此処にひとつの心臓があります | ナノ




未練旅行


何か四角く薄い膜のようなもののなかで、泣きながらうずくまっている少女がいる。
彼女の服は私の黒一色とは正反対に真っ白だった。異国風の装いをした彼女の背は小刻みに震えている。

いったいどうしたのか、そうっと近づくとどこか奇妙さを覚える声で少女がつぶやいているのが聞こえた。


「もうだめ・・・もうだめ・・・」


いったい何がだめなのか私には分からなかった。どうしたのかと声をかけたのだけれど彼女には声は届いていなかった。まるで私の存在そのものが見えない聞こえないかのように彼女は私のほうを向かなかった。


「みぃつけタ。」


どしり、と重たげな足音と不気味な声が聞こえた。そちらへ顔をむけると、いたのはAKUMAだ。私は思わず自分のイノセンスが宿る苦無へ手をかけたけれど、それにはイノセンスが宿っていなかった。私は逃げるしかない、と思ってなんとか少女と意思疎通を図ろうと彼女の方を向く。

そして気づいた。AKUMAの方を向く彼女の顔は私とそっくりだということに。


「いや・・・やめて、お願い・・・!」


彼女は震える声でAKUMAから距離を取ろうと後ろ後ろへと尻を滑らせ、薄い膜の端にぺたりとくっついた。AKUMAは愉快そうに口元を歪めて彼女に近づく。


「死にたくない・・・!」


彼女のその一言を聞いたその時、彼女の姿が消えた。薄い膜は伴わず、ただ彼女だけが消える。


「あァ!?」


困惑するAKUMAは薄い膜へ向けて何弾か鉄砲を撃つ。薄い割には頑丈な膜の中から、「ひっ」という声が私にかろうじて聞こえてきた。
彼女は、どうにかして自らを見えないようにしているのだ。私はまるで、リナリー様たちのような神術だと思った。私とそっくりな顔をしたあの子は、イノセンスに適合しているのかもしれない。

AKUMAは彼女の小さな悲鳴が聞こえなかったようであたりをキョロキョロと見回して、姿を探している。見つからず、ちっ、と舌打ちをしている。


「探し物が見つからねえ様だな、ノロマ。」


その時よく聴きなれた声がして私はAKUMAの頭上を見上げた。神田様がそこにいた。彼女とは正反対だが、やはり異国風の真っ黒な服を着ている。神田様はAKUMAに声をあげる隙さえ与えず脳天から真っ二つに切り裂いた。仲間がやられたことに気がついたAKUMAたちも一掃し、神田様はまた薄い膜の前に戻ってきた。


「発動を解いたらどうだ。」


薄い膜に向かって語りかける神田様。どうやら彼女のことに気がついている様だ。
何もない空間で、声だけが響き出す。


「は、発動・・・?」


「お前はイノセンスに選ばれてこうなってる。落ち着いて発動を解け。」


「嘘・・・」


口元を押さえ、へなりと地面に座り込む彼女の姿がすうっと現れる。神田様は彼女と二言三言話をして、どうやってか薄い膜を取り除いた。


「私、選ばれた・・・?」


「そうだ。」


彼女はわあっと泣き出した。それは私には喜びの涙の様に見える。


「私、イノセンスに選ばれたんだ・・・!!」


彼女が手のひらに涙を受け取る様な格好で顔を上げた。

その時、すうっとその場面が遠ざかって、また私は一度暗闇に戻された。もっと見ていたい。そうすればわかったのに、と悔しがる心をなんとか押さえつけた。ここはロードの夢の中。これは全て、彼女によって支配されている。もしかしたら私を自殺に追い込むための虚偽が含まれているかもしれない。


「嘘なんて入ってるわけないじゃーん。」


背に後ろから飛びつかれて、私は声がより大きく聞こえた方へ顔を向けた。ロードはいつもの姿で私に飛びついてきていた。普段彼女が人を自分の夢に引き込むとき、いつだって誰かしらに扮装するのに。私には彼女は本物としか思えなかった。背中から飛びつかれたときに感じた恐怖は、彼女からしか感じえないものだったからだ。


「これは、柴乃の本当の人生。よぉーく見ておくんだよ。ハイ次。」


ロードはふわりと私から離れて暗闇に消え去っていく。姿が消えたところから光があふれ出してきて、新しい光景が生まれた。

場所は、荒野と言えばいいのだろうか。石造りの建物が崩壊している。瓦礫の山は灰色で、あたり一面、まるで色が抜けてしまったかのよう。
そこに、黒衣をまとう"私"と神田さまがいた。二人でAKUMAと対峙していた。あれはきっと三段階目まで進化したAKUMAなのだろう。


「お前は援護。俺は前衛。いいな。」


神田様が指示をだし、"私"が頷いた。
神田様がAKUMAに向け駆け出す。"私"はイノセンスを発動して神田様の姿を複数に作り出していた。まるで影分身のようだ。おそらく"私"のイノセンスは幻覚かなにかを作り出す神術をつかえるのだろう。

神田様はほぼ一人でAKUMAを片付け、剣を鞘に納める。


「帰還する。」

「はい、神田様。」


その言葉にまた"私"が頷き二人は去っていく。
二人並んで歩いていく後ろ姿を私は見つめていた。すると神田様は私の手を取り、私は神田様にそっと寄り添う姿を見せる。どうやら、ロードのいう"私の本当の人生"では神田様と私はお互いを思いあう関係のようだ。


「あーあ、馬鹿馬鹿しい。」


ロードがまた後ろからぬっとあらわれる。


「一応説明してやるけどさ、柴乃とあの神田は恋人同士。柴乃はもとはファインダー、つまり、神田よりは下の存在だったから、エクソシストになった今でも神田様〜なんて呼んでんの。かわいいねえ、柴乃。」


私の肩に肘を置き、柔らかい頬が手のひらで持ち上がり顔が崩れているのも気にせず、怠惰な様子でロードは語った。


「いろいろ見せてっと長くなっちゃうしちょっと説明するけど、これから柴乃は神田と喧嘩したまま任務に出てって、ティッキーに遭遇するよぉ。そこらへんなんか思い出しかかってるみたいだし、一応見せてみるから。」


ロードが暗闇の中へ私を引き込んで、暗闇の中に浮遊した。
ロードは今度は私の前から姿を消すことはせず、私と一緒に私の次の記憶を見ることにしたようだ。ロードは私のこれからの反応を間近で見たいようだ。
私たちの正面から光が生まれだす。それからだんだんと地に足がつくのを感じつつ、私は世界が整うのを待った。私とロードがいるのは、石造りの部屋だった。
部屋には神田様と"私"がいた。神田様は"私"を怖いほどににらんで、"私"はそれに対抗するようにまっすぐ見返していた。


「どうして、あんな風に冷たいんです。」


「別に、このくらいあいつだってどうってことないだろ。」


「私は、リナ様が特別です。神田様と同じくらい特別です。神田様だって、リナ様とは幼馴染ではありませんか。以前はもっとリナ様に優しかったはずです。なのにどうして今はあんなに邪険に・・・」


「俺の勝手だろ。」


「そんなっ・・・」


話が少し見えてくる。神田様と"私"はリナ様のことでもめている。詳しい状況はわからないが、神田様は何かしらの理由からリナ様に冷たいようだ。


「神田様は、なんとも思わないのですか。リナ様が先ほどあんなに悲しそうな顔をしていたのに、なんとも思わなかったのですか。」


「・・・好きでもねぇ女に、なんで俺が何か思わなきゃいけねぇんだ。」


神田様のこの言葉は、どこか既視感を覚えるものだった。あれは確か、私が初めてリナ様に出会ったときのこと。神田様のことを思い涙している彼女を慰めに行ってほしいと私が頼んだ時のことだ。神田様は、「好きでもねぇ女」と冷淡な口調で言った。あの時、私は会ったばかりの彼女のことを思って無性に腹が立ったのだ。もしかしたらこれは、ロードのいう"本当の人生"と関係があったのかもしれない。


「どうして、そんな風にしか言えないのですか。リナ様が、何かしましたか。」


"私"がわなわなと拳を震わせ出す。


「・・・私、神田様がきちんとリナ様と和解するまで、彼女のそばにいます。」


「は!?おい、」


「それでは。」


急に何かを決意して"私"は部屋の外へと出ようとする。私はまたもや既視感を覚えた。


「待てよ!」


神田様が腕をつかもうとする手を振り払い、"私"は神田様を睨み付けた。


「神田様なんか・・・!!」


そのとき私の頭の中で、一本の糸がまっすぐに引っ張られるような、そんな感覚がした。


「一度、人からの冷たさを思い知ればいいんです!」


"私"が部屋から出ていく。ドアが閉まるころには、私は完全に全て思い出していた。

私はこの後、任務でティキと遭遇する。そして心臓をつかまれて、死を覚悟したのだ。


「全部思い出したみたいだね。」


ロードが笑みを浮かべて私を見定めるように見つめている。


「柴乃のイノセンスは、本来はただ幻覚を作り出すだけしか能力を持たない。でも最後の最後で、柴乃は後悔したんだ。『神田とあんな形で別れてきてしまった』って。それが強い力となって、世界の時を止め、ヨーロッパ中に幻覚を見せることにつながった。後悔を消すまで終わらない、無限ループの世界。どぉ?思い出した気分は。」


ロードの目は語っている。「時を止めた中で、永遠に神田といたいか。それとも、後悔を消し、時を進めたいか」と。


「あ、忘れないで欲しいんだけど、柴乃が自殺しない限り、神田もアレンも僕たちに殺される運命だから。この中にいる限り、みんな元に戻るとはいえ、苦しみは相当あるだろうなぁ。」


ロードは私を追い詰めたいのか、ペラペラとしゃべる。しかし私は、彼女が何を言おうとも思い出した瞬間から自分の答えを持っていた。


「この、夢の世界を解いてください。」


私はロードを静かに見つめそういった。ロードは自らの夢の世界の中で、私の考えていることがわかるのか、表情を一切変えることなく、ただただ不敵な笑みを浮かべていた。

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