キラが科学班の人間にとっては女神のようである、という例えを覚えているだろうか。キラの容姿と科学班の疲労を取り除いてくれるハイスペックさからキラは科学班に崇められているのだ。キラ信者と呼べるもの(ジョニー)がいるほどに。
俺は、それが科学班だけだと思っていたのだが、どうやらそれは科学班にはとどまらないようだ。
「ありがとう、本当にありがとう・・・!」
ある探索部隊がキラの前に膝をつき、手のひらを組み合わせて感謝を体現している。その声は喜びで震えて、目からは涙が流れていた。周りを省みぬ大の男の姿は、人目を引いていた。
キラは自分のデスクに座ったまま、探索部隊を見下ろしている。それから女神のように彼の頭へと手を乗せた。
「お役に立てて、光栄です。コナー・スミス。」
キラはきっと教団の全ての人間を頭の中に記憶しているに違いない。しかし自分の名前まで覚えていてもらったことに感激した探索部隊は、勢いよく立ち上がると、そのままキラに抱きついてさらにおいおいと泣きだした。
これには周りの人間もキラも、驚きの雰囲気が広がる。それでも、この戦場で生き延びたことへの喜びや、仲間を失った者への悲しみを知っている科学班には同情的な雰囲気のほうが強い。
俺はとりあえずその二人を無視して、ジョニーの元に新しいゴーレムを要求しに行った。
ジョニーはすぐさま俺に予備を渡す。
「あれは一体なんだ。」
「キラの薬で命が助かったんだって。」
そういえば、キラが改良した薬は3センチまで治せるようになっていたというのを忘れていた。しかも、塗り薬のようなタイプから、患部へかける液体タイプへと変わったのだ。あれは、緊急時にすばやくかけて傷口を塞ぐことができるので、重宝できる品だ。俺は100の質問のなかで量産したほうがいいと提案もした。
「AKUMAに手首を切られて、本当に危なかったって。それにあの探索部隊、まだ入団したばかりなんだ。」
よかったよねえ、ともらい泣きしそうなジョニー。俺はあっそ、としか返しようがない。よかったなとでも言えばいいのか。
とりあえず、キラが抱きつかれっぱなしなのはどうも見るに堪えない部分があった。特に、汚さに関して。見たところ、奴の肩口が汚い涙と鼻水で汚れている。
「おい、十分だろ。」
俺はキラのところへと行き二人を引き剥がした。とりあえず、これでいい。
「その汚ぇ面洗ってこい。」
「なんだとっ、」
先程までの嗚咽は何処へやら、瞬時に怒りで顔を赤らめる探索部隊。
「まあまあまあまあ、コナー、落ち着いたんなら顔を洗ってきたらどうだって神田は言っているんだ。」
キラの隣の席の科学班員が俺のフォローに回る。目線で、一言多すぎだと言っていた。
「そう、ですね。洗ってきます。」
探索部隊はすんなりと科学班フロアからいなくなった。
「神田ユウ、事実は時に人を刺激します。」
キラが全て終わった後に、一言。
「言うなってか。」
「いえ。神田ユウがそのことを知らないのかと。」
「知ってるが。だからって気遣う必要なんかねぇだろ。」
「・・・円滑に人生を進めない、という選択肢もありますね。」
皮肉か。これは皮肉だな。
「以前、アレン・ウォーカーがあなたのイニシャルの話をしていました。私はようやく目の当たりにしました。それまでは半信半疑だったのですが、百パーセント、証拠とともに理解しました。」
「どうせイニシャルはKYだよ。」
「それも個性というものです。私は神田ユウの長所も知っていますので、ご心配なく。」
キラは椅子に腰かけながら、言った。そのさりげなさとともに発せられた言葉に、知らぬうちに心が浮きたっていた。
「これが人生を円滑にする話し方です。」
「・・・そうかよ。」
心が沈んだ。
「これは事実ですよ。言い方というのは大切ですね。」
また浮いた。
「そうか。」
「はい。」
キラは、仕事を再開させる前に上着を脱いだ。彼女は肩口を先ほどの探索部隊のせいで汚していて、しかも白衣の下の洋服も若干汚れていた。さすがのキラも気にしているようだ。
「風呂、最後に入ったのはいつだ?」
「さん、・・・・二週間前ですね。リナリー・リーに手伝ってもらいました。」
「三週間前だな。さっさと入ってこい。頭にカビが生える。」
キラはいつも、情報の正確性を重視する。おそらく、事実を言うのはよくないと考えて一週間短めたようだが、二週間でも長い。
「では、一時間後に。」
「いや、今だ。」
俺は新しいゴーレムでリナと連絡を取った。キラを風呂に入らせるように、と。リナは快く承諾した。
「ですが仕事が、」
「仕事をはかどらせるためだ。風呂の中で寝れば、あとで仕事の効率が上がるだろ。」
汚らしい探索部隊の汁が付いたままというのは、なんとも気持ちの悪いことだった。キラだって気にしているのだから、さっさと取り除いてやったほうがいい。キラは気にしていても仕事を優先すると分かっていたから、俺は仕事を持ち出して彼女を説得した。
「一理ありますね。わかりました。」
そのとき、ダッシュで科学班フロアにリナが到着した。
「やっと、お風呂に入ってくれる気になったのね!」
とても嬉々としている。
「私がお願いしても洗わせてくれなかったの。」
リナの異常な興奮ぶりを訝し気に見ていた俺に、リナが手早く説明した。
「じゃあ、すぐにキラをお風呂に連れていくわ。あ、洋服。」
「今回は新しい服が必要です。」
リナが、両手を口に当て、目を輝かせた。
「キラからそう言ってくれるなんて・・・!私、すぐ取ってくるわ!」
リナはイノセンスを使っていてもおかしくないほどの速さで科学班を去り、帰ってきた。
「じゃあ、三十分くらいで戻ってくるから。あ、その時にはお昼ね。お風呂のあと、どうするキラ?」
「そのまま科学班へ。今日は時間を少し削りすぎてしまいました。」
「でもご飯を食べないのはよくないわ。あ、じゃあ神田、キラのためにサンドウィッチとかジェリーに頼んできて。」
「は?んで俺が、」
「キラのためよ。じゃあ、キラ行きましょ。キラの貴重な時間、無駄にできないもの。」
「はい。」
リナは俺の返答を聞かずにキラをつれて風呂へ向かった。まるで、キラがそつなく仕事をこなせるように取り組むのは当然だとでもいうように。
俺は仕方なくサンドウィッチをジェリーからもらって、キラの机に置いた。キラたちが風呂に行って、20分後のこと。
そのとき俺は、リナに女子風呂の前に来るようゴーレムで言われた。キラのためだといって俺の返事も聞かずゴーレムの連絡を切られる。仕方なく、女子風呂の前へ行く。
「ありがとう来てくれて。」
女子風呂の前に到着するとすぐにリナがキラとともに出てきた。キラはリナに背負われている。スイッチが切れたかのように眠っていていた。服はきちんと新しいものに変わっている。深緑色のシャツに、黒のパンツ。その上から白衣。
「さすがに、科学班フロアまでキラを運びきれないと思って。キラを運んでほしいの。」
今度はその役目か。俺はため息をつきながら、リナからキラを受け取ろうと背中を向けた。
「神田、女の子のあこがれの抱き方くらい知ってるでしょ?」
リナはどうやら俺にキラを姫様抱っこしてほしいようだ。俺は、ため息をついて、キラを抱える。リナがキラの眼鏡を外した。科学班の奴らだったら絶対に、天使だと称する寝顔がそこにある。
「美男美女のこの絵、一度は見てみたかったのよね!」
それだけの理由で。俺はげんなりした。荷物などの運ぶ類のものは背負った方が効率がいいのに、リナがわざわざ前に抱えさせた理由が、姫抱っこの絵面を見せてやるためだけとは。
「もういいか、こいつ背負って。」
「ちゃんとそのままでよろしく。」
当然でしょ、とテンプレートのような笑顔とともにいわれ、俺は従わざるを得なかった。
リナにしっかりと見張られて科学班まで俺はキラを運んだ。科学班フロアに入ると全員がキラを見て、
「眼福だ・・・!」
だとか、今度は俺たちのセットを見て
「羨ましい・・・!」
だとか言ってくる。俺は額に青筋を立てながら、キラを椅子の上へと下ろした。
「ありがとうございました。」
「てめっ、起きてたのかよ!」
「いえ、今目が覚めました。」
キラはリナから手渡された眼鏡をかけつつ答える。
「キラはデスクの前では誰よりもしっかりしてるから。」
リナが補足した。俺は、確かに思い当たる節があって納得せざるをえない。俺たちの最初の出会いや、キラの入浴時の睡眠の話などだ。
「ではお二人ともありがとうございました。仕事に戻ります。」
「ええ、頑張ってね。」
キラは礼を言うとすぐさま仕事に取り掛かった。
俺は、とっくの昔に用事を済ませていたし、自分の分の昼飯を食べるのを忘れていたので、すぐに科学班を立ち去った。
(ふふ、キラったら仕事すごくはかどってる。)
(お姫様だっこ、やっぱりよかったみたいだね。)
(兄さん、よくわかったわね。)
(キラ君だって年頃の女の子だよ、リナリー。)
(そうね。たまに忘れそうになるけど。)
(それに覚えているかい?お姫様抱っこは、リナリーの夢でもあったこと!)
(そういえば・・・私も早くされてみたいな。)
(そんな、誰だい?誰になんだいリナリー!)
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