香る纏う花の色 | ナノ

ひとつめの

会場から逃げ出した俺は部屋に帰ってしまいたくなくて、でも会場にはいけないし、廊下を歩いていればつかまるだろうし、と思案して外に出ることを選んだ。

教団の外にあるあの森が、俺はひそかに好きだったりする。

森の木々たちが彼女と切っても切れない縁だったからかもしれない。

彼女は森の木々たちの生命力のような、人間を超えた何かを感じ取ったり、木々たちの様子などを感じることができる。生まれたときからずっと森と共生する生活をしていたからかもしれない。木こりたちのように言葉は交わせないそうだけれども木こりには感じることができないものを彼女は感じることができた。

彼女は木の近くで木から感じるものをそのまま体にめぐらせることが好きだった。なので俺と彼女は木にもたれかかってよく話をした。

結局俺は彼女を忘れ去ることはできていない。今でも彼女の影を探すようにあたりを見回してしまうことだってある。そして彼女と多く思い出を共有した森に執着しているのだ。

俺は森の中へと歩みを進めた。この森は彼女が教えてくれたように日々違うものを見せる。言葉を交わしている木々が人のように見えるときもあるのだ。そして時々それらは何かを伝えてくれる。

その時々が、今だった。

ものを一目見たら記憶できる俺は木々の変化が手にとるようにわかる。今日は荒れているとか、今日は優しいだとか、だ。

今日の変化は枝がやたらと近づいてくることだった。

ただの風のせいだとかそんなふうに理由付けてもいいが、俺は木が何かを伝えようとしていると考えて枝が俺に触れて跳ねた方向へと歩いた。

そうしたら、見つけた。

団服の黒に包まれたその出で立ちに反して明るい茶色が目立っていた。あの頃のように気にもたれかかって何かを思い出すように遠くを見つめる姿。

彼女だった。

しばらく遠くを見つめていた彼女を影からこっそり観察した。逃げたい気持ちと、彼女の前に出ていきたいという気持ちの反対の気持ちがせめぎ合う。

不意に、彼女からすうっと涙が溢れる。

驚いて目を凝らすと大粒の涙が頬を伝っていた。

「・・・会いたい・・・ディック・・・」

蚊の鳴くようなか細い声がわさびを食べた時のようなツンとしたものを呼び寄せる。

彼女は今までなんどこのようなことを繰り返してきたのかと思うと、出ていかずにはいられなかった。

もう二度としないと決めた過ちが、繰り返された瞬間だった。

「泣かないでほしいさ。」なんて、強がりで行った言葉は思った以上に震えた気がした。右手で触れた柔らかい頬に流れる涙が親指に取ると綺麗に反射した。

悲しそうなのに嬉しそうに顔を歪めた彼女は俺の右手にそっと自分の手を重ねて、その熱に身を委ねるように目を閉じた。

胸に熱いものがこみ上げる。体が熱くなる前に何とか抑えた。

彼女がぱちりと眼を開ける。サファイアと称してもいいくらいの瞳が輝いていた。

あの、大嫌いな感じがやってくる。

「ディック、ずっと会いたかったの。」

はっきりと澄んだ声で彼女は言った。俺はどこからどう言えばいいか戸惑った。

「実は、俺名前が―――」

「あ、そうだった。ブックマンだから名前が変わるのよね。今はなんて名前なの?」

「ラビっていうんさ。」

「ラビ、ラビね。・・・なんだかうさぎみたい。」

ふふ、と笑う彼女。確かめるように2回繰り返して呼ばれた名前に俺の心の中の水面が同じ数揺れる。

さっきよりも大きい。

一歩距離を置かなければと思うものの、あの時のように離れられなかった。離れたくないと、思ってしまった。

しかしそんな時に限ってじじいのあの言葉を思い出す。自分を偽って誓った言葉と同時に。

・・・こんちきしょう。もう二度と繰り返さないって決めたはずだろ。

心の中で自分を奮い立たせてするりと一歩身を引いた。

「ディック・・・?」

俺が離れたことを不思議がる彼女に俺は笑っていった。

「ちゃんと、ラビって呼ばなくちゃダメさ。」

彼女は複雑そうな顔をして、それから笑みを返して頷いた。


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