たったひとつの言葉を 2


「あ……」

中から出てきたのが想像していた人物とは全く違い、土方は鳩が豆鉄砲でもくらったかのように目を見開いた。
銀時より幾分がたいのでかい、黒髪の天然パーマ。

「こがな時間に金時に用事がか?別嬪さんがフラフラしてたら危にゃあて」

「さ、坂本さん…?」

「こんばんわ」

中から出てきて人のいい笑みを浮かべるのは土方の武器弾薬の取引相手であり、銀時の旧友でもある坂本辰馬だった。
すっかり拍子抜けしてしまい、常には見せない隙だらけであどけない土方に坂本は苦笑する。

「わしとしちゃあ予期せず別嬪さんに会えて嬉しい」

「あ、いや、すいません、ご訪問されていたとは知らず…っ、出直してきます」

「ちょい待ちぃ、待ちぃて」

踵を返して背を向けようとした土方の腕を坂本が咄嗟に掴んだ。
まさか来客中だとは、それも坂本がいるとは夢にも思っていなかった土方は恐縮そうに頭を下げた。

「すいません、お楽しみのところ」

「そんな逃げるように帰ることないきに、とって食おうなんて思うちょらんよ」

「そんな失礼なこと思っておりませんよ、俺はただ…その、邪魔してはいけないかと…」

「金時は留守じゃき。丁度暇しとったところじゃあ。おんしも上がって酒でも飲むぜよ」

「いや、俺は」

「金時を待ちがてら、のう?せっかく来たんじゃあ一杯くらい呑んでもバチなどあたりゃあせんじゃろ」

「わっ」

ぐいと力強く腕をひかれて、土方はされるがままに家の中へと引き込まれた。
言われて見れば酒の匂いがかすかに漂い、坂本はどうやら酔っぱらっているようだ。
土方は近藤しかりこの手の男には弱い節がある。
どんとかまえて気のいい大口で笑う男にはどうも強く出れない。
まぁ元よりこの手の男に弱かったわけではなく、近藤を慕っているが為に似た部分を持つ男に弱くなったと言ったほうが正しいだろうか。

(一人で呑んでたのか?)

家主の留守に一人で呑むなど、どうもこの二人は思った以上に深い仲らしい。
慌てて番傘をたたんだ土方はあれよあれよと言われるがままに居間に通された。
ソファーの前にあるテーブルにはつまみの乾きものと日本酒と、二人分の猪口が置いてある。

(あれ?)

「ささ、汚いところじゃけど好きに座ってくつろいちょれ」

「よろず…あ、坂田…さんは、さっきまでご一緒だったんですか?」

「んー?」

土方の視線の先に猪口があることに気付いた坂本はああと漫画のように拳で掌をポンと叩いた。

「電話で呼び出されての」

仕事かなにかなのだろうか。
これでは一体なんの為に来たのかわからない。

(いつ戻ってくんだ)

しかし戻ってきたところで坂本がいるこの状況では本題を切り出すなど到底無理だ。
謝るどころか意味もなく訪問したと捉えられて、相手に不快感を与えるだけで終わってしまいそうである。
やはりここは出直した方が…。

「こがな時間に一人にされて、暇にしとったところじゃき」

「はあ…」

しかし嬉しそうに酒をつぎはじめた坂本にそうきりだすのもはばかれる。
元々置いてあった猪口になみなみと酒をついで押し付けられたそれを土方は反射的に受け取った。
銀時が使っていた猪口だ。
それをとやかく言うような性分でも、同じ器を使うことに浮かれるような歳ではなかったが、なんとなく気まずい。

「偶然の出会いに乾杯じゃ」

隣にどかりと座った坂本は土方の肩に腕を回してグッと引き寄せると、猪口を軽く上げる。
土方も一杯くらい呑んで、銀時が帰ってくる前に帰ろう。そう思って猪口を軽く上げた。

「乾杯」

かつんと鈍い音をたてて互いの猪口が触れる。
坂本が一気にそれを煽り、そうなっては土方も飲み干さないわけにはいかない。
連日の失敗もあり呑みたくはなかったが、一気に酒を咽に通した。

「おお、いい呑みっぷりじゃあ」

坂本は嬉しそうに笑って再び杯を満たした。

「俺がつぎますよ」

「いい、いい。今日はそんなかたっ苦しくしちゅーないんじゃ」

言いながらまた杯を空にした。
この人、本当に強い。
この前呑んだ時も思ったが、たぐいまれない酒豪である。
呑みたくは、ないが、土方も杯を空にする。
胃に落ちたその液体は体をカッと熱くした。

「頑張るのぉ」

「明日も仕事なのであまりお付き合いできませんが」

「土方くんはまっことかわいいきに。わしゃあ頑張り屋さんは大好きじゃき」

「かわっ」

「モテるじゃろ。その上こげな別嬪さんじゃあ引く手あまたで毎日大変じゃろ」

「ちょ、え、坂本さん!?」

突然広い腕の中に納められ、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる坂本に土方は目を白黒させて驚いた。
一体なにがどうしたというのだ。
男に抱き締められるなど土方には予想外な出来事で、動転してたくましい胸板を押し返す。
しかし遠慮も入りあまり邪険にも出来ず、坂本はぴくりとも動かない。

「さ、かもとさ…あの…」

「んーいい匂いじゃき」

「煙草の匂いしかしないでしょう」

「ほがなことない。抱き心地もしょうえいし、気分も落ち着く」

「しょうえい…?」

聞き慣れない言葉に土方は小首を傾げた。
おそらく土佐の言葉なのだろう。

「土方くんにゃあ恋人はおるが?」

唐突な質問に土方は何を聞かれたのかすぐにはわからなかった。
なぜこの流れでいきなりそんな事を聞くのだろう。
そう思ったが、土方は小さく首を横に振った。

「いえ」

「惚れちゅう人は?」

瞬間、息が詰まった。
土方の頭に過ったのは銀髪の男。
気だるげで、死んだ魚のような目をしている、同じ性を持つあの男だ。
男が男に惚れているなど、世間はそれを認めてなどくれはしない。
気の迷いか、気違いのそれと思われるだろう。
それ以前に自分があの男に惚れるだなんて、そんな資格などありはしないのだ。
どうあがいても届かぬ恋慕。
人に言うのもはばかれる。
土方は胸がぎゅうと締め付けられるのを感じ、ゆっくりと瞳を閉じた。

「……いえ」気を抜けば、近くにある人の体温に擦り寄ってしまいそうだった。
力強く抱きしめらるがままに。酒が入り余計に気が小さくなっているのだろうか。
弱っていることはわかっていたが、どうやら想像以上に自分は打ちのめされているらしい。
男に擦り寄りたくなるなどどうかしている。
土方は心の中で己を自嘲した。

(……最悪だな)

「ほんなら…」

意識を他にやっていた土方だが不意に肩に回る手に力がこめられ、

「っ、」

途端に目の前の男に戻される。さっきまでひょうきんだった声音が一つ落とされ、真剣味を帯びたそれを直接耳の中へ吹き込まれた土方の背を、なんとも言いがたい疼きのような微細な電流が走った。
残っていた隙間もなくなるほどに抱き寄せられる。
土方の頬には厚い胸板があたり、坂本は癖のない黒髪に顔を埋めた。

「ほんなら、わしが口説いてもいいかぇ」

「――は?」

今度こそ、理解の範疇を越えた。
今この人はなにを言った?
腕の中で体を固めた土方を、坂本は変わらぬ力で抱きしめ続ける。
戯れに、ふざけて、いるのだろうか。
そう思うにはいささか空気が重い。

「あの」

「こがーに濡れて、なんぼ外にいたが?」

「そ、れは、歩いて来たからで」

暗に外で立ち竦んでいたことを事を言い当てられたかのようで、土方はドキリと心臓を跳ねさせた。

「風邪でもひいたらどうするが」

「そんなやわな体はしていませんよ」

「わしだったらこがな事をおんしにさせにゃあて」

「坂本さ」

「金時は酷い男ぜよ」

「――――……」

なぜ、ここで万事屋の名前がでてくるのだ。
土方に一種の焦燥が走る。
まさか見透かされているのか。
まだ、幾度も会ったことのないこの男に。
心に秘めている己の最たる秘め事を。

「なにを急に」

土方はなんでもない体を装い、腕の中でもぞりと動く。
うまくできた隙間から顔を上げて、坂本が常にかけている遮光眼鏡越しにその優しげな目元を覗き見た。

「土方くん」

「あいつは今関係ないでしょう」

「土方くん、金時はの、土方くんの事を誰にでも足を開く売女ゆうちょった」

しかし、まっすぐ見返してきた坂本が告げた予期せぬ言葉は、土方をピシリと凍りつかせる。――――売女。
その言葉が強く土方に叩きつけられた。
ドクンと一つ心の臓がとび跳ねたと思いきや全身からサッと血潮が引いてゆく。
全身から力を奪われていくような、そんな感覚が土方を襲った。

「真選組の為ならなんでもやりおる。例え娼婦の真似事でもやりおー男じゃあて」

しょうふ。
しょうふとはいったいなんのことだ。

(……あ、…あ……)

娼婦。
見開かれた黒曜石のような瞳に、ぴしりぴしりと亀裂が刻み込まれてゆく。
坂本の言葉の意味を理解するにつれて、陶器のような肌は血の気を失っていった。

「もちろんわしはそがな事思うちょらんよ」

「――――――」

言葉もなく唇を戦慄かせた土方の頬をそっと捉えた坂本は、小さな額に己の額を寄せる。
そして瞬時に凍てついた瞳に己の姿を映した。

「だからあげな男はやめて、わしにしとき」

酷く優しい、声音だ。
それはまるで土方を真綿で包んで、

「わしにしとき」

ゆっくりと締めてゆくようで。


『むしろお前も望んでて。それが売りってわけか。男同士で気色悪ぃ』



あの時あの瞬間、わかっていた、ことのはずなのに。







110531

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