たったひとつの言葉を 8
やる気のない死んだ魚のような目の奥に、隠しきれない真剣な眼差しが見え隠れする。
そのわずかなものが土方の緊張に拍車をかけた。
なんでも聞けとこの男はいったが、一体、なにから、なにを、聞けばいい。
知りたいことは千とあるはずなのに、それはなにひとつ確かなものとして浮かんでこない。
「………っ」
膝に置いた握りこぶしの中にじわりと汗が滲む。
動かない思考を雨の音だけが埋めてゆくが、不意に、銀時が細く息を吐く音が鼓膜を撫でる。
「……とって食やしねぇからよ、もっと力抜けや」
こちらの緊張を緩和させるような、わざといつも通りの乱雑な物言いだった。
力なんて入ってない。
そう言いたいが声が裏返ってしまいそうなほど心臓が脈打っている。
「べつに」
それだけ答えるのが精一杯で、自分の情けなさに歯噛みする。
「わかった。じゃあ俺から聞いていいか」
「あ?」
「おめぇに何もねぇなら俺が聞く。だから正直に答えろ」
「てめぇが俺に何を聞きてぇってんだよ。んなもん…」
「あるよ。山ほど」
紅い目に射抜かれ、不覚にも息がつまった。
かっこいい、とか、思ってしまった。
(なに考えてんだ俺は)
それにしても土方には銀時が何を聞かんとしているのか検討もつかない。
この様子では口からでまかせだったり、その場の時間の埋め合わせではなさそうだ。
土方は銀時の視線を受け止めきれずに猪口で揺らめく酒に視線を落とすと、小さく、首を縦にふった。
「じゃあまず一個目」
するとすぐに銀時は口を開き、
「あの後どうした」
「あの後?」
「あー、あれだ。あの、幕臣と、俺が帰った後」
最後の方はモゴモゴと口の中でこもらせ、いささか言いにくそうな言い回しだ。
しかし、言わんとしていることはわかる。
土方は心当たりに検討をつけるとズキンと胸が痛むのを感じた。
あの日あの時言われた言葉は、そう早く風化してくれそうにない。
「どうした?」
「……それは…」
どうしたもこうしたも覚えてないのだがら、どう言ったものかと頭を悩ませる。
なんでてめぇにンなこと言わなくちゃならねぇ。
そう言いたかったが、ここではぐらかしてはいけない。
どこかでそう感じた土方は、正直に話そうと呼吸を一つ大きくとった。
「覚えてない」
「覚えてない?」
「詳しく言えば、気づいたらベッドで寝てた。幕臣と」
「……は?」
明らかに、銀時の空気が変わる。
訝しげにひそめられた眉の下。
その目は厳しいものに変わり、ゆらりと陽炎のようなものが立ち上る。
「寝てただけだ。本当に、寝てただけだ」
「なんで一緒に寝るんだよ」
「知らねぇよ。俺だって驚いたんだよ」
「なにやってんだよ。なんで覚えてねぇとか……くそ!寝るだけですむわけねぇだろっ」
「馬鹿言うな。俺は女じゃねぇ男だ。あの人が男色なわけじゃあるめぇし、そうそう何かあるわけねぇだろ」
「お前ほんっと馬鹿!それ本気で言ってんのか?あのおっさんは生粋の男色だろ!」
「男色じゃねぇよ。その前には一緒に吉原へ女遊びしに誘われたんだ。男が好きならわざわざそんなところにゃいかね…って、ちげぇからな!俺は別に女遊びなんざしてねぇからな!」
失言だったと慌てて訂正を入れた土方だが、銀時は大きな溜め息をついてそれを一蹴した。
「実際女入れたかよ」
「あ?」
「入れてねぇだろ。結局奥の間を使って二人きりで飲んでたんだろ」
「え…あ…、確かに、言われてみりゃそうだったかもしれねぇ…けど、なんでお前がそんなこと知ってんだよ」
「………」
「そうだよ、この前のことだってなんでお前はあそこに現れたんだ」
思えば『偶然』と言うには不可思議すぎる。
あそこはある一定の層の人間にしか入れないような高級料亭。
どう考えてもこの男が「ちょっと飯でも」と入れるような場所ではない。
もし偶然でないとすれば一体なぜあそこにいた。
考えずともいきつきそうな疑問だが、そこを考えれば自ずと淡い期待が生まれそうで思考は真剣に考えるを拒否していたのだ。
今も、淡い期待が頭をもたげ、土方はそれを必死に否定する。
『自分の動向を万事屋がうかがっていた』だなんて、そんなことはあるはずがない。
期待はするな、そんな事は絶対にありえない。
この男があの時言ったことを思い出せ。
(気色悪いって言ったんだ)
男同士の色恋を気色悪いと。
勘違いするな、しょせん、そうなのだから。
そう思えばわずかに燻った熱が一気に引いていった。
「近くで仕事があったのか、たまたま」
「…そう思うか?」
「あ、いや、吉原のときはお前は女といたよな。金ががねぇくせに入れ込んだのか」
口角を上げて相手を揶揄するように、土方は努めた。
しかしそれがうまくいっているかはわからない。
目の前の銀時の反応は変わらずじっとしたままだ。
「お前も隅におけねぇ…」
「副長さん」
不安で言葉を重ねたその時、銀時は強く遮る。
「もう腹の探り合いはやめにしようや」
「どういうことだよ」
「俺はお前を捜してた」
遠くで、犬が空に向かって一声鳴いた。
雨にも負けない力強い声だった。
しかし、土方にそれは聞こえていない。
耳を疑うその言葉。
聞き間違えたか。
それとも、自分の都合のいいように内容をねじ曲げたか。
「……え…」
事実とはとりがたい。
土方は沈黙の間その言葉を何度も繰り返したが、そこにはどこにも現実がなかった。
ゆっくりと動かした視線の先に銀時を捉え、呆けた声が口をついた。
「今、なんて…悪ぃ、うまく聞き取れなかったみてぇで…」
「お前を捜してた。会いたくて、捜した」
今度こそはっきりと聞こえたそれは、確かに目の前にいる銀時から発せられた。
『会いたくて、捜した』
そう、言った。
そう言ったのか。
「…―――〜〜〜っ嘘だ!!」
その言葉を認識した瞬間、土方の脳は熱を上げ沸騰した。
込み上げたのは怒りにも似た熱。
土方の体も思考も全てを持って銀時のその言葉を否定する。
「あ?」
「てめぇ誰だ!万事屋じゃねぇだろ正体を見せろ!!」
だってありえないのだ。
土方にとって銀時がそんなことを言うことなど。
どうねじ曲げてみてもありえなくて、目の前の男は偽物もしくは万事屋が酷い戯れを言っている。
そう考えた方がよっぽど自然であった。
「ちょ、え?どうしたのよ」
「声までそっくり真似するたぁ上出来だったが失敗だったな。万事屋はンなこと言わねぇ!総悟…のわりには体格がおかしいからちげぇな。攘夷か?残念だったなぁ、俺の首を落とすにゃ情報不足だぜ!」
「待て待て待て落ち着け!刀から手ぇ離せ!銀さんだから!本物だから!!」
「うるせぇ!それ以上あいつの姿で喋るんじゃねぇよ!あいつはどこだ…また生きてお天道様拝みたけりゃさっさとだせ!!」
「だぁから俺!本物!!うわわわわわ抜くなよ!一回落ち着け!!」
「真選組副長をなめんじゃねぇ!」
「なめてないなめてない!むしろ尊敬してる!」
「―――っまた…!あいつが、俺を尊敬してるわきゃねぇだろ!」
「あああ!んでそうなんだよ!面倒くせぇな!!」
「万事屋は天地がひっくり返っても俺に会いたいなんて言うわきゃねぇ。捜したりなんかするわきゃねぇ!!」
「してんだよ!実際!!認めろ!」
「認められるかあぁぁぁ!!」
「だあぁぁぁぁぁ!!」
刹那、土方の刀が一閃し銀時の頭上を横切った。
二三本の髪の毛がハラリと落ちる。
「あああああぶねぇだろうが!」
「知るか!」
「知っとけ!!」
「!!」
言うが早いか銀時は手近にある一升瓶を掴みあげ、それを土方に向かって投げつけた。
至近距離から放たれたそれは通常の人間ならそのまま顔面にめり込んでいただろうが、返す刀がそれを両断しあたりに酒が散る。
その一瞬の隙を見て、刀を振り上げ土方のあいた懐に飛び込んだ銀時は右手で刀を押さえ込み動きを奪った。
テーブルを踏み台に踏み締めた為、反動で並んでいた肴が宙に跳ねる。
「――っ」
土方は瞬時に蹴りあげようとしたがいかんせん足場が悪い。
上から肩を押され、不利な状況に踏ん張りが効かずにソファーに押し込められてしまう。
「くっ、てめっ…!」
「知っとけよ、俺はてめぇに会いたかったんだ」
紅い瞳が、三センチ向こうで鈍く、光った。
「よろ、ず…」
「毎日、おめぇに会いたいと思ってた」
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