纏う
恐怖が消えたわけではなかった。だけど、神田さんの言葉は私が抱えるもやを晴らしてくれて、私は目の前のことに集中できた。
作戦が始まると、神田さんはすうっと気配を消して、私は途端に孤独な気分になった。私を見守る人はいないのではないかと思うほど、神田さんは気配を消し去ってしまった。
私は神田さんと打ち合わせした通りの道を歩き出した。人気がない道は暗くて、月明かりが弱くて少し先も見えない。一歩歩くごとに誰かが後ろをついてきている気がして、振り返って不安を取り除きたくなる。
気力を振り絞って、私はそのまま前を向いて歩き出した。
なるべく、神田さんから見えるように、道の真ん中を歩くようにはしているが、今歩いている道は、路地への入り口との距離が短い。引きずりこまれた場合の対処を教えてもらったけれど、付け焼刃のものではきっと役に立たないだろう。
と。
「!!」
急に大きな手で口をふさがれ、私は声が出せなくなった。やはり路地から伸びてきた手は、闇の中から手のひらと腕だけを出現させて、私を路地に引きずりこもうとした。生暖かい手が私の鼻と口のどちらもを塞ぐほど大きくてうまく息ができない。私の体は上半身を脇の下から引っ張られて、足が浮き、うまく抵抗ができなかった。
酸素が少ないせいで、だんだん頭が鈍く痛み、熱を持ち始めてきた。私は、誰か、と心の中で叫びながら、意識を失った。
***
サイレンの音が響いている。
「・・・」
目を開けると、神田さんの姿が見えた。周囲は青い光が光っていて、ちかちかと目に入ってくる。
バタン、という音がしてそちらを見ると、パトカーにあの館員が入っているのが見えてぞくりとした。
「起きたか。」
私が目を覚ましたことに気づいた神田さんの表情も声のトーンも通常通りで、それが少し落ち着いた。神田さんがどっしり構えている感じは、なんだか頼もしいのだ。
「イノセンスを回収しに行くぞ。」
私はちょっと驚いた。今この状況で行くというのか。
「は、はい。」
私は起き上がって、私に気遣うことなく歩いていく神田さんの後を追いかけた。
「・・・悪かったな。」
「え?」
博物館への道すがら、少し前を歩く神田さんは振り返りもせずに言った。
「少し助けるのが遅れた。本当は、お前は意識を失う前に助けるはずだった。」
「えっと、そうだったんですか。」
「そうだ。・・・悪かったな。」
「でも私、ちゃんと助かったし、」
「もう少しで刺されるところだった。」
「無傷だから、大丈夫ですよ。気にしないでください。」
「・・・とりあえず、謝ったからな。」
「なんですか、それ。」
めったに謝りそうもない神田さんの謝り方が神田さんらしくて、しかもそれが面白くて私は笑った。
私の笑い声を聞いて振り返った神田さんは、複雑な表情だ。
「どうしたんですか?」
神田さんの表情の理由を問うと、神田さんはため息をついて小さくぽつりとつぶやいた。なんで俺がこんな事、と言っているように聞こえた。
「・・・ラビが、馬鹿兎が俺に頼んだことがあんだよ。」
神田さんはなんだか忌々しそうに話しだした。
ラビさんが神田さんに私を守るように頼んでいたこと。だから任務の報告書などで、今回の私の身に起こったことを報告し、それをラビさんが知ることになった場合、きっと面倒なことになるだろうから、その場合は私のほうからラビさんを止めるように、ということ。
私は、ラビさんが私のことをそんなに考えていたのかという驚きと、なんだか感謝の念を感じた。それと同時に神田さんが、ラビさんと話すきっかけをくれたのではないかと思ってしまった。神田さんはきっと、本当は他人のことなんかどうでもよかったはずで、ただ単に後々面倒なことになりそうだからという理由で私にラビさんを止めるようにといったのだろうけれど。
神田さんの言葉を聞いて以来、なんだか私は晴れ晴れとしている。今まで感じていた不快感だとか、心もとなさだとか、去っているのだ。
そして、私は不思議と、今、過去というものに向き合いたくなっている。
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