此処にひとつの心臓があります | ナノ




闇の中


「・・・なんでてめえが此処に。」


体が熱い。あともう少しで口付けをしてしまおうかというときだったので恥ずかしさがこみ上げてきたのだった。
神田様は目の前にいる白髪の方に向かって鋭い視線を向けていた。しかしそれは敵に対するような視線ではなく、ただの嫌悪感の表れのようである。


「中央からの命令で、僕も最前線に行くことになったので、挨拶がてらほんの少し寄り道しにきたんですよ。」


「お前、自分の領土はどうする。」


「新しく来たエクソシスト二人に任せるようです。今は最前線の戦力層を厚くしておきたいと。」


ちっ。
少し離れたところにいる神田様を見上げると、彼は心底嫌そうにしていた。もともと容姿端麗でなんでも似合うような男性であるから、そのように眉間にシワを寄せていても様になっていて、何処かの舞台で演じている演者のようだった。二枚目とはまさしく彼のことだ。神田様であればきっと、芝居小屋から出て来たとたん、女性たちが彼の元にわっと集まるのだろう。
そんな二枚目様はどうやら白髪の方のせいで気分を害したらしく、おそらく自室のほうへと立ち去った。去る直前に、ちらりと目線があった気がしたのは気のせいではないと思いたい。


「珍しいですね。神田が僕と喧嘩せずに行ってしまうなんて。」


神田様が去った後、独り言なのかそれとも私に話しかけたのかわからない口調で白髪の方が言った。そろそろ宿全体を消灯させるのか、奥のほうから火がふと消えていく。
そろそろ私も、自室へと戻ろうと思って動き出したかったけれど、目の前に白髪の方がいる手前、なにも言わずに去るのも失礼だ。しかしなんと言って話しかければいいのか。こういう時、交友が少なくて対処の仕方がわからない自分のできの悪さに心許なくなる。


「あ、僕、アレン・ウォーカーです。よろしくお願いします、柴乃さん。」


彼は私と違ってそうではなかったのか、先に声をかけてくれて、ホッとした。


「よろしくお願いします、ウォーカー様。あ、私のことは呼び捨てで構いません。」


「僕も別にウォーカー様なんて言わなくていいですよ。アレンって呼んでください。」


「では、アレン様。」


「いや、様をつけないで欲しいんですけど・・・まあいっか。」


アレン様は、西洋から来たお方らしかった。そういえば、この地は東洋だというのに西洋の人が多い。その割りには生活様式は西洋風のものではなく、生まれも育ちも東洋の人間ではないかと疑うほどだ。
かくいう私も、祖父が西洋人である。このようにこの国は東洋人より西洋人の割合が高いと思われる。こんな特殊なことは世界ではあまりないだろう。
そもそも"世界"という概念があるというのもこの二つの国以外では珍しいことだった。それを初めて知ったのはノア様が、一度だけ黒の国以外の他国と接触しようとして私を諜報のためにその国に送ったときのことだった。世界という単語を用いるとその国では皆一様に首を傾げるのだった。


「じゃあ、今日はこれで。おやすみなさい、柴乃。」


ほんの刹那の間に巡らせていた思考から目を覚ました私は内心慌てて小さく笑んだ。


「おやすみなさい、アレン様。」


深くお辞儀をして私は自分にあてがわれた部屋へ帰った。

部屋はもちろん真っ暗。私は燭台の蝋燭に火をつけた。小さく蝋燭の光が灯って炎の緩やかな揺らぎにホッと安堵する。忍は真っ暗な暗闇でも夜目が効くから蝋燭の火など灯そうが灯さまいがあまり関係はない。しかし蝋燭の灯火というのは人を安らげる何かがあって見ていて飽きないのである。
私はぼうっと蝋燭の火を眺め、それからその火に向けて小さく息を吐く。するともちろん一際蝋燭の火が大きく揺れた。しかしほんの少し吹きかけただけじゃ炎は消えるわけはない。またすぐに元のようにゆらゆらと立ちあがった。

どれだけゆれていても、火は必ず立ち上がる。それが炎だと言ってしまえばそれで終わりなのだけれど、炎は燃え続けている限り決してくじけないからだと言えば夢のある話だと思う。途中風に吹かれたり水に濡れたりしてくじけても、また点けてやればつくのだ。
人間の心だって点けてやればくじけない。それに現実とは違って、水にも風にも負けないように轟々と燃やすことだってできる。強い感情を燃料にしてどんどん燃やしてやることができる。燃やし続けて大きくすれば、火は闇に対抗する術にもなる。

火は偉大なのだ。強くて、大きくて、温かくて。だから安らげるし、安らいだあとはがんばろうと思える。


しかしそう思った直後、急に蝋燭の火が吹き消された。


「っ!?」


急な風が吹いたわけでないにもかかわらず消えた蝋燭に驚いて、そのお次は自分の下腹部に後ろから大きくて少しごつごつした手のひらが、さながら幽霊のように張り付いたことに驚いた。その掌はだんだんと触れる力を強めると、服もろとも上へ上へと上がって胸の下側に指が両手一本ずつ接した。誰かの顔が後ろの首元に近づいて、熱い息が首筋に当たった。その艶かしい息遣いと手の動きに自分でもわからない感覚が込み上がってくる。
――人の気配はどれだけかすかであっても感じ取れるはずだったのに、どうしてこの気配が感じ取れなかったのか。

耳に息がかかる。誰かの唇が形を変えて行くのもわかるくらい近いのがわかった。


「・・・もやしとなにを話してた?」


「かんださま・・・!?」


耳が甘くしびれてしまいそうな深い声に私はまたもや言葉に表せない感覚を感じ体をびくりとこわばらせた。


「あ、あの、このような・・・おやめください。」


「いやか?」


「その・・・」


私は答えられず口ごもった。
神田様のことは慕っているし、こんな私に先ほどのように優しくしてくださるのは嬉しい。しかし今の神田様の行為は、先程のものとは別で私は戸惑う。これは、どういう気持ちを意味するものなのだろうか。
神田様を慕っているからこそ、その意味するものが気になってしまう。ただそれを神田様に聞けるはずはなく、結局押し黙るしかないのだった。


「まあいい。」


神田様はそう言うとお腹に触れていた手を離した。耳元の気配も遠のく。


「あの、神田様・・・」


神田様を振り返ろうとした、その時だった。
目を覆われ、私はそのまま畳に押し倒された。


「神田様!?なにを・・・」


「なにをすると思う?」


突然雰囲気ががらりとかわった。禍々しい狂気と少しの殺気が肌を刺す。それは以前まで肌に染み付いていたものだったからすぐに理解した。


「ロード様・・・っ。」


これはきっと、彼女の夢の中。
彼女は声と姿を自分のものへと戻してそれから目を覆っていた手を外した。人間に化けているときの、無垢な肌でするりと私の頬を撫でた。なでられた頬の毛が身をよじりたいくらいざわざわと逆立つのがわかった。


「ぜーんぜん帰ってこないと思ったら、こんなとこでいい思いしてたみたいだねえ。」


うらやましいなあ。口元を最大限に引き伸ばして彼女は言った。


「どうしてくれようか。」


人を人だと思っていない目が私をどうなぶってやろうかと愉快そうに細まるのをみて、背筋に悪寒が走る。

どうか。どうか。

私はにじり寄る恐怖に囲まれた状態でロード様に向けて心の中で祈った。

どうか、許して。家族は殺さないで。

今の今まで家族のことなんかまったく頭のなかになかったというのに、危険だという影が近づいたとたん、私は心の中で懇願していたのだった。


「裏切ったんだし、許すわけがないでしょ〜?お前も、そして家族も。」


彼女は私の考えていることはお見通しだった。ただ彼女はそんなことはどうだってよかったようで会話を成立させるためだけに私の頭の中で浮かんだ思いに返事をして、「でもね、」とまるで秘密の話をする普通の女の子みたいにいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「僕は柴乃の家族なんてどうだっていいんだぁ。僕の関心は柴乃。柴乃がどうしたらいい表情で死んでくれるのかって言うことだけ。」


考えるだけでも楽しいんだ。ちょっとしたいたずらをしようとして笑っている女の子みたいな言い方は無邪気さしか含んでいなくて、それが更に恐ろしかった。私が、殺される、だとか、死にたくない、だとか泣き叫ぶのを、彼女はこれからちょっとしたいたずらが成功したといった風に喜び面白がってくすくすと笑うのだと思うと恐ろしかった。

けれど、


「僕はお前を殺さないよぉ、柴乃。」


ロード様はくすくすと微笑してそういった。


「お前だけはね。柴乃は自分の意思で自分を殺すんだ。」


意味がわからず恐怖の中で混乱する。ロード様は私に理解させる気はないようでそのまま話を続けた。


「そうしないとこの業は断ち切れない。何度でも何度でも繰り返す。柴乃はねえ、この戦のじゃなくて本当はこの"世界"の鍵なんだぁ。今回は予想外のことが多いから、もしかしたらって期待してるから期待に応えて欲しいな。ま、お前にはわからないことか。」


キャハハ、とロード様は高笑う。


「今回はそっちの国にお前を置かせておいてあげる。せいぜい余生は自由に過ごしなよ。
あ、近々大きな戦を仕掛けるから、ちゃんとそのことを黒の国に伝えるんだよぉ。」


じゃあ、バイバーイ。
ロード様は言いたいことを全て言い終えたようでそのまま去って行った。私は背中を畳から起こし、派手な扉の向こう側へと行くロード様を呆然と見つめていた。

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