此処にひとつの心臓があります | ナノ




意識


久しぶりに見た柴乃は纏う雰囲気が変わっていた。少し柔らかくなった気がする。
俺は顔を合わせづらくて影から見つめた。柴乃はうぐいすばりの床が珍しいのかわざと音を鳴らして楽しんでいた。
柴乃がコムイの部屋へ先に入ってから俺も後でついていこう。今ここで顔を合わせるのも気まずく、柴乃からはみえない角で待つことにした。

だが。

今までよりも一段と大きく板がしなる音が聞こえたかと思えば、次の瞬間には首筋には冷たい金属が当たり、頬には温かな吐息がかかった。

驚いて目を見開く俺と柴乃。


「なぜ、ここに・・・?」


微動だにしない柴乃。しばらく俺も固まっていたがそろそろ首筋に刃物が当てられたままなのが耐えられなくなり、俺は口を開く。


「おい、その苦内をどけろ。」


「あ、!」


柴乃は反射のごとく後ろに体を引き、ひれ伏した。


「も、もうしわけありません、どうかご容赦ください・・・!」


わずかに体が震えている。俺は驚いた。確かに刃物を人に突きつけたのだから必死に謝るのはわかる。だが、震えるほど何におびえる必要があるというのだろうか。


「おい、立て。」


俺はなるべく落ち着いていった。しかし柴乃は額をさらに床につけた。


「お許しにならないでください。こんなことをして本来ならこの場で切られてもおかしくないのに、ましてや立てなど、」


彼女の話を理解したとたん、俺は頭がかっと熱くなった。


「てめぇは今どこにいる。」


「・・・?」


柴乃の、闇を垣間見たと思った。無意識のうちに彼女の中に染み付いている、ノア国での闇が。


「ここは黒の国だ。」


こちらの国へと来て、数ヶ月。柴乃の雰囲気は殺伐としたものが洗い落とされて彼女本来のやわらかさがあった。それでも、心の深い根の部分は、体に染み付いたものは、まだ抜け落ちることを許さず絡み付いているというのか。


「てめぇは今、どこの国の話をしていた?」


あふれそうになる怒りを押し殺して柴乃に問うた。あの色黒のノアたちを今すぐにでもぶっ飛ばしてやりたいと思った。


「っ・・・」


やっと自分の行為に気づいた柴乃が体を石のように硬くした。


「わかったか。なら立て。」


いまだ消えない怒りから、思わず鋭くなる声。


「・・・・・・」


「立てっつってんだろが。」


苛立ちをよそへやりたくても、まるで柴乃に矛先が向いているかのようになってしまって。柴乃にやさしくしたいのに。抱きしめてその恐怖を取り除いてやりたいのに。それができそうにない。自分の気持ちと正反対の行動をとめられそうにもない。

体の硬直が解けない柴乃を手助けするつもりで腕をつかみ、引っ張りあげる。ぶつける怒りの相手が柴乃ではないのに、怒りが行動を粗雑にさせて、引っ張りあげるのも乱暴になる。

柴乃は一度俺の胸に倒れこんだあと、ゆるゆると自分の足でしっかりと立った。しかし、顔を俯かせている。


「あ、ありがとうございます。」


落ち込んだ声。血色の悪い肌。


「・・・なかなか、消えてはくれないものですね。」


手首をそっと、手で包んだ柴乃。


「この痣も、まだ消えません。」


そういわれて視線を彼女の腕へと下げれば、その手首には紫色の痣があった。

俺も前に一度見たことのあるあざ。数ヶ月たてば普通は消えているはずの痣は、薄いけれども頑固に彼女の心を蝕もうとしていた。


「・・・・・」


先ほどまで抱えていた怒りが、一瞬にして変わっていた。そんなものは後回しで、それよりも俺の中を占めたのは、初めて自分が大切な人を失ったときと近いものだった。

無意識だった。

この痣も柴乃に寄生する闇もすべてすべて、消し去ってしまいたいという強い感情と悲愴感が乱れてわけがわからなくなったけれど、俺のこれからの行動と目的だけはしっかりと一点だけに絞られていた。

柴乃の手をとる。俺よりも少し冷たかった。そして俺の手よりも遥かに小さくて頼りなかった。こんなに小さな、それも少女が戦場へと駆り出され、心に闇を植えつけられ、踏みにじられ、何もかもを背負わされていたのか。

俺は迷わず彼女の手首に吸い付いた。


「かんださま!?」


驚き、顔を上げる柴乃。あわてて腕を引かれた。手からするりと抜けていく。そうはさせるか。俺の手から抜けていってたまるか。離さない。離したくない。こんな小さな、もろい少女を俺は俺の内側に入れて守りたい。どれだけ自分勝手であっても、それが彼女のためになるならば。

その腕をもう一度引き寄せてさらに吸い付いた。痣のある範囲すべてに吸い付いて痣を別の痣で上書きする。
吸い付き終わった後の彼女の腕は赤い華のようになっていた。


「こんな痣、俺が全部消してやる。」


そういったときの彼女の表情は、もう二度と見れないかもしれない。


「ありがとうございます。」


赤い華となった腕を胸に寄せて抱く柴乃。そのときの心からの小さな微笑と安堵の表情は、女の表情だった。


「・・・コムイのところに行くぞ。」


俺は彼女に背を向けて歩き出す。心中穏やかではなかった。
柴乃が後ろからついてきた。

心臓がうるさい。顔が火照る。・・・彼女のことが、とても愛おしいと思った。

女の表情の彼女はとても美しかった。

たった一瞬だけ、今までのしがらみがすべて抜け落ちて幸せをかみ締める表情に俺は瞬殺されたのだった。

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