たったひとつの言葉を 3
もし目の前にいるのが万事屋本人であれば、ふざけるなと殴り飛ばして『ンなことするわけねぇだろうが』と身の潔白を口にすることができただろうか。
そんな仮定を想定したって意味などありはしないのに。
どこか遠い意識の中、土方はまるで他人事のように考えた。
(俺は―――)
あの男の中にある、ひっそりと隠された魂に惹かれたのだ。
一見にして見えにくいそれは鈍く光る銀色のようで、その実目をこらして見てみれば直視できないほどに眩(まばゆ)く光るそれに。
けしてこの想い報われなくとも、せめて、そんな男に恥ずかしくない自分になりたいと思っていた。
他人に綺麗に見せたいなどという願望など露ほどもない、それはまことだ。
それは自分の中にあり、自分自身がぶれることなく持ち続けていればいいだけのモノだから。
なのに
『娼婦の真似事でも――…』
自分が、あの男の目にそんな風に映っていたことが、その事実を明るみにだされたことがこんなにも―――。
「わしにしとき」
まるで魂が抜け落ちてしまったかのように放心する土方に、坂本はそっと頬を寄せた。それから、そのこめかみに優しく唇を押し付ける。
土方は柔らかなその感触にも気付かずに、坂本の腕にひっかかる指先にわずかばかり力を込めただけだった。
(……―――いまさら)
こんな俺が何か言ったところで、それはあいつに届くのだろうか。
土方はわきあがる疑念に耐えるように下唇を噛む。
今更、何を言っても無駄なんじゃないのか。
もちろん男に足を開いたことも、そんな、連中に平伏すような真似をした事などは一度もない。
ここは武士の魂を侮辱された事に対し、激昂してしかるべきなのに。
全身を襲う無力感はそれとは違うもので土方を蝕んでゆく。
「土方くん…」
「……ち…がう…」
消え入りそうなか細い声が形の良い薄い唇から漏れでた。
坂本は黒い錦糸に唇を寄せて、その震える声に耳を傾ける。
「ちがう…、ちがう、俺はそんなことしてねぇ」
「わかっちょる」
「俺は」
「わかっちょる。わしはそんなこと思っちょらん」
「……坂本さん…」
再び胸に抱えこまれ、土方はたまらず額をその胸に押し付けた。
まるで甘えるようなその仕草。
愛しそうに瞳を細めた坂本は、スッと通った首筋をおもむろに吸い上げた。
「わしはのぉ土方くん、この肩に乗る重いもんばぁ軽くしてやりたい思うちょる」
「軽く…?」
「まだ出会ってちっくとしかたっちょらんが、なんじゃみょうにづつのうて仕方ない」
言いながら鼻先を当て肌を甘くあやすように唇が触れる。
土方はそれが何を意味するかなどわかっていないようで、されるがままにじっとしていた。
元よりそこまで頭を回す余裕が残っていないとも言えるだろう。
頭の中は坂本から聞かされた銀時の言葉でいっぱいだから。
鼻をかすめる酒の匂いにもさしたる意識も向かず、徐々に大胆な動きに変わるのを受け入れている。
「男の肌などあの惨事の中でしか恋しくなど思わなかったがに」
「っ、さ、かもとさ…?」
「まっこと不思議な男じゃ」
チクリと、痛みが走った。
強く肌を吸われようやっと土方は現実に引き戻った。
気付けば坂本が己の首もとに埋まり、隙間なく締められていたスカーフが緩んでいる。
抱き締められていたと思った体はソファーの背もたれに押し付けられ、自分より大きな体が閉じ込められるように上からのしかかっている。
(え、)
―――おかしい、何か。
「ちょ、なにして」
生暖かい吐息が胸元にかかり、土方はグッとその両肩を押した。
「あの、気分でも、崩しましたか」
「そうじゃの。けっこうがけに」
「気付かなくてすいません。すぐ水を…」
「いい。じっとしちょれ」
「っ、坂本さんっ」
スカーフを抜き取られ、二人の足元に白い布がパサリと落ちる。
シャツのボタンが鮮やかな手さばきで外されてゆき、白い胸板が露になってゆく。
体重をかけられ身動きの取れない土方の脳に警笛が鳴り響いた。
「やめ、て、くださっ…!」
しかし抵抗も虚しく着実に隊服が乱れてゆく。
坂本の膝頭が土方の中心に当たり体をのけぞらせて腰を引くが、ソファーとの隙間が無くなり余計動きを奪われてしまった。
首もとにゾロリと温かな粘膜が触れたと思ったら、またチクリと痛みが走る。
鳥肌が全身に走り、土方はふるりと体を震わせた。
「――っ、や、う」
中心を強く刺激され、徐々にそこが反応してゆく。
始めこそは気を向けないように努めていたが、しつこく刺激されればそこを感じないわけにはいかない。
土方の足の指が堪えるようにキュッと丸まった。
「っぁ、んっ」
反応せんと口をきつく結ぶ土方は、悔しげに眉を寄せて混乱のままに身をよじる。
酒気を帯びた熱い息がわずかに荒くなっているのが鼓膜を撫でた。
「さかもとさっ…悪ふざけがすぎますよ」
場の空気が一変し、土方は宥めるように、しかし語気を強くする。
「悪ふざけらぁてしちゃーせん」
「じゃあなんでこんな」
「わしはおんしをそういう目で見ちょったが。始めにゆうただろ」
「それは…」
『わしは美人が大好きなちや。土方くん、わしと一発ヤるぜよ』
確かに二人で呑んだ席で坂本がそう言っていたことを思い出す。
しかしそれはその場のジョークであり、悪ふざけと捉えて本気になどしていなかった。
それもそのはずだろう。
こんな筋肉もついてそれなりに身長もある可愛いげも何もない男と誰が抱き合いたいと思うものか。
土方はそう思って疑っていないのだから。
だからまさか夢にも思っていなかったのだ。
「―――…ほん、き?」
「わしはいつでも本気ちや」
遮光眼鏡をとったそこから見えた瞳は、土方が今まで見たこともない雄の光を宿していた。
(あ……)
ぞくりと、体が震える。この人は本気で自分を―――。
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