「レイ、どうしたの、お腹空いた?」
子供の名前はレイと名付けた。レイは黒髪や目の形は神田さん似だけれど、瞳の色は私の色をしている。
レイはよく泣いた。お腹が空いて泣くときもあれば、理由なく泣くときもあった。あやしても、ガラガラを振って見せても、泣き止まない。
「蓮のお花、見に行く?」
そんなときなぜか、庭の池で蓮の花を見に行くと泣き止む。咲いていてもいなくても、眺めるだけで泣き止む。
それはまるで、一度もあったことのない父親を恋しがっているかのようだった。
レイが生まれたのは、蓮の咲く季節で、さらには、蓮が咲く朝の時間帯のことだった。それが理由で、まるで神田さんが蓮を通して全てを知っているのではないかと、怖くなったこともある。
レイは今日も蓮の花を眺めに行くと泣き止んだ。笑顔さえ見せている。
「お嬢様、こちらでしたか。」
「ばあや・・・赤ちゃんって、時々恐ろしいほど賢いの。見たこともないはずの父親を思って、泣くのよ。」
レイのこの行動を見るたびに、私は自分の決心が揺らぎそうになる。子が親を求めるのなら、本当は子の存在を知らせ、会わせ、愛を注がせるのが一番なのではないか、と。
でも私は、そんなとき、両親が亡くなったときの自分の悲しみようを思いだす。そうして、あんな思いをレイに味合わせるくらいなら、と決心を強める。
「それでもお嬢様は、あの男に知らせないんですね。」
「うん・・・この子に、親を亡くす悲しみなんて、いらないもの。」
神田さんから聞いた。AKUMAは愛する人を亡くし悲しむ人が千年伯爵の甘言に惑わされ生み出すのだと。きっと私は、ばあやがいなかったらAKUMAとして、神田さんと出会う運命だったのだろう。
ばあやはあの時の私の様子がどれほど悲惨だったかを知っている。
私がそう言うたびに、ばあやはきっと、神田さんに真実を打ち明けるのを思いとどまるのだろう。私はそれに気が付いていながら口にする、ずるい女だ。
「お嬢様、ですが、」
「ばあやは、意外と神田さんのことが好きなのね。」
「違います!私は、お嬢様に家族を持ち、幸せになっていただきたいのです。愛する人を亡くした悲しみは、痛いほどわかります。あの男がいつ死ぬか知れなくて、レイ様が悲しい思いをしてしまうかもしれないことも、わかります。ですが、それでもレイ様にはお嬢様がいらっしゃるではありませんか。お嬢様には私がいました。今度は、レイ様にはお嬢様がいます。それではいけないのですか?」
「ばあや・・・」
「ずっと一人、育てるのは大変です。それに私だって、いつお迎えがくるかわからない年齢なのです。もし私がいなくなった時、お嬢様が大丈夫なのか、私は心配でなりません。」
「そんなこと言わないで。」
「ですが、それが本当のことですよ、お嬢様。私を、このばあやを安心させるためにも、どうか、お考え直しください。」
ばあやの言葉は切実そのものだった。
私は腕の中にいるレイを見下ろす。レイはこちらを見つめ返し、「あ」と小さく声を出した。それから、蓮の花をまた眺め始める。
きっとこの子は、父親を求めているのだ。そして、私も同じなのだ。そう思った。
「・・・ばあや、ありがとう。」
長考の末笑みを浮かべた私に、ばあやはしみじみと頷いた。
*
町の大通りから外れて、細い路地を通り抜け、郊外に出ると、そこには、ひっそりと屋敷が佇んでいる。
「レイ、ただいま。」
「母様おかえり!」
そこには、少年が駆け回れる庭や、きれいな蓮の花を見ることができる池があった。
「レイ、今日は父様も一緒。」
「父様だ!」
「でかくなったな。」
屋敷に住まうのは、美しい男女と、彼らの子供。
「また来たのかいあんた。暇人だね。」
そして屋敷の使用人。
つつましく優しい家族の姿が、そこにはあるのだった。
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