香る纏う花の色 | ナノ

巡り合う

「・・・ディック?」

目線で追いかけた後ろ姿は見覚えのある背中だった。

「え?」

とさっき知り合ったばかりのリナリーさんが私のつぶやきのような声を聞き返す。

「あ、なんでもないです。」

「そう?」

不思議そうな顔をする彼女に曖昧に笑い返事をして誤魔化した。

名前を口にするたび、心ががんじがらめに締め付けられる。

ここに来れば何もかも吹っ切れると思っていたけれどどうやらそうではなかったみたいだ。


彼と過ごした場所を見るといつも悲しくて恋しい気持ちに打ちひしがれた。だからといってその場所を捨て去ることも何もできなかった。彼に関わること全てに醜いほど執着した。

これではダメだと自分でもわかっていた。

それでも踏ん切りがつかなかった。

彼が笑いかけてくれた場所も時間も何もかも失いたくなかった。

けれどそうしていたって何もかもが徐々に変わりはじめていたことに私は気づいた。失いたくなかったものはどんどん失われ、私の中の悲しみも消えていっていた。

もう彼のことは吹っ切らなければならないのだと悟った。

その時に私はイノセンスに選ばれたのだった。

このチャンスを利用して、私は彼との思い出が色濃く残る故郷を捨てた。


けれど私は全く吹っ切れてはいなかった。

結局はそれを思い知らされただけだった。

でも、もう戻ることはできない。前に進むしかない。

「・・・ふう。」

一つ、息を吐くと疲れと胃もたれが一気に押し寄せた。

「あの、リナリーさん。」

歓迎会が始まってからだいぶたって、私の周りを取り囲んでいた人の壁はなくなっていた。あんなに大勢に囲まれたことがなかったから戸惑ったけれど、彼らの笑顔がみんな温かくて安心した。

人の壁がなくなったということは、私は大方挨拶をし終えたのだろう。ずっと立ちっぱなしだったし、まだ会は続きそうなので一休みしたかった。

「だからリナリーでいいって。」

出会った当初からそういうリナリーさん。年上の人には敬意を払いなさいとずっといわれ続けていたから、なかなか慣れない。

けれど呼び捨てで言うまで話を聞いてくれなさそうだったので恐る恐る呼び捨てにした。

「り、リナリー。」

「どうしたの?」

「ちょっと疲れたので、休んできてもいいですか?」

「一人で大丈夫?」

「はい。」

「落ち着いたら、声かけて。たぶんここらへんにいると思うから。」

「ありがとうございます。」

り、リナリー・・・さん、に案内された記憶を頼りに屋外へむかった。

私の故郷は森が近い場所だったので木造の家で石造りというのはあまりなれなかった。この建物の外には森があるということは知っていたので森の匂いを吸って肺に満たしたかった。

外へ出ると少し冷たい風が肌を滑る。森へ向けて歩くと木がこそこそと話しあっていた。

ここの木は、私の故郷の木たちと似ていた。木同士がおしゃべりをしているのだ。

こそこそとだったり、ぺちゃくちゃとだったり、ざわざわとだったり。きちんと生きていることを表に出している。私の故郷の木こり達は木と語らい、木を切るときには木に向かって謝ったりお礼を言っている。私は彼らの生の力というのは肌で感じていた。最近になってようやく言葉がわかるようになってきた。

木が生きているのは誰から見ても当たり前なのだけど、私が言いたいのはそうじゃなくて、もっとこう人よりもすごい何かがあるということで。

彼は、私のそんな話に真剣に耳を傾けて、実際に木に身を預けたり触ったりしてわかろうとして、それからわかってくれた。そんな小さな積み重ねのような優しさが私は今も昔も好きなのだ。

そこまで考えて私はまた心臓を締め付けられる思いを味わう。

「・・・・ディック。」

なんでもないことから突然のようにの脳裏をよぎる彼との思い出。

口に出せば傷つくとわかっていても私は口に出してしまう。
忘れたくない。手放したくない。そんな思いが私にディックの名を口にさせるのだ。そうして私は自分で自分を傷つけ続けてきた。


一本の太い木にもたれかかる。彼とよく一緒にもたれかかって彼から話をきいた。頭の引き出しをたくさん持った彼は、私が一つ質問をしたら十で返して私の好奇心を掻き立てるのが上手だった。日が暮れるまで彼の話を聞いて風邪を引いたこともあった。そうしたら彼がお見舞いという名目で、話の続きをベッドで横になる私に聞かせてくれて、ずっとそばにいたから彼に風邪をうつしてしまったこともあった。

幸せだった。彼と出会う前が灰色の世界だったと思えるほどに。


思い出そうとしたらぼんやりと記憶のかなたにあって手が届かないのに、何かの拍子に毒々しいほどの鮮やかさを伴って思い出すと、どんどん思い出があふれていく。

感情もあふれて、涙が止まらない。

何度こんなことを繰り返してきただろう。こうやって感情も追憶もとまらずにあふれ出してしまったときは自分では制御できなくなって泣き続けるしかないのだ。

もう一年も過ぎた。なのに私は未だに彼が忘れられない。

だから泣いた後いつも思ってしまうのだ。

「・・・会いたい・・・ディック・・・」

と。

そんな思いが届いたのか、それとも偶然だったのか。

涙が膜を張ったその向こうに、明るい太陽をほうふつとさせる色と、人の影を見た。

人が来たと思ってあわてて涙をぬぐう。じわりじわりとまた涙が膜を張り始める前に見えたその人が、一瞬幻だと思った。

「・・・泣かないでほしいさ。」

かがんだ人影が、私の頬を伝う涙を親指で拭う。

ああ、どうして。

「ディ・・・ッ・・ク」

胸にまざまざとよみがえる痛み。今までとは比べ物にならないくらいの、苦しさ。


歓迎会の会場で見かけたと思った彼は、見間違いではなかった。

ずっと待ち望んだ、彼が私の目の前にいる。


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