失望
私が外に出た直後、リナ様が部屋から飛び出していかれた。
主に追いかけろと命じられたので私はリナ様を密かに追いかける。
先ほどまでの状況からして、私も主も適任ではなかったが、どちらかといえば私が追いかけたほうがよさそうなので追いかけた。
リナ様が向かったのは城の隅の小さな庭だった。真っ白な砂利が敷き詰められ、小さな池もある場所だ。ちょうど隠れるには良い場所があったので、そこに隠れ様子を伺っている。
リナ様は・・・泣いていた。
目を真っ赤に腫らしている姿に心に小さな罪悪感が芽生える。私がここに存在しなければ、リナ様は泣く必要はなかったのだ。リナ様は主に恋をしている。それは誰が見ても見紛う事なき事実だった。
これほどまでに美しく清らかな人というのは見たことがなかった。女の人の涙はなんてきれいなのだろう。なんて美しいのだろう、切ないのだろう、儚いのだろう。桜の花びらが落ちるようにはらはらと落ちていく涙が胸を締め付ける。罪悪感がむくむくと膨れ上がって気づかぬうちに私の目から涙がこぼれ落ちる。
主は、私に何をしろというのだろう。私が追いかけたって、私のせいでリナ様は泣いているのだから逆効果じゃないか。かえってリナ様は傷つくだけだ。
「〜〜〜〜っ。」
私は涙を勢いよくぬぐって、もと来た廊下を戻った。角を左に曲がって目的の部屋の障子の前にどさりと正座する。
「主。」
「・・・なんだ。」
少し遅れて返事が聞こえて、私は障子を隔てたまま主と話した。
「恐れながら、一つお頼みしたいことがございます。」
「・・・言ってみろ。」
「リナ様を追いかけるのは私では無理です。主が行っていただけないかと。」
「・・・・・・」
主はしばらく黙った。私は拳をひざの上で握り締めた。
あんなリナ様を見て放っとくこともできるわけないしかといって私がどうすることもできない。
恋しくて恋しくてたまらないって顔をして、心だけじゃなくて彼女の全てが主が愛おしいって発してて。見てるこっちまで切なくて切なくて、もどかしくてじりじりと胸を焦がされるこの気持ち。罪悪感というのもあるのかもしれない、でもそれよりも彼女の何かが私を強く動かすのだ。直接は彼女の力になることはできないとしても。なにか力になりたい。そう強く思うのだ。
だから主が最後の頼みの綱だった。この状況でリナ様に何かをしてあげられるのは主だけだ。主以外に誰もいるはずがない。
「あの、主。」
「・・・・俺が行ってどうなる。」
「え・・・?」
主の返事が一向に聞こえないので返答を促すように主を呼ぶと。
「俺に何をしろと?」
・・・・いま、なんと?
私は一瞬、主の言葉が空耳に思えた。なぜ?あんなリナ様を見たはずなのに、主はいま、なんと?
驚きで声も出せない私に主はさらに言葉を重ねる。
「俺が行って何になる。好きでもねぇ女を慰めろと?」
ぽかんとしているうちに並べられた言い訳たちに私は怒りを覚えた。主を尊敬して、素晴らしいお方だと、そう思っていたのに。あのノア様と主は違うと思っていたのに。これでは、これでは主も一緒だ。もしかすると、痛みと恐怖しか与えないノア様よりも、心を深くえぐる主のほうが酷いかもしれない。
「主、ご無礼お赦しください。」
怒りに任せ、私は主の許しも得ず主のいる部屋の中へと踏み込んだ。私の初めての無礼行為に主は目を丸くする。
私は何を言わず、まず主の頬をひっぱたいた。
「なにしやがっ・・・っ、ぐはっ・・・」
主が怒りで立ち上がったところを今度は腹に蹴りを入れた。主が倒れず踏ん張ることは予想の範囲内だったので今度は鳩尾に拳をいれ、最期に膝蹴りを食らわす。
小さなうめき声が聞こえたが、これくらいで主は倒れるはずもない。油断していたこともあって少し怯む程度だ。その隙に私は静かに主に怒り心頭の一言を浴びせた。
「私は主を素晴らしいお方だと勘違いしていたようです。少しでも、期待した私が大馬鹿者でした。」
一体何のことやらと放心する主を余所にくるりと体の向きを変え、私は迷いなくリナ様の元へとむかった。
リナ様はもう涙しておられなかったが気持ちの整理がつかないのかじっとうずくまっていた。そんな彼女の前に私は跪く。
「リナ様。」
そっと、ほんの少しだけ声帯を震わせる程度の声で、リナ様はゆっくりと顔を上げた。目がとても赤く腫れ上がっている。頬を伝っている涙のあとは数え切れないほどでまたきゅ、と胸が切なくなる。ああ、もうそんな顔をしないで欲しい。あの子猫と遊んでいた時のように愛らしい笑顔を取り戻して欲しい。それが私のせいならば尚更私が取り戻さなければならない。
「これ以上、涙を流さずとも良いよう、私にあなたを守らせてください。どんなことでもいい。あなた様のためになるのであればどんなことでもしたいのです。」
気づけば私はそう口走っていた。胸のうちからこみ上げるこの初めての感情が止められなかった。なんの見返りなんていらない、ただただ尽くしたいと、一心にそう思ったのだ。
ノア国出身者の私が信じられないかもしれない。それでもいい。彼女にだったら、あの頃のように、いや、それ以上にひどい仕打ちを受けてもいいと思えた。自分の胸のうちにこんなにも激しく、情熱的な感情があるなど思いもしなかった。今はこの感情のまま突き進みたい。その結果、どうなってもいい。これがいっときの熱だとしても、それでも突き進みたい。そう思わせるほど彼女には人を惹きつける容姿と性格と魅力があった。
どうか、お願いします。
驚いた様子のリナ様は私の言っていることを理解するのに数秒の間を必要とした。それから私の瞳をじっと見つめると私の手を、そっと握った。
「・・・ありがとう。」
私に向かって天使のように微笑むリナ様をみてなにかから救われたかのような気持ちになった。私が今までしてきた残酷な罪をすべて許して浄化していくような、そんな微笑みだった。
リナ様は、私の願いを聞き届けてくださった。先ほどのありがとうと微笑みは、肯定だったのだ。
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