香る纏う花の色 | ナノ

切ない

「何年でも、か・・・」

口に出すと随分陳腐な言葉を使ったな、と私は息をつく。
結局一週間待ってくれというラビの言葉があったから、ただの比喩のように言えたに過ぎない言葉だった。実際に何年でも待ち続けることになったらきっと私は耐えられない。

ラビが鉛の鎖を引きずりながら帰っていったあとの部屋は少々散らかっていた。ブックマンがラビを蹴り飛ばしたせいだったり、彼が来る以前に私とラビが過ごしていたからでもある。彼らの部屋が大量の新聞で埋め尽くされているのよりはましだけれど。

私は首を軽く振って、部屋の片付けを始めることにした。

ブックマンがくる前に私が読んでいた数冊の本。ラビが飲んだ紅茶のカップ。ブックマンがラビをふっ飛ばしてしまったときに落ちてしまった壁にかけた絵や写真。ひとつひとつ直していく。手を動かし、片付けることに意識を集中させる。そうして片付けていくうちに部屋のあちこちにうっすらと埃がかぶっている場所があることに気づいた。
そういえば、ここ数日掃除をするのを忘れていた。
私は片付けのついでに掃除をすることにした。雑巾を持ってきて水にぬらし、絞ったあとに棚の上から拭いていく。


ひたすら体を動かし続けていると、誰かがドアを叩いた。
開けるとそこには神田さんがいた。

「任務だ。五分後に室長室。」

簡潔に必要最小限の言葉数だけを口にすると彼はそのまま踵を返して去って行く。ほんの二秒程度のことにしばらく動けずにいると部屋の中から、ごとん、と何か落ちる音がして我に返って支度を大急ぎで行った。



****


「私との任務、足手まといだとか言ってませんでしたっけ。」

資料をぱらぱらとめくりつつ、私は言ってみた。もちろん、資料は読んでいない。
神田さんも資料をめくっているだけで、読んでいないだろう。

「普通、任務では我がままは許されない。」

あまりにも淡々と答えるものだから、私は自然に「へえ、」と感嘆の声を出していた。
そういうものなのか、任務とは。と初めて知ったことをなんとなく噛みしめていると、はたと気づいた。

「あの、じゃあ何でこないだは嫌だとかいったんですか。」

「こないだは一人用の任務だったからだ。」

「え、じゃあ・・・」

「やっぱりお前は足手まといだったってことだな。」

「ふん、それでも役に立ちましたからー。」

ひとつ言葉が出だすとその次がどんどん考えずとも出て行く。それが神田さんともなるとなぜか皮肉の応酬となるのだった。ほかの人に対してはそんな風に皮肉などは言い合わないというのに。人は自分の鏡などとというように、神田さんが皮肉を言うとつい私も皮肉を言いたくなってくる。

「はっ、どこが。」

神田さんも私と同じように、すぐさま言葉を返してきた。一番最初にいろいろと神田さんから言われてかちんと来ていたのだが、慣れたせいか聞き流せるようになっていた。

神田さんは見てもいない資料を読み終わった風にして閉じると息をついていた。まるで今までのことは日常であるかのように、淡々とした雰囲気だった。
その様子から、どうやら皮肉の応酬というのは神田さんなりのコミュニケーションなのではと思い始めた。皮肉の応酬の割には神田さんからは悪意などは感じられないし、私にも悪意はない。それに、なんだかこの応酬が楽しいと感じている。

「またまた、そんなこといって。今回もちゃんとサポートしますから、頼りにしてくださいね。」

「誰が頼りにするか。」

こんな風につめたい言葉を放たれても私はもうカチンとしませんよ、神田さん。私は心の中で彼に向けてやさしく声をかける。表ではにこにこと笑顔を向けた。
それが神田さんにとっては癇に障る笑顔だったらしく、舌打ちをされる。

「・・・・」

ふと神田さんを見やるとさきほどまでの様子とは違った様子をしていた。さきほどまでは無表情ながらも悪態をつくような軽やかな表情だったが、今は何かを考えこんでいる様子である。

「どうかしたんですか?」

尋ねようか尋ねまいか迷った結果尋ねた。そこまで深刻そうではなかったし、まだまだ任務地までは時間がかかる。列車に乗り込んだはじめのときの沈黙よりも、話していたほうが気が楽だ。

「・・・雰囲気が似るものだと思っただけだ。」

「え?」

神田さんが何のことを言っているのかわからなかった。
神田さんは言おうか言わないでおこうか迷ったようだったが、最終的には口を開いた。

「あの馬鹿兎と、雰囲気が似てたぜ。」

ぎゅ、と心臓を締め付けられたかと思った。まさかこんなところで、こんな思いをするなんて。
神田さんは先ほどまでと違って、本当に純粋に言っているのだと分かった。それが余計苦しい。

「へへ、やっぱり感化されちゃうのかも。」

私はなるべくテンポ良く神田さんの言葉に答えた。

「じゃあ、私ちょっと眠たくなってきたから眠りますね。ついたら起こしてください。」

「誰が起こすか。」

「じゃ、おやすみなさい。」

私は少し体勢を斜めに傾けると腕を組んで少し小さくなって目を閉じた。



****



傷口というのは、ふとした瞬間に開く。そのことを今まで何度も身をもって体験してきた。
何の変哲もない世界各国の新聞記事、きれいな翡翠色の小物、ある日の夕暮れ空。
あのころの私はこれらより全く関係のない事物をきっかけにしてはすぐ傷口から血を流していた。それほどまでに大きく負った傷だった。しかしその傷はこの教団に来てからすぐに、完治する。それはとても幸せなことだった。私が一番望んでいたことであった。

それからすぐに、また新たな傷を作ることになるとも知らずに、私は傷の完治を喜んでいた。

新たな傷は前回とは違ってそれほど大きいものではなかった。ちょっと転んでひざをすりむいた程度。ただ、厄介な傷である。すぐにかさぶたができたものの、ほんのふとしたことで治る前にはがれてしまう。そんな傷だった。



私は列車に揺られながら目を閉じて、一週間後の未来の傷のことを考えてしまっていた。
あと何日で、治るかもしれないだとか、もっと抉られるのかもしれないだとか。前向きにも後ろ向きにも考えていた。決して未来予知などは使わない。そんなことをしても、最後の最後まで未来とはわからないものであるというのは彼が進めてくれた本の中でも散々言っていた。

少し、まぶたの奥に透ける世界が気になって私は薄目を開けた。気づかれない程度に、そうっと。まぶしさに目をくらませつつ少し瞳を左右に移動させる。私の視界には車窓と向かいの席に座る神田さんの姿が見えた。神田さんは腕を組み、そのまま目を閉じていた。こんなことで、きちんと目的地に着いたら降りれるのだろうかと心配になる。完全に寝てしまってはいないようであるけれど。その証拠に彼はたびたび船をこぐ形で目を閉じていたのだった。

その姿を見ていると、影響を受けたのか眠気が襲ってきた。先ほどまではずっと考えごとをしていて眠ったふりをしていても眠れなかったというのに。
気づけば私は水底に意識を沈めていた。


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