知らぬが仏
「エレン。」
聞きなれた声がして振り向くと、なまえさんがいた。あまり感情を宿すことのない表情に珍しく嫌悪の表情が浮かんでいるので、これはまた"あれ"がくると思って思わず小さくため息。
「何でしょうか。」
「あんたが代わりに掃除してきて。」
俺は面倒だったので「わかりました」とだけいうと足早に立ち去った。どこを、とか、どうして、なんていうのはもう聞かない。というより聞くまでもないほど自明のことであった。
なまえさんはハンジさんとともに俺の調査を含めて巨人の調査に来たはずであった。しかし実際は彼女は事務方の仕事と戦闘において特化しているだけで、ハンジさんのように調査の中心人物ではなかったしそもそも調査自体あまり関わっていなかった。そちらに関してはほとんど雑用を任されるなどの事務的な仕事のみしかあつかっていなかった。ここでの彼女の役割というのは、もっぱらリヴァイさんのお手伝い的なものである。しかしなんでもできる彼女は、掃除だけは大嫌いな様で、しょっちゅう耐えられなくなってはこっそり俺に仕事を押し付けにくる。
ではなぜ此処に来たのか。裏では色々と、「兵長のお気に入りだから」だとか「団長と昔恋仲だったせいで気まずいから」だとか「性格のせいで受け入れてくれるのがハンジさんしかいないから」だとか言われている。本人はどれもきっぱりと否定し、「空気がおいしいから」というわけの分からない理由を展開している。街の中と、空気はあまり大差ないように思うのだが。このような一般的に納得しづらい理由も、裏で色々と言われてしまう一因だ。
俺はとりあえず兵長のところへと向かうことにした。毎回のことではあるけれど、一応兵長に報告をしておく必要があった。
兵長はまたかと呆れながらもきちんと俺に掃除の指示をする。そうして俺は兵長に仕込まれたとおり隅から隅まで掃除をする。最近パターン化してしまったことである。
兵長の部屋の前まで来ると、俺は一度深呼吸をしてからノックを二回した。誰かとは聞かずに「入れ」という声が聞こえたあたり、もうリヴァイ兵長はこのパターン化されてしまった流れが分かっていることが伺える。失礼しますといって俺はドアノブを回した。
「またあいつがお前に押し付けにきたか。」
兵長が諦めのようなものを漂わせつつ聞く。
「はい。俺はどこを掃除すれば良いですか。」
「此処だ。」
「・・・分かりました。」
いつも、兵長が居る部屋というのは兵長自身が細かく掃除しているはずだった。だから普段から掃除は必要がない。だというのにどうして今回はこの部屋なのか。
そのことに驚いたので少し間があいてから俺は返事をした。
早速掃除にとりかかる。あまり埃は立てないほうが兵長の仕事の妨げにならないだろうと思い、拭き掃除を中心に頭の中で大雑把な順序を組み立てる。それから必要なバケツ、雑巾を用意し、掃除を始めた。
「・・・エレンよ。」
しばらく拭き掃除を続けていると、不意に兵長が俺を呼んだ。
「なんですか?」
「あいつは、今なにをやっている?」
兵長が最近あいつと指すのは一人しかいないので俺は当然として答えた。
「今の時間帯くらいだと、たぶん一人で訓練中だと思います。」
「そうか。」
兵長はそれだけを聞くと仕事に戻った。俺も掃除のほうへと戻る。
拭くだけの単純作業を続けていると違うことを考える余裕がすぐに生まれてきた。
兵長は、どれだけなまえさんが途中で掃除を投げ出してそれから俺がその続きを肩代わりすることになろうとも、必ず最初はなまえさんに掃除を任せる。なまえさんもなまえさんでどれだけ掃除を投げ出しても、最初だけは任されたことを成し遂げようとはする。
両者とも、最後は俺に回ってくると分かっていて、最初からは俺にさせない。
この不思議なことがどうして起こってしまうのか俺には不思議でならなかった。
二人が親密な中なのか、とも考えたけれども、どうも二人からはそういうものが漂わないというかなんというか。はたからみてて、わずかでもそういう雰囲気をかもし出している風ではないので、違うのではないかという考えにいつも落ち着く。けれどももしかしたらというのがなかなか消せない。
それはやはり、上官からの命令であるからしたがっているこの掃除に少なからず不満を抱いているから、それなりの裏事情のようなものがほしかったからだ。
もし、くだらない理由で掃除を押し付けられていたとすれば、いくらなんでもやっていられない。何か思いもかけないような理由があると考えるからこそこの掃除をやっていられるようなものだ。
いつの間にか掃除は大方終えていた。
「兵長、どうですか。」
「十分だ。」
兵長は、チェックもせずに頷いた。俺は、今日の兵長は少しおかしい気がしつつ掃除用具を片付け、下がることにした。
兵長の部屋から出ると、ドアの蝶番で止まっている側の壁際になまえさんがいた。
「おつかれ。」
声をかけられてから気づいたので少し驚く。
「いたなら、入ってくればよかったじゃないですか。」
「いま来たところよ。」
「じゃあなんで壁にもたれかかってるんです。」
「リヴァイと二人で話すことがあったから。」
「はあ、そうですか。」
「てことで、さっさと行ってよ。」
「・・・はい。」
なまえさんは兵長の部屋へと入って行き、後ろ手にドアを閉めた。
俺は、掃除中に考えていた裏事情のようなものの気配を感じて、気づかれないよう、そうっとドアに耳をあてた。
普段、こんなことに俺は興味がないはずだった。こんなこと、なんの役に立つんだって、それより訓練しないとってたぶん思っていたはずだった。
『リヴァイ。あんた私がエレンに掃除任せてんの知ってたんでしょ。』
『ああ。』
『じゃあなんで毎回私に掃除押し付けて来てんのよ。毎回毎回ごまかすの面倒だったんだけど。っていうか馬鹿みたい。』
『あ?そのほうが面白いだろう。』
『私は面白くないし。』
『嘘を付くのが苦手なお前が、必死に誤魔化してる姿なんて、可愛くて面白い以外なにがある。』
『なっ、・・・・!!』
『まあ、そろそろ慣れて来たみたいだから、終わらせてみたが・・・予想外の可愛い反応が見れた。』
『〜〜っの馬鹿!!』
しかし俺は、聞き耳を立ててしまう理由を、自覚せざる負えなくなった。俺は、なまえさんが気になっていたのだと。だから、知りたかったのだと。
知らぬが仏
でも、知らないほうが良かった。
裏事情も、俺自身自覚していなかったこの気持ちも。
まだ、浅いうちだったのがせめてもの救いかもしれない。
prev / next