15

 工藤邸にはなかなか立派なオーブンがある。

「せっかくだからお菓子も作ってみない?」

 恒例の変装チェックを終えたあと、有希子さんにそう言われて一緒に材料を買いに行き、手始めにとシンプルなクッキーを作ることになった。
 褒めて伸ばすタイプのお母さんである有希子さんに「上手上手♥」とニコニコされながら泡立て器を回しているとあたかもひとりでできるもん的な気持ちになるが、アラサー男と人妻という属性だけ見ると危ない感じがするな。もちろん疚しい気持ちはこれっぽっちもないが、毎度毎度優作氏はよくこんなこと許してるなあと感服する。
 材料を混ぜて少し寝かせ、有希子さんが選んで買った花やハートといった可愛らしくポップな型抜きを使って、伸ばした生地の成型をした。そこまでは順調だったのだが。

「――こら! 昴さん!」
「はい?」
「それ置いて、手を離して! 早く!」

 何事もなく出来上がった生地をオーブンに突っ込み、時間になったので天板を取り出したら怒られてしまった。

「熱いでしょ、なんで素手で持つの!?」
「あ、ああ、そうか……すみません」

 ミトンをした有希子さんにひょいと取り上げられ、天板から離した手を見ると赤くなっていた。
 おいでとシンクの方へ腕を引かれ、水道水がかかるよう両手を差し出した状態で、私がいいって言うまでこうしてて、とステイを言い渡される。手首の包帯が濡れないように、とも。
 指示通りしばらく突っ立って冷やしたあと、なんなら新出先生のところへ行くかと聞かれて首を振れば、ため息をついて手にラップを巻いてくれる。今度からはミトンをつけるのよ、とまるきり六歳児対応。
 産んでもいない手のかかるデカい子供の面倒を見るハメにしてしまって本当に申し訳ない。しかしあんまり謝るとそれも怒られるので反省のポーズでもして黙るしかないんだな。

 俺がステイしている間に有希子さんは後片付けまで済ませ、クッキーが盛り付けられた皿と、アメリカ土産だというコーヒーを淹れたカップをテーブルへ並べてくれた。
 工藤邸のダイニングテーブルはシンクやコンロと一緒になっていて、大きめのカウンターのような形なので、礼を言い、隣合わせで座る。

「食べれるかしら? カップは持てる?」

 そのままいけばあーんでもしそうな勢いの問いに大丈夫だと断って、彼女がそうするのをみとめてから、自分も同様に、クッキーを口に放りコーヒーを啜った。相変わらず出来栄えはわからんが、なんとなくいい香りはほんのりとする。
 言われた通りに作っただけのそれを、有希子さんはいつもの如く上出来だと褒めてくれた。

「そういえばね、優作が昴さんに話を聞きたいって言ってたわ」
「僕にですか?」
「今書いてるのの参考にしたいんですって」

 なんでも優作氏は今度、映画の脚本を手がけることになったらしい。脚本制作はそれが初めてのことで、しかも彼の著作とは少し路線を変えた捜査官モノなのだという。物書きは大変だな。
 しかし工藤夫妻はアメリカ各州の市警やスコットランドヤードやインターポールにまで知り合いがいるとか何とか聞いた気がするんだが。

「彼ならば、そういったお知り合いは他にたくさんおられるのでは」
「いるにはいるわね」
「FBIにはいないんですか?」
「取材してるそうよ」
「それならもう不要でしょう」
「だからこそ聞きたいんですって。あなたみたいなスナイパーのこと」

 ヘッポコ捜査官モノなのだろうか。シリアスなミステリー小説からコメディムービーほど方向性が変わると、さすがのユーサク・クドーもそこらのポンコツの手さえ借りたくなるのかもしれない。

「どう?」
「……あまり有益な話はできないかと」
「言える範囲でいいから」
「……それで少しでもお役に立てるのなら、構いませんが」
「充分かもよ、あなたが思う以上に。“From a drop of water,”――ってね」

 ちょっと聞いたら分かるのよってやつか、ミステリー作家の奥さんなだけある。
 予定の調整をするということで一旦その話は終わり、その後の雑談ついでに子供への対応がいまいちよく分からないと相談してみれば、有希子さんにするようしてみてはどうかと言われた。
 こども扱いを嫌がる子もいるという。相手が年若いからと馴れ馴れしすぎるのはよくないか。
 特にあの子はそもそも見た目が幼いだけなのだ、存在の怪しさやひっくり返る失態に加え、そういうナメたこと抜かすのが尚更癇に障ったというのも、冷ややかな態度の理由の一つとしてあるかもしれない。やはり子供と女性は難しい。


 有希子さんを見送ったその夜、コナン君から、阿笠氏宅ガレージの予備鍵の場所と、それを使ってガレージ内にあるガソリン用タンクの中身をすり替えておいてくれというメールが届いた。いたずらにしてはえげつない。
 阿笠氏が知らず給油気分でシュコシュコやればビートルは廃車待ったなしだろうな、なんて思いつつ、指令通りガソリンは俺の車に移して水を入れた。人生初のガソリンドロボー。一体何の処刑タイムだったんだろう。


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