よせる唇
なまえは笑っていたと思う。
場所は壁外だ。そして、壁外だった割りには広い草原だとか群青色が薄まったような開放感ある青空はあまり見えていなかった。壁外だというのに狭っ苦しいくて息苦しい空気に喉がほんの少し締められた感触が気持ち悪かった。
そのときの雰囲気は決して殺伐としていなかったし、緊張感が走っていたというわけでもなく。ただひたすらに穏やかで生温かった。
なまえも穏やかに笑っていた。
服装は言うまでもない。壁外にいるのだから調査兵団の団服と立体起動装置だ。
兄貴、となまえは俺を呼んだ。仕事と私事をきちりと分けるなまえにしては珍しい呼び方である。
そしてなまえは俺に歩み寄って自分から唇を寄せた。俺はそれをただ受け入れ、唇が離れても追いかけはしなかった。
それだけでもう、何もかも事足りた。
なまえは穏やかな笑みを浮かべつつ、じわりと目を潤ませ始めそれから刃を取り出した。どうやら最後の一本だ。俺も同様に最後の一本を取り出した。
俺もなまえも、何体もの巨人をその刃で切ってきたのだから、使い方も、肉の削ぎ方もどうすればいいかはわかっている。
なまえの目からは立った一筋だけ涙がこぼれ頬を伝った。俺はなまえの瞳に口付けて、頭を撫でた。俺もほんの少しだけ口角を上げ、互いに見つめ合う。
最後にもう一度だけ口づけをした。
そして同時に、斬った。
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「・・・・というのが、もしもの場合だ。」
「兄貴に限って、そういうことはないから安心して。ただ、互いに斬り合うっていうのは同感かな。」
「そうか。・・・じゃあ、次の場合を聞くか。」
「そうね。きっとそっちのほうがもっと幸せな気がする。」
「まあ、どっちだろうと俺は幸せだがな。」
「でも私は一つだけ不満があるんだけど。」
「なんだ。」
「私がキスした後は、兄貴からもキスして欲しい。」
「そうか。ならそうしよう。」
「それで、ほかの状況のは?」
「それは・・・・」
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目を覚ますと見慣れた天井が見えた。
俺となまえの自室。
奇妙な夢を見たあとの、なんともいえない空虚さがただただ己の心の中に居座っていて。
その居座る空虚さを埋めるために隣で寝息を立てている小さな頭をそっと撫でる。
安らかな寝顔を見て、その額に唇を吸い付かせる。
するとくすぐったかったのか、少し口角の上がった唇に、まだまだ死ぬ時期ではないなと思ったのだった。
よせる唇
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