此処にひとつの心臓があります | ナノ




美少女の涙


主の側に今日から仕えることとなった。彼の盾になると決めた私はただただ彼の側にいるだけだ。それでもいい。だってあの水底から逃れられたのだから。

潜入するといってもそれは形だけだ。私は一切情報を持ち帰るつもりはない。私を一時でも開放し、命を助けてくれた恩人に、恩を仇で返すような真似をするなど考えられるわけがない。

主はこんな私を助けてくれたとても素晴らしいお方なのだと、表に出さないが、私は密かにそう思っていた。

そんな素晴らしいお方である主は、今私の前を歩いている。凛とした表情で前をまっすぐ見つめている姿は気品あふれている。言葉遣いをただしさえすれば、完全無欠なお方だ。

これから、どうやら人と会うらしい。黒の国南部を収める領主の妹だそうだ。

本当は私は影で主を見守るのが普通なのだが、なぜか主は自分の隣をついてくるよう命じられた。




「待たせたな。」


彼女は主の無愛想さに慣れているのか、上からのような言葉にも笑顔を返した。

とてもかわいらしい。彼女の黒髪はまるで絹のようで上品だ。しかし高い場所で二つに束ねられ、それがかわいらしさを演出している。

来ている着物は西洋のものに近かった。桃色の着物だが、西洋の"すかーと"のように短い。袖も二の腕のあたりまでしかない。まるで西洋の着物のようだが、しかし"和"の雰囲気も醸し出している。これを仕立て上げたのは誰だろう。おそらく彼女に近しい誰かであることは分かった。洋と和の融合。まさにその服は彼女のことはなんでもわかっていますと言わんばかりにぴったりだった。


「大丈夫よ。この子と遊んでいたから。」


彼女はどこからか迷い込んだのか子猫と遊んでいた。庭先でつんだのか猫じゃらしで子猫と遊んでいる。体の模様からして三毛猫だ。ほんの少しばかり衰弱しているようにも見えるが、それでも元気に猫じゃらしに飛びつこうとしている。ふさふさな体毛と、ゆらゆらゆれる尻尾に骨抜きにされかけた。

彼女と子猫の組み合わせは可愛さ二倍である。彼女らの周りだけ別世界のように思えてくるのは私だけだろうか。


「・・・で、なんのようだ。」


そんな世界に土足で入り込んだ主はしっしと子猫を追い払い、彼女の前にどかりと座り込んだ。

子猫を追い払われたことに膨れた彼女は、その苛立ちをため息に変換しなんとか溜飲を下げていた。

そういえば、彼女は名をなんと言うのだろう。


「・・・その前に、この子は誰?」


私が不思議そうに彼女を凝視していたからか、ばっちり目が合ってしまった。あわてて目をそらしたが、私の存在を不思議に思われた。

だから隠れておけばよかったのに。そう今更後悔しても仕方がない。どうして主は隣を歩けなどと言ったのか。

彼女の質問に主は「ああ、」と私のことを思い出したかのように声を出したあと私を彼女に紹介した。


「俺を護衛する忍びだ。」


主の答えがよほど驚くことだったのだろうか彼女はその愛らしい瞳を極限まで見開いた。それから、黒にほんの少し緑が混じった色をした目が細まる。


「・・・まさか、あのノア国の・・・?」


眉間にほんのすこし皺がよる。せっかくの可愛らしい顔に皺を刻ませてしまった。

申し訳ない気持ちが心に広がっていく。


彼女の言っていることは最もである。

私はノア国の"ノア"と呼ばれる特別な人に使えていた身だ。しかも、ノア国最強のくのいちと謳われていたのだ。そんな者を近くにおくなど、正気なのかと彼女は主に問うているのだ。

しかし主は、その何が悪いのだといわんばかりに鼻を鳴らしたあと短く「ああ」と答えた。


「・・・・」


彼女は私にちらりと視線を向けた。何かいいたいようだったが、私がいたら話しづらいようだ。

私は瞬時に気配を消してすばやく立ち上がるとその場を後にした。

部屋を出る瞬間、彼女と目が合った。ばっちりあった目にはほんの少しばかりの敵意と、嫉妬が含まれている気がした。





「・・・・本気?」


私がいなくなってしばらく待ってから彼女は主を見ていった。先ほどまでの高めの透き通った声が低められる。

私はもちろん、部屋を去った。しかし主の盾である私がこのまま部屋を後にするわけがない。私は今、先ほどまでいた部屋の天井裏にいる。任務遂行のためだ。彼女がどれだけ私に話を聞かれたくなかろうがなんだろうが私は主の盾にならねばならぬのだ。

―――というわけで私は今、天井裏にいる。気配や場の雰囲気を肌で感じ取りながら耳では会話の内容を拝聴していた。


「それの何が悪い。―――リナ。」


飄々とした主の物言いが癇に障ったのか彼女、もといリナ様の気配が尖る。


「だって彼女は・・・!」


「ああ。ノア国の"元"くのいちだ。」


「っ・・・」


言葉に出して良いのか悪いのかためらうリナ様の言葉を主は引き継ぐ。それの何が悪いのかと本気で思っているらしい主の様子に、リナ様が戸惑いを見せるように息を呑む気配がした。


「別に俺はあいつの身分とか出身とかなんて興味ねぇよ。俺はあいつの強さを信頼しているだけだ。
・・・・俺はあいつと一戦交えたことがあったが、もしも俺が剣に薬を仕込んでなければ、俺はあいつに命を奪われていた。」


やけに饒舌な主の声にはほんの少しばかり熱がこもっていた。


以前の主であるロード様に命じられ、主を暗殺しようとした私。それは失敗に終わったわけではあるが、あのときの戦闘は今でも忘れられない。

あのとき確かに私は自分の心が高揚しているのを感じていた。全力をだして戦うということはこんなに気持ちの良いことだったか。この戦闘で死ねるなら、それでも良いと思った。この剣士に殺されるならば死んでもいいかもしれない―――そう思えた。



主の声に熱がこもっていたのは、主が私と同じ気持ちを持っていると思ってもよいのだろうか―――。淡い期待が心に芽生えかけたとき、主が次の言葉を紡いだ。


「もしあいつが俺を殺すために潜入しているのだとしても、俺はそれはそれでかまわない。
もう一度、今度は実力だけで勝負をしてぇ。その結果命を落としてもいい。」


「っ。」


息を呑んだのは私だった。

心が奥底から震えるのを感じた。背中からうなじにかけてざわざわと痺れにも似た間隔が駆け抜ける。体全体で今の気持ちを表現したい気分だ。それほど私は心の奥底から喜びと、そしてそれと同じくらいの胸が締め付けられる切なさを感じたのだった。

こんな気持ちになったのは初めてだ。こんなに心を動かす出来事など人生で一度も味わったことがない。

どうして主はこうも私の心を乱すのだろう。主と会う以前の私はどこに行ったのだろうと思う。主の言葉はまっすぐで、時折温かい太陽のように凍った私を溶かしていく。


「なによそれ・・・」


リナ様の尖った声が聞こえる。その声がほんの少し湿っぽく、震えていたのは気のせいだろうか。


「そこまで、彼女のことを気に入ったの?」


何かをこらえるように抑制された声は、気のせいなんかではなく震えていた。主は彼女の変化に気がつくことなく話を進める。


「・・・わからない。だが俺はあいつに出会ったときからなにかの力を感じずにはいられない。得体の知れない、大きな力が働いているような気がする。
・・・もしかしたら、運命なのかもな。」


「っ!!!!」


主が話を言い終わるや否やリナ様が勢いよく立ち上がった。

急に立ち上がったリナ様に驚く主の気配がする。


「どうした。」


驚きながらもいつもの平常心を失わず主はリナ様を見上げる。ちらりと中をのぞくと、頬と耳を真っ赤にして目に涙をためるリナ様がそこにはいた。


今の話の流れから、どうしてリナ様がそんなことになってしまったのか主は分かっていない様子だ。私もどうしてリナ様がそうなったのかが分からない。


「・・・彼女は敵よ?こっちの側についたっていったって、自分から望んだわけではないじゃない!
なのになんでそんな女を信用できるというの。」


必死で涙がこぼれないよう唇を引き結ぶ彼女はみていてとても哀れな気がした。彼女が声を荒げても主にはその言葉の意味が届いていないように見えていたからだ。私の信用のなさをリナ様は主に述べているようだが主は無言で冷静な面持ちのままだった。


しばらくの間、二人の間は張り詰めた糸のようだった。息が苦しくなってきて、そこで私は自分が息を止めていたことに気づいた。

先に口を開いたのは主だった。


「・・・・・なぜだろうな。」


リナ様が主の言葉にわずかに反応する。まだ心は昂ぶったままで、今にも零れ落ちそうな雫をためていた目を一度こすっていた。


「はじめてみたときから、なぜか心から離れない。女には興味はなかったはずなのにな、あいつだけは、なぜか興味を惹かれる。」


じわり、またリナ様の目に涙がたまっていく。眉が八の字に下がって引き結んだ唇は震えている。瞳もふるふると今にも涙が落ちそうになって必死で落ちないようにしている。

こんなにも扇情的で、でも切ない表情をしたリナ様を見たら私でも胸が締め付けられる。私はまだリナ様と深く関わっているわけではないのに強く心を揺さぶられる。

けれど主はそんなリナ様を見ているようで見ていなかった。リナ様を通り越した何かを見ているように虚空を見つめていた。


「"恋"なのかもな。」


"恋"という言葉を聴いた瞬間、リナ様の目が見開かれた。涙が零れ落ちるが、その前に私は彼女の右手が上がったことのほうに意識が集中してそれ以外は意識の外に追いやられる。

瞬時に彼らのいる畳の上に飛び降り、それから主の前に私は立った。リナ様の右腕を止めようかとほんの刹那の間に考える。だがここは気の済むよう一発くらいは叩かせたほうがいいのかもしれない。そう思って目を閉じた。

ぱしん、という乾いた音と頬にあたる衝撃を受けた。このくらいの衝撃はあまり痛くないはずなのに、苦内で切られるより、刺されるより痛かった。


「あ・・・」


リナ様の声が私の耳に届いた。目を見開き、涙をまだぽろぽろとこぼしながら私の目と叩いてしまった頬を交互に見つめている。

私は静かに目を開いた。じんじん痛む頬はそのままにしっかりと彼女を見つめた。

涙で濡れる目には嫉妬と悲しみと恋心がごちゃ混ぜになって混乱していた。


「申し訳ございません。」



それだけをいって私はその場から立ち去った。

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