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大学の図書館の閉館時間ギリギリまで残って土日用に持ち出し禁止資料をコピーして、一番近い展望テラスのテーブルで切りの良い所までまとめる。少し読んでいたら没頭してしまい、コピー用紙から顔を上げた時にはテラスはすっかり夜空の緞帳に覆われていた。

座ったまま伸びをすると手首と指の関節が何本か軽い音を立てる。ずっと隣で大人しくブロックマンのグリッドシステムを関心深そうに眺めてたドフラミンゴさんも本から顔を上げて、何か飲むかと聞いてくれた。珍しく気が利くなぁなんて言うと何かしらの反撃が返ってくるだろうから言わないで頷いて、お茶系でと小銭を渡すと受け取って椅子から立ち上がった。
もう帰る準備を整えなくてはと思うけれど、その思いに反して目の前の紙束を片付けるのが酷く億劫だ。思えば途中から全然頭に内容が入ってきてない気もする。

「xxxちょっと来い」

ボタンを押す音と飲み物が落ちる音がした後に少し間があって、テラス手前の通路にある自動販売機軍団の影から体半分出してドフラミンゴさんが俺を呼んだ。



「や、っば!」

「フッフッフッ!」

見て違和感に気付くと吹き出した。

自動販売機の取り出し口に、みっしりと缶が詰まっている。
さっきの音は一本じゃなくてまとまって全部落ちてきた鈍い音だったようだ。お金入れて綾鷹のボタンを押したら、全部落ちてきたらしい。ドフラミンゴさんこういうボタン押しちゃいけない機種なのかな。駅の券売機壊して以来久しぶりだ。一通り笑い終わったのに、1本取ろうとしても大量の缶とペットボトルの重みで取り出し口が開かなくてまた吹き出した。結局ドフラミンゴさんが器用に内開きのフラップを外してしまって、綾鷹は取れた。

「あれ、なんで冷たいやつなの」
「ん?暑いだろ?」
「え?どっちかというとちょっと寒い」

俺の言葉に紫のサングラスの隙間の眉間が少し動いて、しゃがんでたドフラミンゴさんが立ち上がって俺の額に手を当てた。
常時ご機嫌ポーカーフェースな口元がへの字に曲がる。人間の平均体温に合わせてあるはずの指先が冷たく感じるのは今ドフラミンゴさんが冷えたアルミ缶とイザコザを起こしていたからだけではないらしい。


「37度7分」



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帰ってきて風邪薬を飲むために何か食べ物をと思うけれど、そのまま食べれるものは豆腐しかなかった。段々ぼうっとしてきた意識に対して冷たくて気持ちいい絹豆腐をほとんど噛まずに嚥下する。あれ、俺どうやって帰ってきたんだっけ。バスだっけ。ぼんやりとしていたらいつの間にか薬も飲んで着替えていた。明日は何ゴミだっけ。

「口開けろ」
「ん、やる」

危ない、歯磨きされるところだった。洗面台の白いライトが眩しい。最近替えたばかりの歯ブラシを長い指から受け取ってミント味を口に含むけどあんまり腕に力が入らない。気がつくと体を休めるためにはあとは布団を被るだけになっていた。そういえば俺、玄関の鍵閉めたっけな。色んな感覚が鈍って停滞前線みたいにのっそりと遅れてくる。それでも何もかも安心しきって眠りにつけるのは、ドフラミンゴさんがいてくれて俺が1人じゃないからだ。パソコンは人間よりも忠実に人間の代わりを務める。


「今どんな感じだ」

今日は一緒に寝てくれないらしいドフラミンゴさんがベッドサイドから俺の微熱を閉じ込めた頬を手の平で撫でる。今度は温い。いつもより感情を含んでない声は機嫌が悪いだけじゃなくてやるせなさと少しの寂しさに拗ねた感じを声の底に内包してる。こんなに人間みたいに複雑な感情の表現も出来るし、パソコンだから風邪がうつることはない。
背にした常夜灯のオレンジと同じくらいの弱さでぼんやりとサングラスが紫に光ってる。体温計までこなす万能なドフラミンゴさんの目にはさっき俺がサーモグラフィみたいに映っていたのだろうか。いつもはどう映ってるのか、気になる。

「ねつ、何度」
「38度2分」

上がってる。何熱だろうか。前触れなく出たからわからない。身体中の細胞が逆上せて骨と骨の間が音を立てて軋む。今どんな感じかの問いに答えようと考えながら、体を労わるようにそろそろと横になる。
息が苦しくて煩わしくて、体のそこら中に錆びた心臓があるみたいで重くて、頭の中で子供の頃から熱が出ると必ずみる遠近感がめちゃくちゃな夢が何度も思い出せるかんじ。そう言いたかったけどあんまり上手く言えなかった気がする。

目を瞑った俺が最後に見たドフラミンゴさんはへの字の口のままだった。


「俺は夢みねェな」



俺がきっかり眠ってしまったタイミングで、冷えピタの貼られた俺の額に中途半端にかかる前髪を指2本で梳く様にどける。

ドフラミンゴさんは時々こうやって俺が気付かない間に、大事な鉢植えの小さな芽が日々成長しているのを1日1回確認するみたいに、そこに確かにあるのを何度でも実感するためみたいに触れる。バレたって構わないのにバレないように隠れてする。もしかしたら俺が眠った瞬間がいつかわかるのかもしれない。
眠っていなければここにいるよってすぐに言うのに、その手は俺を起こさないようにそうっと影みたいに重み無く額を覆うだけで俺に返事する事を許してくれない。無口で無償の親愛の情だ。パソコンはみんなこうなのだろうか。俺には返事をさせて欲しい。何かお返しをさせて欲しい。本当に何にもいらないの。人間なら誰しも貪欲に返事が欲しいし、あわよくば見返りが欲しいのに。


パソコンが人間の形をしてるのはどうして。
パソコンが人間だったらいいのに。

パソコンは人間をどう思ってるの。




そうか。
カガはニルちゃんが好きなんだ。




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