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「はじめまして、隣に引っ越してきた沖矢昴と申します。よろしくお願いします。こちら、ほんの気持ちですが」 「おお、ご丁寧にどうも。ワシは阿笠という者なんじゃが……」 「存じ上げております。僕、工学部の院生でして、博士号を取りたいと思っているんです。阿笠先生のお噂はかねがね」 「なんと」 「実は知り合いのツテで、発明品を使わせて頂いたこともあるんですよ。非常に助かりました、ありがとうございます」 首元に手をやると、阿笠氏はそれを目で追い、一度合点承知の助とでも言いたげなドヤ顔をしてから、清々しいほど白々しく声を弾ませた。 「ほほォー! そりゃまた、嬉しいわい! 道具は使ってもらってなんぼじゃからのォー!」 うーん俺といい勝負の大根。こりゃコナン君にディスられるわけである。大根vs大根の地獄絵図。おでんにでもした方がよっぽどマシだろう。 ともかく阿笠氏が好物だという菓子の包を渡し、予定通り適当に上げておだてて先生ちょーソンケーするーおハナシ聞きたいし発明品見たいナーと言うと、向こうはわりと素で喜んで中へと案内してくれた。おいおい。 阿笠邸の、見た目と同様ちょっぴりフシギな作りの屋内は普通に興味深い。 円形のキッチンカウンターなんてリア充御用達スタイルすぎて俺には縁がなさそうだ。工藤邸と違って本棚が低い上天井も高いのであまり圧迫感がなく開放的。キッチンも寝室も客室もまとめて一室なプライバシー皆無仕様は、家庭内コミュニケーションは捗るだろうし幼い子供の監督や防犯には良さそうだが、女の子を成人まで育て上げるには向かなそうでもある。開発や研究に使う部屋は別であるとのこと。そっちがメインなんだろうな。 地下や屋上もあるらしい。家というよりちょっとした秘密基地だ。男の子ならわくわくする造りなのかもしれない。 「設計も先生ですか?」 「ハハ、大したもんではないんじゃが、ちーっと」 「素晴らしいです。独創性がありかつ実用的だ」 阿笠氏が一層表情を緩めた。 死んだふりからこちら彼の発明品や協力にはだいぶお世話になっているし確かにそれらはすごいと思うが、ちょっとばかりおだてにトントコ乗りやす過ぎるんじゃないか。 ずいぶん善良な性質の人であるようだし、ピンキリとはいえ技術は凄まじいのだ、ろくでもない奴にうまいことノセられて知らない間に悪事に加担してましたなんてことにならないといいが。いやろくでもない俺とこうしてる時点で手遅れか。お詫びにせめて新しいロクデナシにカモられないようこっそりガードくらいはしよう。 最近彼は全自動調理機を開発中なんだそうだ。計画を聞いた限りキリの予感がする。そのうち毎日くそまずいハニートーストとカフェオレとハムエッグとサラダを作るアンドロイドが出来上がるかもしれんな。 カウンターのそばであたりを見回しつつ阿笠氏とお喋りをしていたら、不意に静かに戸が開いて、小さな女の子が欠伸をしながら姿を見せた。 少女は俺に気づいてビクリとする。なぜだ、“沖矢昴”なのに。 「そうじゃった。哀君も紹介せんとな」 「お孫さんですか?」 「いやいや、うちで預かってる子じゃよ。灰原哀君という。――哀君、彼は沖矢昴さんじゃ。隣に引っ越してきたんじゃと」 「……隣? あなた確か……」 そろそろと警戒するように近づき、阿笠氏のそばにさっと寄ってやや影に隠れるようにし、少女は思いっきり怪訝そうな顔をした。 そうだね、隣は工藤邸だね。ついでにこないだ容疑者だったね。 「つい先日、僕のアパートは火事になってしまってね。ああ、きみ――」 その時いた子だろう、そう言おうとして、“子供にはしゃがめ”の教えを思い出したため、近寄って膝を折り少女と目線を合わせたのだが、途端、急に頭がぐわんとしてひっくり返ってしまった。 「ちょ、ちょっと――」 「どうしたんじゃ、昴君!」 そういえばこの子とちゃんと視線を交わしたのは二年ぶりくらいだ。 この前はずっとお友達の影に隠れていたし、こんな至近距離で見たのは初めてかもしれない。 ――色素は違えど、やっぱり顔も雰囲気も似ている。 「……う、」 手をついて肘を伸ばそうとしたが、ぐにゃぐにゃとして体が持ち上がらなかった。頭の揺れが収まらない、ぐらぐらとして天地がわからない、耳もざわざわとする。 あのこ、いやこの子。目の前に。おねがい。おねがい。おねがい、わかったわかった。ぐるぐる回ろうとする眼球を制し、視界に入れればはっきりとわかる。ああ、こりゃ妹だ。瞳がそっくりだ、肌の白さも、きっとその額も。ようやく。眉根を寄せて、困惑しながらも、心配そうな色を見せる。俺を轢いたときみたいに。ああなつかしい。なぜ忘れた。大丈夫だ。だがなんと名乗れば。生きている。動いている。俺の姿を捉えている。こんなに近くに。息が乱れる、やり方を忘れる。思い出す必要があるのか。怯えが染み付いた挙動。懐疑のまなざし。すぐ折れそうな細い首。筋肉がぐにゃりとする。内臓がかきまわされているようだ。ちいさなからだ。こんなことに。余計なことをした。いい加減なことを。俺だけがおかしいのに。彼女たちにとっては現実だった。ばかだ。ばからしい。しかし。何かが喉にこみ上げてくる。ことばが出せない。ああ、ごめん、わるい、すまなかった、おろかでどうしようもない、ゆるさないでくれ――なんてことだ、彼女がおれをみている。 「――」 ちょっとまずい。必死に飲み込んでのたりとした赤い手で頭を抑える。 立ち上がれずにいたら、よく聞こえないが少女が何かを言って、阿笠氏が俺の体を支えソファへと連れて行って横にならせてくれた。 少女は阿笠氏と共にそのそばに立ち、警戒は解かず恐る恐るではあるものの、体調を伺うように覗いてくる。 やっぱり優しい子だ。そんなところも似ているんだ。 |