薄れる意識の中で、最初に浮かんだのはあの人のことだった。
そのすぐあとに、キラの顔が浮かんだ。キラは目の周りを赤くして、涙をこぼしてしゃくりあげ始めた。それは、ついこの間の記憶で、キラは自分にかかったプレッシャーから涙を流していたはずだったのに、今の俺の目には、俺がいなくなるのを悲しんでいるように見えた。いや、そうであって欲しいという俺の願望なのだろう。
俺は、このまま死ぬのか。
その考えは到底ありえないはずだった。まだ俺は命を使い果たしていないはずだ。それに俺はまだ死ねない。
死なないと分かっていても、重傷を負うことでさえ耐えがたいものがある。命が削れていくことに耐えられないのではない。キラに悲しげな顔をさせるのが耐えられないのだ。あの日の、キラの自室ですがられたように、俺を頼りにさせてやりたくなる。
このまま死んでキラがもっと悲しむとしたら、いっそう耐え難い。
もう一度はきちんと思う存分泣かせて、今度こそは背を撫でて慰めてやりたいと思っていたのに、死んだらできそうにない。生きていたとしてもしばらくはできそうにない。
ああ、キラが悲しんでいてくれたとしたら、すぐにでも慰めてやりたい―――
*
「ああ、目が覚めましたね」
早朝の光はキラの肌をうすぼんやりと光らせ、神秘的な色をつけていた。
「……てんしがいるのかとおもった」
まだ覚醒していなかったせいか、胸のうちで思ったことが口にでた。
「眼鏡、かけていますけど」
「……ああ」
キラは奇妙そうに眉をしかめる。分かっているという意味で返事をすると、ぽっと頬を染める。
頬の色が、キラをよりいっそう綺麗にした。
「ここは、教団か」
「いえ、神田ユウの任務地から一番近い病院です」
今度は俺が奇妙そうに眉をしかめることになった。キラがわざわざここにくるなんて、しかも教団での仕事を置いてまでここにくるなんて奇妙としかいいようがない。
わざわざ俺を見舞いにきたというのか。
そうであったらという淡い期待が起こる。
「……仕事、いいのかよ」
「仕事と同じくらいの重要度ですから」
キラが微笑む。だんだんと外が明るくなっていくのもあいまって、神秘的な美しさが増した。
「はっ、そりゃ光栄だな」
俺はきれの悪い皮肉の言葉を口にする。目が覚める前、焦がれていたキラが夢の中以上に綺麗で、頭が少しぼうっとしていた。
「目がさめたのですから、少ししたら教団に帰れますね」
「そうだな」
「それまでご一緒しますから、そのつもりで」
仕事を差し置いてまで俺の隣にいてくれるのがあまりにも珍しく、嬉しい。
俺はなんとなくキラに手を伸ばしたくて、起き上がった。キラが介助してくれる。
俺が頬に手を伸ばすと驚きはしたが受け入れた。
「泣いたか」
眼鏡で目が見えないので、尋ねてみる。
「愚問です。泣かないわけがないでしょう」
キラは淡々と返した。
俺はゆっくりキラから眼鏡を外してみる。キラはじっと目を閉じて眼鏡を俺に外された。
閉じられているまぶたは、まだ赤かった。俺が目を覚ます直前まで泣いていたのがわかった。
優しく瞼に指を這わせてみた。熱をもった瞼が少し震えた。
「……知らせを聞いた時、無力な自分を呪いました。開発した薬も役には立たないほどの傷という報告でした」
「油断していた俺が悪い。あとモヤシだな」
「アレン・ウォーカーもまだAKUMAが残っているのをわかっていながら、口論をしてしまったことを悔やんでいました」
鼻で笑うと、キラが目を閉じたまま俺の方にそっと手を伸ばして、探り探りで俺のもう片方の手を探し出し、手を重ねた。
「私は、神田ユウが死ぬはずがないとわかっていました。事情を知っていますから。それでも、知らせを聞いた時、動揺せずにはいられなかった。目を覚ました時、心底安心しました。生きていてくれた、と」
閉じられた目から涙がこぼれた。親指で拭ってやると、また一粒、一粒と流れ始め追いつかなくなった。
「泣くな」
「嬉し涙でも泣くなといいますか」
「泣き顔は……調子が狂う」
「そうですか」
キラは睫毛を震わせながら目を開く。涙できらめく瞳は、俺の顔をみて微笑んだ。やはり天使のように美しい。
俺は彼女を引き寄せた。背に手を回し、撫でる。怪我をしたところが痛かったが、望んでいたことを実行できて満足感が広がった。
キラの髪は洗い立てのいい匂いがする。
「風呂入ったのか」
「……入りました」
「一人で?」
「リナリー・リーはいませんから」
キラが自主的に風呂に入る日が来るとは。俺は体が痛んでも、笑うことを抑えることができなかった。
「いつも神田ユウが風呂に入れというからです」
「じゃあなんだ、俺が起きたら風呂に入れと言われるのを予測して、風呂に入ってたっていうのか」
「……ずっと、頭の中で声を想像していたんです。神田ユウが起きてくれたら、と」
急にキラがしんみりしだす。
「願掛けのようなものでした。非科学的すぎます。まだ死なないとわかっているはずなのに」
キラは俺の背に腕を回しきつく抱きしめ返した。
「ああ、本当に、生きていてくれてありがとうございます」
今日はキラの感情表現が豊かで、俺はそれにつられるように自分の感情が高ぶるのを感じた。
俺は後ろからキラの頭を撫でてやりながら、こっそり唇を頬に当てた。
本当は、キラが許すなら唇にもキスの雨を降らせてやりたいくらいだった。
それほど、俺はキラを好きなのだ。ようやく自覚した。
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