「最近、きれいになったな。」
子供を産んで、育児で忙しくて、身なりにも最低限のことしかしていないはずなのに、そういわれた。
神田さんが訪れている間は、子供のことはばあやに任せている。神田さんは最初こそいぶかし気だったけれど、今ではばあやがいないことに適当な理由を見つけ当たり前だと考えてくれるようになった様子だ。
「そうですか?」
神田さんは私の頬へ手を伸ばして頷く。
「何かあったか?」
「それほど、何があったというわけではないんですけど・・・おじいさまがよくなって憂い事がなくなったからかもしれません。」
自分でも理由などわからなかったからそう誤魔化すことにした。
「そうか」と神田さんはそれ以上触れることはなかった。ふとそう思っただけだったのだろう。
そのとき、遠くから赤ちゃんが泣く声が聞こえた。
「・・・?この声、」
私は一瞬ひやりとしたけれど、こういうことになったときに備えて、ずっと言い訳を考えてきたので、落ち着いて、神田さんに説明した。
「実はね、神田さん。今ばあやのお孫さんを預かっているんですよ。」
「あのばあやのか。」
「だから、最近ばあやが私たちを見張らないでしょう?少し私も手伝うんですけどね、ばあやったら、最近あまりがみがみ言わなくなったんです。言う余裕がないのかもしれないのけれど。」
ふふふ、と私は笑って見せる。
「それなら、こっちもしたい放題って訳か。」
「したい放題ですか?」
「そうだな、たとえば、」
と言って神田さんに唇を少し吸われた。
突然のことに、顔を真っ赤にする。
「もう、ちゃんと心の準備をさせてください。」
少し怒って言うと神田さんはいたずらが成功したかのように意地悪く笑った。
幸せだと思う。こうやって、心穏やかに愛を受けることができる日々を。神田さんといるこの瞬間がくるだけで、待っている間の不安にまた耐えられる。
きっと赤ちゃんのことを打ち明けたら、家族として、私はもっと幸せになれるのだという予感はある。それでも、やはり赤ちゃんのことはいう気にはなれなかった。私を必要とする赤ちゃんのことを思うと、なんの不安もなく幸せになってほしかった。
神田さんはばあやが赤ちゃんを寝かしつけて戻ってきたタイミングで帰っていった。
「またしばらく来ないが、大丈夫か?」
「ええ。今はばあやのお孫さんとも一緒に楽しく暮らしていますから。」
「妬けるな。」
軽口を言いあいながら、見送る。神田さんは私の額にキスをして帰った。
私はその後ろ姿をしっかり目に焼き付ける。これがもしかすると最後かもしれないという恐怖を感じるとともに、もしそうなっても受け入れる覚悟を持って。
今私には赤ちゃんがいる。そのことによってなぜか私は、前よりも神田さんを見送る自分が強くなっている気がした。
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