此処にひとつの心臓があります | ナノ




愛と支配


心臓が止まってしまったかと思った。

私は悲鳴を上げるわけでも、恐怖で震えるわけでもなく、ひざから崩れ落ちてしまった。
アレン様はこの緊迫した状況に、唇を噛んで立っている。

ティキは神田様の心臓をつかんで笑っていた。


「おー、来たか。」


親しい友人に会った時の声音で、彼が言った。


「ど、して・・・」


鳥肌が立ってめまいがしそうだった。


「とりあえず、もっと近くに来たら、柴乃。」


ティキは神田様の心臓をつかんでいて動けないので、私を呼びよせる。私は彼を目の前にしてしまった絶望に近い恐怖で、力が入らない。


「あれ、聞こえねぇ?・・・来い。」


ティキの怒気こもる声に考える前に体が従った。シェリルに操られているわけでもないのに、動きは私の意思を反映していない。


「そう、俺の左側な。」


右手で神田様の心臓をつかんでいるため、ティキは左手だけを広げて私を迎えた。私は彼の腕の中にそのまま入る。温かい体に包み込まれているのに反して、私の体は芯から凍え始める。


「くそっ・・・」


神田様の悔しそうな声が聞こえて、私は目をつぶった。


「見ないでください・・・!」


涙があふれ、体が震え始める。他の男の腕の中にいる私など、見て欲しくなかった。


「ああ、やっぱし?柴乃、浮気してんだこの男と。」


ティキが私を抱く腕をギリギリと強める。私は何も言葉を発せなかった。少しでもティキを刺激したら、神田様の心臓が握りつぶされてしまう。

そのとき、すっとティキの腕の感覚がなくなって、私は首をティキの手に噛みつかれるように絞められていた。


「ふざけるなよ?お前は俺のもんだろうが。」


突然のことで、一気に体の中の空気が逃げてしまった。苦しくて、視界の端から暗闇がじわじわと広がっていく。意識を手放しそうになる手前で、ティキは私の手を放し、私は彼にひざまずくかのように崩れ落ちた。せき込んだあと、自分の体がとても震えていることに気が付く。

私は神田様のほうへ視線をあげる。よかった、まだ何もされてない。


「まだこいつ見んの?俺のほう見ろよ。」


首の後ろを引っ張って私を立ち上がらせ、私の顎をつかみティキは息が触れ合うほどまで顔を近づける。恐ろしくて目が合わせられず、私は視線を下げてしまう。


「見ろ。」


二度目の命令で、私はゆっくりと視線をあげてティキと目を合わせる。目があった瞬間、どっと涙が増した。ふるえる唇を必死で閉じて、嗚咽をこらえた。


「ははっ、おびえてんねえ。」


するりとティキが頬を撫でた。頬に鳥肌が立つなら、私の顔は一面ぶつぶつだっただろう。


「どうして、まだ戦争の予兆は見られなかったのに・・・」


「は、なに?戦争?」


アレン様のつぶやきをティキが拾った。先程からころころと変わる彼の殺気が恐ろしい。


「あー、なんかロードがやるっつってたな。俺には関係ないけど。」


ノア国と黒の国の戦争はここ十年ほど行われていなかったので、私はノアがどのように戦争を行うか知らなかった。もしもっと早く、神田様の許可を求めずノア国内部まで行き、諜報活動をしていたら、私はこの状況を回避できたのだろうか。


「俺の関心はお前だけだから、柴乃。わざわざさー、千年公に頼みこんで扉開けてもらったんだぜ?」


ほらそこ、とティキが顎で指す。神田様の執務室の奥にある床の間にドアがあった。神田様が座る位置からは死角だ。


「ロードが俺を止めるから、こんなに時間かかっちまった。ロードが戦争始めるお陰でこうやってこれたってわけ。」


私はこぶしを握り締めて、恐怖や怒りを抑え込む。歯の隙間から漏れる息が震えている。


「俺、柴乃がいない間、気が狂っちまいそうだったぜ。こんな風に他の男とよろしくさせるくらいだったら、殺して永遠に俺のにしとけばよかったなとか思ったり。」

「・・・私を、殺さないんですか。」

「生かせるなら、生かしといたほうがいいじゃん。人間は死んだら面白くねえし。」

なぜ彼が私にこうも執着するのかわからないけれど、彼の執着心によって私がまだ生きているのは理解できた。

「で?戻ってくる気はあんの?」

瞳の冷たさを隠すほど目が細まる笑みを向けられた。その笑みと瞳は一つの選択肢しか用意していないのは分かってる。
戻りたくない。戻れば何が待ち受けているか分かっている。でも戻らなかったときに待ち受けているのは、全員の死。

一体どうすれば二つの地獄への道を歩まずに済むのか、わからなかった。進む先は奈落しかないと分かっていながら、私はそれでもまだ、希望を求めている。

その時、私の頬を誰かが後ろからそっと包んだ。それからするすると手が私の体に巻き付く。

「裏切者は、みーんな死ぬのが物語だよぉ、ティッキー。」

手の肌色、その声は、全てロードのものだった。

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