もう一度だけ抱きしめて


※単行本21巻のネタバレ要素があります※

香ばしいバターの薫るクロワッサン、ふわとろっとしたスクランブルエッグに厚いベーコン、季節の野菜がたっぷりと入った優しい味のスープ。
愛する人と同じベッドで爽やかな朝を迎え、愛する人が作った美味しい朝食を食べる。
それはささやかなようで、リヴァイにとってはこのうえない幸せだった。
蓋をあけてみれば世界は敵だらけ、この先に何が起こるのかも分からない束の間の平穏だとしても、マホと過ごしている今だけは、幸せを感じていたいのだ。
その日の朝、リヴァイを見送るマホの表情からは、隠しきれない不安の色が感じ取れた。
まだ準備中の札の掛かった店内で、クラバットを整えジャケットを羽織ったリヴァイは、マホの顔を見て、呆れたように溜息を吐いた。

「おいマホ。いつまでそんなツラしてやがるんだ」

言いながら、マホの陶器のようなツルリとした頬を軽く抓れば「んぅ……」と、彼女からは鈍い声が漏れた。今にも泣きそうな下がり眉と潤んだ瞳でジッとリヴァイを見つめてくる。

「だって、壁外に出るのは6年振りで……巨人がどれぐらいいるかも……」
「ハンジの見立てでは、壁の外にはもう殆ど巨人はいないだろうって話だ。シガンシナ決戦以降、敵の動きも無い。もう島にはいないだろう」
「でも、いつまた……」
「確かに分からねぇが。だからこそ、壁外に行く必要がある。壁の中で縮こまってるわけにはいかねぇだろうが」

それは分かっているけれど……、とボソボソと呟くマホの顔はやはり複雑な色を浮かべたままで。
恋人にそんな顔をさせたまま出て行けるはずもなく、華奢なその体を抱き締めて絹のように美しい金色の髪を撫で付ける。

「エレンの父親の手記によると、俺たちの住むこの島は海に囲まれている」

それは、幼子に言い聞かすような、優しい声だった。

「アルミンが言うには、海には色んな生き物がいるらしい。美味い魚や貝も沢山あるって話だ。俺は食ってみたい。海で取れた食いモノで作ったお前の料理を」
「リヴァイさん……」

拍子抜けたようにキョトンとしているマホの額に、コツンとリヴァイは軽く自分の額をぶつけた。

「絶対美味いだろ。今はそれが楽しみだ」

言って、マホから体を離すと、彼女にしか見せない優しい表情で笑う。
マホの不安を包んでくれる、優しい、優しい笑顔だ。

「じゃぁ、お土産に何か取ってきて下さいね。待ってます」

そう告げた言葉は、自分に言い聞かせているようでもあった。
リヴァイは小さく頷いて、店の壁に飾られた調査兵団のジャケットをチラリと見遣る。

「俺だけじゃねぇ。ハンジやガキ共も、お前の料理を食いたがってる。だから……必ず皆で戻ってくる」
「じゃぁ、沢山食材買い込んで準備しておきます!お酒も」
「ああ。楽しみにしてる」

胸の下まで垂れ下がったマホの金色の髪を一房手に取って、名残惜しそうにリヴァイはサラサラと手から流れ落ちる金色を見つめていた。
手の中の金色が、全て流れ落ちていくのを見届けて、リヴァイはようやくと扉に手をかけた。

「あ、リヴァイさん!」

ドアノブを回そうとした時、スルリと伸びてきたマホの手がリヴァイの腕を掴む。
不思議そうにその手元を見つめるリヴァイに、言い辛そうにマホが告げる。

「もう一度だけ抱きしめても、いい?」

その言葉の直後、フッとリヴァイの笑い声が漏れ、マホの頬が恥ずかしそうに桜色に染まる。

「ご、ごめんなさい!冗談で―…っ」

パッとリヴァイから離した手は、逆にリヴァイに掴み返され、強い力で彼の胸へと引き寄せられた。先程の宥めるようなものとは違う、力強い、熱い抱擁だった。

戻った時は、もっと熱い抱擁を―…。
-end-

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