんです政治的に。 少女が助手席から腰を浮かせ、俺の視界に入り込むよう、目の前へ身を乗り出してきた。いよいよまずい体勢だ。いっそのこと車外に出たいが、足の間に手を置かれてしまっては払うわけにもいかず身動きが取れない。 「運命から逃げちゃダメよ」 宿命捨てないで戦わなきゃ現実とってやつか、それなんてエロゲ? ぐい、とさらに近づいてくる。彼女に似た作りの、けれど幼くまろみのある顔が。 「目をそらさないで――昴さん」 突き刺すような視線とは裏腹に、その声はどこか柔らかい。 ――きれいな、うつくしい瞳だ。 どことなく色を変えた陰りはむしろ深みとなってその耀きを彩っている。 「――!」 更にドアノブに伸ばした手をパシリと取られて、瞬間、体が勝手に大仰なほど跳ねた。 けれどそちらに意識を向けると、特にどうということもない、ただ、少女の小さな白い手が、俺の手首を握っているだけ。 どくりどくりと、心臓の音がやや騒がしい。 ――今、一瞬だけ。 どこか、懐かしい感覚があったような――。 そのもとを辿ろうと思索を巡らせかけたところで、軽い電子音が響いた。コナン君だ。ようやく事件が解決したらしい。通話に応じると、あのマンション前まで来てくれという。 少女がため息をついて助手席から後部座席へと移動する。さっさと迎えに行きましょう、と言われて、エンジンをかけた。 あんなに近くで直視したのに、くらりともしていない――その事実に対する驚嘆に埋もれて、微かに感じた何かは見失ってしまった。 どうやらこれだけ時間がかかったのは、難事件であったからというよりも、推理の裏付けを取るため朝と同じ七時半に実証したいことがあったからなのだという。 ついでに犯人がアリバイ偽装に使ったのはビールで、塩振って泡を作っていたんだとか。ダメなオトナの科学。 「……オメー、昴さんに変な事言ってねーだろーな」 「別に何も。ただ猪突猛進な推理オタクについて愚痴ってただけよ。――ねえ、昴さん」 「え? ええと……」 コナン君の声は通りが良すぎて内緒話すら聞こえてしまうのが難点だなと思いつつぼんやり運転していたら、なぜか急に追突事故を食らってしまった。 しかも返答に困っていると二人でなにやらもじゃもじゃ言い合いを始めて玉突きと化してしまう。んなこと言ってるわけねーだろとか誰かさんのせいで休みが潰れたとかなんとか。何気にコナン君女の子に対してお口が悪い。 「……あんまり昴さんに強いるような言葉使うなよ」 「あら、どうして? この人だって子供じゃないんだから、聞き入れるべき事の取捨ぐらい自分でするわよ」 「オイ灰原、だから――」 コナン君が声を潜めても少女は普通のトーンで返すもんで結果丸聞こえである。俺は耳を塞いでおくべきなのか、しかしそうするには手が足りない。 結局後部座席のそのやり取りは阿笠邸に着くまで続いた。 あれは喧嘩するほどというやつだと取って大丈夫なんだろうか。俺がガチ火種になっていないことを祈る。 |