すごい、というのはもしかして悪い意味じゃないか、と疑い始めたのはキラと出会った翌日のことである。
たまたま科学班に用があり赴くと前日に風呂に入ったはずなのになんだか汚い見た目のキラがいた。
「コーヒーいる人ー?」
昨日キラを風呂に入れてやったはずのリナは、キラの方を見ると哀れそうにしていた。
「おい、あいつ風呂に入れたんじゃねーのかよ。」
「ああ、それが・・・」
落ち込んだ様子でリナは語り出した。
「お風呂に入れたところまでは良かったのよ。時間をかけて洗ってあげたし。」
「洗ってあげた?」
「お風呂に入ると眠くなっちゃうみたいで。危なっかしくて洗ってあげたの。」
生活能力ゼロかよ。
「お風呂から出たら、それまで眠そうにしてたのが嘘みたいにしゃっきりしたんだけど、替えの洋服を用意してなかったみたいでそのまま同じものを着ちゃって。新しい服を持ってくるから待っていてって言ったけど時間がもったいないって聞かなくて。仕事が結構たまってたみたい。」
昨日ただ案内しただけで気がつかなかった。ある意味俺のせいだろう。しかし風呂まで連れてったやったところまでは蕎麦をぶちまけた俺がとってやらねばならない責任だろうが、服の心配までしてやる必要があるだろうか。
俺はとにかく自分の責任は果たしたはず、とキラの残念さを自分のせいではないことにする。そもそもの性格が残念だから風呂に入った翌日でさえ汚いのだ。
「一応、キラから許可をもらって部屋から新しい服を持ってきたんだけど、することがひと段落したら着替えるって言って、半日がすぎちゃったわ。」
俺はちらりとキラを見た。デスクの上には紙の束があり、キラの瓶底の半分くらいから上しか見えないほど積まれている。見える白衣はそばつゆのまま。ときおり持っているペンで頭をかいたりするものの、デスクから目を離すということは一切なかった。自分の世界へととっぷりとはまっている。
「正確には12時間と49分ですよ、リナリー・リー。」
きっと集中していて話など聞いていないだろうと高を括っていたが、どうやら話を聞いていたようだ。
「あなたが私に服を持ってきてくれたのが今朝の7時33分でした。そして今は午後8時22分。あ、もう23分になりましたね。計算して12時間と50分です。」
リナと俺は思わず目を見合わせていた。キラのデスクをのぞき込むと、キラが手を動かしながら話していたということに気が付いた。さらに驚くべきことにキラのデスクにも腕にも時計らしい時計はなかった。周囲を見回してもぱっと目につく時計はない。壁に掛けられている時計は、視力のいい俺ですら見えないほど小さなものである。ましてや分刻みで読めるはずがない。
こいつ、化け物か。とつぶやきそうになる。
「私がどれほど着替えをしていないかを強調したかったように聞こえていたので、きちんとした数字があったほうがより神田ユウを驚かせられると思ったのですが、余計でしたか。」
「いえ、ありがとう・・・」
「どういたしまして。」
キラはそれ以降ぴたりと言葉を発するのをやめた。どうやら本当にリナの話の補足がしたかっただけらしい。よくよくキラの方へ意識を集中していれば、奴が近くにいる奴らの会話を拾っては補足をしているのが聞こえた。キラのデスクの周りにいるメンバーはキラとの距離が俺らより近かったので、俺は気づかなかった。
「聖徳太子か。」
突っ込みにも似たつぶやきが漏れた。
「聖徳太子は同時に人の話を聞くことができたといわれているので、今私が行っていることは少し違います。二人の話を同時に聞くということですら人間は困難なので、聖徳太子もできたとは思えません。そもそも聖徳太子は実在したのかというところから疑問です。」
拾われた。
「そうかよ。」
間違いを指摘され、少し腹が立ったのでいつもよりも口調がぶっきらぼうになる。
「キラ、もうそろそろひと段落しそう?」
「はい。あと2時間13分といったところです。」
「何か飲み物いる?」
「いえ。飲むとトイレに行きたくなるので。そうすると遅れが生じます。なので2時間13分後にホットチョコを。」
「わかったわ。」
ちょくちょく、キラの言葉に苛々するのはなぜだろうと原因を究明したら、キラの口から無駄に正確な時間が発せられるときにそう感じるのだと気が付いた。リナは全くイラついていないようだ。それどころか、ホットチョコという手間のかかる飲み物のオーダーを受け付けた。おそらくこれは一度や二度のことではないのだろう。まだここにきて七日目の新人は古株に飲み物を(聞かれたからだが)要求するほど図太いらしい。
本当にこいつが2時間13分後に仕事を終わらせ切るのかが気になって俺は科学班にとどまってキラの仕事の様子を観察することにした。勝手に椅子を引っ張り出し、キラの手元が見える場所に座る。
「あ、神田、見学するの?」
「は?」
椅子を用意して座ると、ジョニーから声をかけられた。
「いや、キラが来てからさ、ちょくちょく神田みたいに椅子を置いてキラを見る奴がいるんだ。俺らは仕事しながらキラの様子見学するんだけど、科学班じゃない人は神田みたいに椅子を用意してじっとみてんの。たまにストップウォッチ持ってくるやつとかもいるよ。」
一体、何の話をしているのだと眉を顰めると、ジョニーが「あれ?知らなかった?」と首を傾げた。
「私が仕事が終わる時間を正確に伝えるので、実際にそうなのかを見に来る人がいるんです。」
またキラだ。
「結果はお楽しみってことで。キラが書類を重ねてくタイミングとか計ってみるのも楽しいよ。」
ジョニーが俺にストップウォッチを渡し、簡単に説明をした。右が残っている仕事の束、左が終わった仕事の束らしい。
「ちなみにあと2時間9分です。」
キラが左側の束に書類を重ねたときにストップウォッチを押すと、キラが俺の手助けをするためにあと何分かを伝えた。まだ七日しか経っていないが少なくはない数の人間が見学しに来たようで、手慣れた響きがあった。
俺はめんどくさいよりも興味が勝って、2時間9分の間ずっとキラを見続けた。
2時間8分30秒の時、キラの手は書類の末尾を埋めている最中で、俺はその時から秒読みを始めていた。刻一刻と迫る予定時間。残り10秒からは結果を楽しみにするためにストップウォッチを見るのをやめ、キラが左の紙の束に置く瞬間にボタンを押すことだけに専念した。
結果は一目瞭然。ストップウォッチの示した時間は2:09'00'221。秒数までぴったり正確であるのは予想だにしていない出来事であった。実は書類1枚1枚のキラの処理時間がどれも一定だった。
「では、着替えてきます。10分後に戻るので。リナリー・リーが私の居ないまにホットチョコを持ってきてくれたらデスクに置いておくように頼んでください。」
「おっけー。」
キラは俺がタイムを計っていたことを知っていながら結果は気にならないのかそのまますたすたと歩き去っていった。
これまた10分後きっかりに席についたキラ。追加の仕事を手に持っていた。
「キラほんと助かるよ。」
「天職ですので。」
さらりと科学班という重労働を天職だといってのけたキラに俺は目を見開く。そのときリナがホットチョコをもってきてキラの机に置いた。
「ありがとうございます、リナリー・リー。」
「どういたしまして。」
リナはホットチョコを置くと俺の方を振り返り、どうだったかと聞いてきた。無言でストップウォッチを突き付ける。
「今回もぴったりね。」
「じゃあいつもこんな感じか。」
「ええ。一度も遅れたことはないの。すごいよね。」
「お褒めいただき光栄です。」
なんて化け物。いや、機械。アンドロイドだと思った。
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