香る纏う花の色 | ナノ

叶う

「・・・・わりぃ。」

ラビが、ゆっくりと体を離した。私はいまだに何がなんだかわからなくてでも胸だけはどくどくとうるさくて。

「何か・・・あった?」

私はそっと聞いてみた。

「いや・・・」

ラビは目線をそらす。そのときの表情を見たとき、私ははっと気づいた。彼の、触れてはいけない部分に触れてしまったことに。
ブックマン後継者としてのラビ。将来ブックマンになることが義務付けられたも同然の彼に、深入りすることは禁物だ。彼は傍観者として、世界の裏を記さなければならない。そこに感情を持ち込むことはご法度だ。人との関わりだって、傍観者という立場から接することが重要だ。なのに私は彼の深い部分に触れてしまった。気をつけていたつもりだった。「ディック」という呼び名を「ラビ」に改めてからは。これから私が接するのはディックではなくラビだとはっきり認識したと思っていた。しかし、昔の影を追いかけて、私は彼の深い部分に手を触れてしまったのだ。

「ラビ・・・あの、ごめん。前のことを持ち出して。」

私はすぐに謝った。彼が驚いたように顔を上げる。

「私、ラビの立場をちゃんと理解してなかった。ごめんなさい。」

「それは・・・」

ラビが顔を歪める。今にも泣き出しそうな、どこか痛そうな表情に胸が締め付けられる。

「これ、やっぱり私が食べるね。忘れて。」

この空気を切り替えたくて私は一度ラビの視界から出ようと、果物を言い訳に動く。つらい思いをさせたくて買ってきたわけではなかったのに、こんなことになってしまってちょっとだけ、悲しい。・・・本当は、すごく悲しい。
目頭が熱くなって、涙が零れ落ちそうになるのをこらえて私は果物をそっと持ち上げた。体全体がわずかに震えてしまう。

と。

「・・・」

無言で、後ろの影が立つ気配がした。私は振り返ることができずに、気づかないふりをして前へ一歩踏み出す。しかし。

その足取りは二歩目を踏み出しはしなかった。ラビに後ろから抱きしめられていたからだ。
彼は無言でそっと私の持つ果物を取り上げ、テーブルに戻す。背中に感じる熱い体温が私を慰めていた気がした。

「ユリア。」

耳の近くで、かすれ気味に発せられた声。熱い吐息がかかって体がびくりと震える。思わず目をつぶってしまって目にたまっていた涙が押し出された。頬を伝い、ゆっくりとあごを伝い、それからぽたりとラビの手の甲に落ちた。

「お願いだから・・・行かないでくれ。」

切望する声音は弱々しく、耳をなでる吐息は熱く。一挙手一投足に心が反応して、連動するように体も反応する。

「俺のほうこそ今までごめん。俺は・・・」

一度抱きしめる腕を解き、私の正面へとくるラビ。頬を両手でゆっくりと持ち上げられ、悲しげな瞳と視線が絡まる。でも心の奥底に強い決意があって、何もかもを焼き払おうとする炎があって。

「俺は・・・ユリアが好きだ。」

今まで見たことのない表情と視線に射抜かれる。
彼の本当の部分に、深い部分に少しだけ触れることを許された気がしてまたじわりと涙がたまる。

「ラビ・・・」

私は震える声で名前を呼ぶことしかできなかった。一生懸命に彼の団服の裾をつかむしかできなかった。

―――私も、好き。

そういえばいいのに、言葉がのどの奥から出てこない。

言っていいのだろうかと躊躇する自分がいる。ブックマン後継者である彼のためになるのだろうかと此処で理性がはたらく。彼の強い意志を感じた告白に、私はこたえていいのだろうか。私がこたえたことで、これから先の彼がつらい思いはしないのだろうか。私がわがままを言っていいのだろうか。

迷う私にラビが言う。

「ユリア。ちゃんと言ってほしいさ。何も言わなかったら俺、このまま自分が抑えられそうにない。・・・キス、したい。」

「ラビ・・・」

「俺、ずっと認めたくなかったんさ。俺にはブックマン後継者っていう立場がある。常に中立の立場で傍観して、役割を果たさなくちゃって、そのためには感情捨てないとだめだって思ってたんさ。」

少しだけまぶたが赤い。いつ、涙を流したんだろう。流した涙の分だけ瞳が透き通っている。真っ直ぐな瞳に私は吸い込まれそうになった。

「でも、ユリアには何度やってもできなかった。ずっとずっと、悩んで離れようって思ったのに離れられなくて。ここで再会してからも気づかないふりしてたけど。」

ラビが深く息を吸い込む。私も彼の目をまっすぐに見つめ返す。今ラビが吐き出している全て受け止めて理解したい。もっともっとわかりあいたい。

「でも、もう限界さ。もう、自分の気持ちに嘘付けない。ユリアが俺との思い出をずっと大切にしてくれたみたいに、俺はこれからユリアを大切にしたいさ。」

ぽろ、と涙がこぼれた。ラビとの間の距離は遠く遠くだと思っていたのに、今はこんなに近い。ラビが私にこんな言葉をかけてくれるなんて思っても見なかった。

「本当の気持ちを聞かせてほしい。自分の気持ちに、正直に。」

瞳の奥で燃える炎に胸を焦がされる。
私は危うく口を開きそうになった。何の考えもなしに、「好き」だと言ってしまいそうだった。

「お願いラビ、待って・・・」

気持ちを抑えてようやく出した言葉に、ラビの眉が悲しく下がる。きゅ、と胸が締め付けられて今すぐにでも思いに答えたくなるけれど私は自分を律した。

「・・・今、私の返事でラビのこれからが大きく変わるんだよ・・・?」

「わかってるさ。」

「それでも、いいの?」

私は慎重にラビの瞳を覗き込んだ。あとになって、ラビも私も後悔したくない。ちゃんと冷静になって考えて、正しい選択がしたい。何よりもラビのこれからがかかっているのだ。

「俺は、自分の気持ちを認めた以上、目を背けられない。」

ラビが頬をゆっくり撫でる。頬を滑る少しカサついた手は、今も昔も変わらない。
私はラビの手に自分の手を重ねた。

「・・・・ラビがそういうのなら・・・私も嘘ついたらだめ、だよね。」

ゆっくりと深呼吸をする。左頬に感じる愛しい温度を両の手に包んで、私はラビに微笑んだ。

「私も、ずっと前からラビが好き。」

「っ」

ラビがあっと言うまでもなく私を引き寄せる。突然のことに驚いて頭の中の交通整理が追いつかない。っていうか、心臓に悪い・・・!!

「今めっちゃうれしいさ・・・!」

ラビがほっと息を吐いた。その吐息が聴こえると私も張り詰めていたものが全部緩んで、そのままラビに身を預けた。ちょうど耳にラビの鼓動が聞こえる。私と同じくらいの速さで、それを悟られないように私はラビを見上げた。

「ラビ、心拍数速いよ。」

「そ、そういうことは言わないでほしいさ・・・」

めっちゃ恥ずかしいじゃんよー、とラビは言って、だらしなく笑った。えへへ、と私も笑う。とてもぽかぽかして、嬉しいけど目がじわっと潤んだ。

「えっ、どうしたんさ。」

「いや、なんていうか・・・その、嬉しくて。ラビと、こうしているのが。ラビの立場考えたらきっと叶わないって思ってたから。」

「ユリア・・・」

私は、目をうるませながら微笑んだ。
片頬に手を添えるラビ。さっきみたいに私の頬を滑っていく。

「目、閉じて。」

私はラビの背中に腕を回して彼の方を見て目を閉じた。
はあ、っていう僅かな息遣い。鼓動が早まる。呼吸が浅くなる。どう、しよう。息が・・・

「ほら、息するさ。」

ぽんぽん、と背中を優しく叩かれて、私はぷは、と息を吐いた。目を開いてラビを見上げる。

「もうちょっと、リラックスしてて。」

「リ、リラッ・・・?」

軽い酸欠で目をまわしながら、結局緊張が緩まない私を見てラビが笑った。

―――あ。

柔らかい笑みに目を奪われる。
いつもの愛想笑いみたいな笑顔じゃない、と、なんの確証もないのに確信した。小さな幸せを噛みしめるみたいな、そんな笑顔。光がふわって差し込んだみたいな笑顔にきゅんとした。
私だけに見せてくれるのだろうか。もしそうだったなら、どれだけ嬉しいだろう。

「あ、」

見惚れているうちに、ラビの唇と交わる。不意打ちで緊張するまでもなかった。緊張よりも幸福感が全身をすっぽり包んで、それに身を任せて目を閉じた。じわじわと頬が熱くなっていくのを感じる。

唇が離れた。
目を合わせるのが恥ずかしくて私はラビの胸に顔をうずめた。きっと顔が真っ赤だ。こんな顔見せられない。

「耳まで真っ赤さぁ。」

「!!」

ラビに指摘されて私は「もう!」とラビを怒った。
ラビは私の怒る声を笑った。それに対してまた怒ろうかと思ったけれど、ラビの笑い声は穏やかな響きがあって怒る気が失せてしまった。

怒りという感情よりも、穏やかな愛しさが胸をいっぱいにした。


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