科学班の薬を重宝する日が来るとは夢にも思わなかった。
エクソシストが集められ行われた説明会でキラは試作品だという薬をエクソシストに見せた。
「傷口に蓋をするようにたっぷりと塗るのをお勧めします。ベタベタするのは材料の関係から仕方がありません。」
キラが作ったのは傷薬だった。どんな傷にも万能らしい。最大5ミリの深さの傷まで対応可能。傷口の消毒・保湿・治癒促進など様々な効果があるらしい。
「まず私が塗ってみせましょう。」
キラは紙を用意してぴっと自分の指を切った。
「おい!」
誰も予想だにしなかったことである。その場にいた全員が驚いていた。
「何しているんですか!?」
過ぎた後では遅いがモヤシがキラの腕を掴む。
「いくらなんでもそれは極端すぎるさ。誰か怪我人探すとか、あるはずだろ?」
「探す手間がもったいないので。」
「もったいないって、またそれなの?」
「時間を浪費しないことは重要です。時間は有限ですから。」
モヤシの腕を外し、薬を手に取ったキラは先ほど切った指に薬を塗った。
「カウントします。さん、に、いち、ぜろ。」
なんのカウントか、と問う前にカウントの意味を俺たちは目撃した。
キラの指に塗られた液体が蒸気をあげはじめ、みるみる内に蒸発していく。全員がその様子に驚き、じっと目を凝らした。蒸気がなくなると薬はどこへいってしまったのか跡形もなく、キラの切れた指は元通りになっていた。
「す、すごいである!」
クロウリ―が第一声を上げた。この引っ込み思案で気弱な吸血鬼はキラの発明を見て飛び跳ねそうな勢いである。
「確かにこれはすごいな。」
「キラちゃんすごいわ!」
続いてマリ、ミランダがコメントをした。口々にキラの薬の称賛を始める。
「やっと科学班からまともな薬がでたさぁ。」
のんびりとした馬鹿兎の声に全員が深く賛同した。これまでの科学班による被害を考慮すると当然の反応だ。
「どうもありがとうございます。各自に配るので次回の任務で使った場合、その結果を事細かに報告してください。特に寄生型のアレン・ウォーカー。自身のイノセンスに塗る機会があれば100の質問を用意していますのでお答えください。」
「ひゃく、ですか・・・」
「ええ。その報告次第ではコムイ・リー室長の治療を受けずに済むかもしれません。」
「やります!」
キラは一人一人に試作品の入った小瓶を手渡していく。手のひらで包み込めてしまうサイズの小瓶の中身はどろりとした透明の液体。先ほどキラが見せた通り驚くべき効果を持つ液体で。素晴らしいという評価が与えられる代物である。しかし俺に必要があるのかと言われれば疑問に思うところではあった。5ミリほどの傷などすぐに治ってしまう。わざわざ塗る意味がわからない。
「では解散です。」
全員に小瓶を手渡し終えたキラが解散を告げるとエクソシストが散り散りになっていく。鍛錬に行こうと俺もキラから背を向けようとした。
「神田ユウ。」
名前を呼ばれた。こいつに出会ってからずっと疑問だったが、なぜキラはフルネームで名前を呼ぶのだろう。マジでロボットみてぇだ。
「なんだよ。」
「・・・塵も積もれば山となる、ですよ。」
「どういう意味だ。」
「あなたのことを知るのはコムイ・リー室長だけではないということです。」
「!!」
キラの言っている意味がわかり自分の体が緊張するのがわかった。こいつ、俺のこと知ってやがる。
「どんなに小さな傷でも、エネルギーを吸われてしまえば同じことです。この薬はその小さな傷に無駄なエネルギーを割くのを控えさせるものですよ。」
"命"を"エネルギー"と言い換えたことで事情を知らぬやつに感づかれぬようにしようとしたようだが、聞きようによっては何かが隠されている風にも捉えられる会話だった。他の奴らが勘ぐり出す前にこの会話を終わらせたくて俺はキラを睨みつけた。
「るせぇ。俺の体だ。」
「いえ、あなただけの体ではありません。」
「あ?」
いったい何を言い出すのかと思えば三流のベタな恋愛物語か何かを思い起こさせるような言葉がキラから吐き出された。
まさかこいつ、俺のこと心配してるのか?
「塵も積もれば山となるは建前の部分が大きいです。神田ユウの体は特殊ですので私の試作品の効果をしっかりと見届けねばなりません。実際あなたにも100の質問を用意しています。全員の前では言えないことですが。とにかくあなたの体は現在あなただけのものではなく私の研究のためのものでもあるということです。」
・・・期待した俺が馬鹿だった。
「ですのでご協力を。」
「めんどくせぇ。」
「そうですか。頑張ってください。」
「やらねぇっつってんだよ!」
面倒くさいの意味を履き違えられつい強く訂正してしまった。キラがぴんと固く背筋を伸ばしたので、きっと驚いたか恐怖したのだろう。瓶底メガネのせいで目が見えないので、どうも感情は読めない。
「そんなにやりたくありませんか。」
キラの声のトーンが低くなった。
「面倒だ。」
「やりたいかやりたくないかを質問しているのですが。」
「・・・やりたくねぇよ。」
キラの声の低さは圧力があり、俺はそれに押されて質問に答えた。
正直やりたいとかやりたくないとか特に思っていなかった。薬を塗っても意味がないとは思っていたが、好奇心からきっと俺は使うだろうしそして使ったのだから任務の報告書を書くついでに薬の報告書を書いただろう。しかしキラが求めていた問いの答えはやりたいかやりたくないか。どちらでもないと答える選択肢もあるにはあったが、どちらでもないと答えるとほとんどやりたいという意味を含みそうだったので、それが嫌で辞めた。
「神田ユウは私のことをバカにしていると思います。」
「んだよ急に。」
「出会った時からそう思っていました。そして神田ユウは私が時間をかけて作ったその薬を使わないという選択肢で私をバカにしています。こんな薬が何になるのだと。言い方を変えれば、軽んじているということです。」
キラの言葉に何も返せなかった。
キラの言葉が的を射ていたことによる衝撃ではなく、ロボット人間に見えていたキラが拳を握りしめ怒りで声を震わせていたからだ。顔は赤く、キラが言葉を言い切った後に結んだ口元は震えている。
「表向きは低いようでも高いのがプライドってやつです。私は人並みの感受性を持ち合わせています。そして年齢からすれば思春期。厨二病の可能性がある年齢でもあります。馬鹿にされる、軽んじられるということがどれほど個人の存在意義に対する自信を揺する行為かを認識してください。」
難しいことを言われて、頭がちんぷんかんぷんだが、なんとなくこれだけはわかった。こいつは自分のプライドを傷つけられて悲しいのだと。それからキラは一筋涙を流した。ぎょっとする。それほどまでに傷ついたというのか。
「・・・私は強制はしません。あくまでお願いをするだけです。薬を使い、報告書をあげてください。宜しくお願いします。」
キラはそう言って去った。これからまたあの機械のように仕事を宣言通りに終わらせにかかるのだろう。
俺は、自分の掌に包まれた小瓶を見て、治りかけの傷に塗ってみた。少し前の任務でおった深めの傷だ。カウントした。さん、に、いち、と。すると先ほどまで苦労していた地味な痛みが消え去って、傷跡もなく傷は治った。
- 3 -[*前] | [次#]
top main novel top