たったひとつの言葉を 5


「なっ……!」

ここにはいないはずの男が部屋の奥から姿を現した事に、土方は息をのんで刮目する。
坂本の話では電話で呼び出されて外へ出ていたはずだ。
それが、なぜ。
疑問がまわると同時に今己が置かれている状況を思いだし、サッと血の気が引く。
乱れた姿に兆した自身。
上から男に乗られている状況を。

「人んちで好き勝手やりやがって」

(……あ…)

―――また、誤解される。
こんなところを見られては決定的ではないか。
さらに見損なわれて、もう取り返しもつかない。
あの侮蔑を含んだ目を投げつけられ、貼り付けられたレッテルを自分で剥がす手だてなど…。

「めっそう殺気だつな。土方くんが怯えちゅう」

「あ?そりゃあてめぇに怯えてんだろうが。早くその汚ねぇ体を離しやがれ」

「汚くない。これでも毎日風呂に入っちゅうきに」

ズカズカと歩を進めてきた銀時に腕を掴まれる前に、坂本はサッと土方の上から身を引いた。
体を隠すものがなくなり、土方はサッと肌を朱色に染めると急いで乱れた服で己を隠そうとする。
隠しきれない首筋から紅い鬱血の痕がのぞき紅い瞳がそれを捉えた。

「……なんで」

「……………」

「なんでてめぇがここにいんだよっ」

「なんでってここ銀さんち」

「坂本さんの話じゃてめぇは外に出てたはずだろ!」

「あのねぇ、天下の副長さんがそんな馬鹿正直でどうするの」

「は?」

「あはははは!金時ぃ、おんし思ったがり時間がかかったのう」

「黙れ毛玉」

銀時がひと睨みつけるが、そんなものなど気にも止めずに坂本は大口を開けて笑っている。
土方には事の顛末がまったく読めず、ただ二人のやり取りを茫然と見ていたが、銀時が一瞬こちらに視線を寄越したかと思えばチッと一つ舌を打った。

「さっさと服くらい直せや。見たくもねぇもんが視界に入って気分が悪ぃ」

「っ、」

「んで男の癖にそう無防備なんだよ。簡単にヤられそうになりやがって。居合わせたこっちの身にもなってみろってんだ」

「……悪かったな、汚ねぇもん見せてよ!」

「え、ちょ…っ」

手のひらに爪が食い込むほどに握りしめた土方は、身形を整えるのもそこそこに立ち上がり身を翻した。
玄関へと向かう土方の腕を、銀時が咄嗟に掴む。

「離せ!」

「どこ行くんだよ!」

「出てくんだよ!夜分遅くにお邪魔しましたもう二度とてめぇの前にゃ現れねぇよ!!」

「出てけなんて言ってねぇだろ!その格好で外いくつもりかよ!」

「そうだよ悪いか!」

「悪ぃよ!」

「何が悪ぃんだよ、てめぇの前から消えてやるっつってんだ!触るな離せ俺ももう二度とてめぇの顔なんか見たくもねぇ!」

「なっ…」

「離せ糞天パ!!」

「少しくらい待ちやがれ土方十四郎!!!」

「っ!」

思い切り振り払おうとした腕を逆に強く引き寄せられて、グラリと揺れた体はそのまま銀時に倒れ込みそうになった。
が、土方は無理に足を踏み込んで体の向きを変えると再びソファーの上へと倒れ込む。
ギシリとスプリングが軋んだ。

「………離せ」

静かに紡がれたそれは恫喝めいていたが、反対に酷く、傷ついているようにも聞こえた。
受け身をとるのですっかりはだけてしまった土方の肌は露になり、坂本が残した痕跡が如実に浮き上がる。
銀時は深く、息を吐いた。
同時に坂本が耐えられないとばかりに声を上げて笑った。

「それほんなら逃げられて当たり前じゃ」

場にそぐわぬその物言いに銀時だけが視線を動かして答える。

「さっき飲んだくれちょったが理由をそのまま言えばえいがに」

「な、」

「わしがゆうた通りろう。土方くんは簡単に足を開いたりしやーせん。うぶで可愛い処女のままじゃ。おんしはそのまま土方くんば信じてやればえいがちや」

「てめぇはこいつの前で一体何を口走ってんだよおぉぉぉ!!」

「意地をはったげにいいことらぁて一つもない」

「だからってお前はめちゃくちゃなんだよ!」

勢いづいて土方の腕を握る手に力がこもり、ズキンとした痛みが響いた。
銀時がこうも取り乱すのも珍しいが、今の土方にはそれをからかう気力も残っておらず二人の会話をぼんやりと聞いている。
言われてみれば銀時から漂う酒気が濃く、それだけでもくらりとあてられそうな程だ。

「大体…俺がいつこいつを売女だ娼婦だ言ったよ」

「さっきゆうたが」

「本当っぽいんだよやめろそういうの!」

「え…?」

不意に、土方が顔を上げた。
そのわずかな反応を銀時は見逃さずに振り返る。
視線を合わせた土方は傷ついたように眉を寄せた。

(こいつ…)

その表情は銀時の胸に深く刻み込まれる。
数瞬の間、なにか言おうとした土方だが、

「………帰る」

結局なにも言わずに腰を浮かせようとした。
それを銀時は止めようと押さえつけ、

「言ってねぇから」

と、強く土方に訴えかける。

「言ってねぇから、そんなこと。お前のことそんな風に思った事もねぇ」

「…よ、ろず…」

「ゆうたゆうたー。わしはちゃんとこの耳で聞いたぜよ」

「てめぇは少し黙ってろ!!」

カッと坂本に食ってかかった後、銀時は膝をついて土方と目線をそろえた。
黒い瞳をのぞき込むとそれはつと流れて合わさるのを拒絶する。

「………あー、あのな…。とりあえず謝っとく。悪かった」

「気色悪い思いをさせたのは俺だ」

「そう自棄になるなよ」

「離せ、帰る」

「ひじ…副長さん」

「気持ち悪いんだろ。そんな男の体なんか触りたくねぇよなぁ。無理すんなよ万事屋」

「そういう意味じゃねぇよ」

「じゃあどういう意味だよ。もう、いい。もう聞きたくない。もう…お前は、疲れる」

「――――…」

今度は、銀時が言葉を失い口をつぐんだ。
気まずい沈黙が流れ、互いに口を開かぬまましばしの時間が流れる。
この前ここへ来たときは、こんな沈黙など一度も流れなかったのに。
酒を飲んで、戯れに話して、時たま笑みさえもこぼれた。
そして、膝に乗って、あり得ないほど接近した瞬間さえあったのに。
距離でいえばさしたる差はないのだが、どこか、果てしないほど遠くに互いを感じている。

「……疲れる…、そう、か…」

「…………」

「そうだよな」

銀時が声をおとし、土方もそっと瞼を閉じた。
もう、だめだ。
これ以上一体なにを頑張ればいい。
一体何を頑張れば、この男と細い糸だとしても繋がっている事ができる。
何度背中を押されようが結局は不甲斐ない自分には代わりはなかったのだ。

(……もう、無理だ)

「……副長さん」

「……………」

「俺は確かに、お前を娼婦だって言った」

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