それを世間は恋と呼ぶ
『ね!なかなか会えないんだから参加してよ!』 「んー……」
以前務めていた会社の同期からの久々の電話に、私は渋い返事をするしか出来なかった。 同期の要件は、同じ同期グループの1人が結婚するとの事で、そのお祝いを兼ねて同期の面子で呑み会をしようというものだった。日時は来週金曜夜7時。 会社を辞めたといっても、人間関係でゴタゴタしていたわけでもなく、寧ろ同期は皆仲が良かった。だから、参加する事自体は何ら不満がない。気がかりなのは、その日時だ。
どういうわけか、となりの部屋のリヴァイさんと共に夕食を取る事がこの2カ月程でほぼ定着してきている。 土日はリヴァイさんも自分の時間を有意義に送っているようだが、平日の夜は仕事から帰って来たら入浴後にほぼ毎日私の部屋を訪れるのだ。 最初は何で私が毎日食事を作らないといけないんだなんて思っていたけれど、慣れなのか何なのか、今では当たり前のように私もリヴァイさんの為に夕飯を用意していた。 その分のお金を頂いているというのもあるし、何というか不思議な話、リヴァイさんとのディナータイムは私にとって少し楽しい時間にもなりつつあった。 そう、だから、極力平日の夜に予定は入れたくないのだ。 リヴァイさんに用事があるという場合なら話は変わってくるのだけれど―…。
「来週の金曜はメシはいらない」
その日の夜、タイミングよくリヴァイさんから告げられた言葉に、思わず私は箸の手を止めた。
「そ……うですか」 「ああ。社の上役との会食だ。全く気乗りしねぇが」
言いながら、リヴァイさんは本当に不満気に眉を寄せている。
「でも、美味しい料理が食べれるなら、良いじゃないですか」
間違いなく今現在食卓に並んでいる料理よりもうんと豪華で美味しい食事が食べられるのだろうから、気乗りしない会食だって羨ましいと思えるが、リヴァイさんはチッと小さく舌打ちをしている。
「此処でお前の作るメシを食ってる方が俺には良い」
サラッとそんな事を言ってくれるもんだから、不覚にも私の胸は嬉しそうに高鳴った。 けれど、勘違いしちゃ駄目だ。 リヴァイさんは割とそういう天然タラシみたいな発言をする人なのだ。それも躊躇なく。 リヴァイさんと関わるようになって数ヶ月、何度こうした発言にドキッとさせられたか分からない。 いい加減慣れれば良いのに私も、毎回ドキッとしてしまうのだから困りものだ。 もう、毎日のようにこうして食卓を囲んでいるというのに……だ。
「何だ」 「あっいや!何でもないです!!」
無意識に見つめていたのか、怪訝そうにリヴァイさんに睨まれて、慌てて私はお味噌汁を啜った。 今日もリヴァイさんは、美味しそうに私の料理を食べてくれるのだ。
「マホ、大丈夫?」 「へっ?うーん、久々に呑んだーー!!」
翌週の金曜日。 リヴァイさんの食事がいらないのなら、断る理由もないと同期の結婚祝い飲み会に参加したものの、久々の外出、久々の同期、久々のお酒、と重なる久々に、体はすっかりと堪えてしまっていた。 そうはいっても意識はハッキリとしているので、酔い潰れているというわけでは無いが、少し足元がおぼつかないのは自分でもよく分かった。 「タクシー使えば?」という同期の声に、「大丈夫」と手を振って家路へと向かう。
少し風に当たりたいから、なんて格好つけてはいたけれど実のところ余り無駄な出費はしたくない。少しは貯えているけれど、未だ職探しすらしていない現状だ。なるべくお金は使いたくないというのが本音だ。
サァ……と吹いてきた風が髪を撫でていく。 排気ガスと雑踏の臭いが混じった、生臭い風だ。 ポテポテと歩いていた足が、止まる。
どうしてだかこんな時に頭に浮かんでくるのだ。
リヴァイさんが。 一緒に囲む食卓が。 美味しそうな表情が。
そうして、胸がキュゥと苦しくなるのだ。
月曜までリヴァイさんは部屋に来ないんだとか。 リヴァイさんに恋人が出来たら一緒に夕飯は食べれないんだとか。
それからまた、胸が高鳴るのだ。
次はどんな料理を作ろうかと……。
フワフワとした気持ちに釣られるように、また、足を一歩踏み出した。それも軽くスキップするような感覚で一歩、途端に視界がガクンと揺れる。 まだおぼつかない足取りは、簡単に私の体勢を崩して、ズルルと地面に吸い込まれるように落ちた。 ガンッと強く膝を打って、尻を打ち、ペタンと地面に座り込んだらもう立つ事すら嫌になった。 酔ってるんだろうか。 グルグルと色んな感情が巡るのに、何故かそれは全てリヴァイさんの事ばかりだ。
「ああもう……。リヴァイさんの馬鹿」 「馬鹿はお前だ。何やってんだ道端で」
突然頭上から降ってきた声に、大袈裟じゃなく体が数センチ飛び上がった。 見上げた先には、スーツ姿のリヴァイさんが呆れた顏で私を見下ろしていた。
「うわっ!!!うわ、うわっ!!何ですか!?」 「何ですかじゃねぇよ。道端に座り込んでるだらしねぇ女がいると思ったら……何してやがる」
言いながらリヴァイさんは私の腕を掴むと、グイと軽々と引っ張り上げてきた。 私の足取りがおぼつかないことが分かっているのかいないのか、自然に腰を抱いてくれたりするのだから、この人は本当に天然タラシだ。
「……酒くせぇ」 「あー……久々に同期に誘われまして」 「男か」 「いや、同期の女子会です。1人が結婚するんでお祝いだったんですけど、やっぱ良いですよね。幸せそうで」 「それでヤケ酒でもしてたのか」 「そんなつもりじゃないんですけど、ちょっと呑み過ぎたかもです」
上手く歩けてる感覚は全くないけれど、腰に回されているリヴァイさんの手が、心臓には悪いけれどとても心強く感じる。
「だらしねぇな。それで、道に座りこんで俺を馬鹿呼ばわりしてた理由は何だ?」 「えっ」
そういえばすっかり忘れていたけれど、私がリヴァイさんの事を思い浮かべてボヤイテいたのをこの人はしっかりと聞いていたのだ。 理由を聞くまでは許さないと言いたげに、リヴァイさんは私を睨み付けている。
けれど理由って、理由って……?
「分から……ないです」 「あ?てめぇは理由も分からず人の事を馬鹿だの言うフザけた人間だったのか」 「いやあの、でも、分からない……んですよ。最近、ふとした時にリヴァイさんの事を考えちゃうんですよ。今日も、同期の結婚話に良いなー幸せそうだなーって思って、でも私の幸せって何だろうって考えてたら、リヴァイさんと一緒に食事してる日常だったり、土日はちょっと寂しいなぁとか、来週の月曜は美味しいもの作ろうとか、そんな事考えてたら転けちゃって。だから、リヴァイさんの馬鹿って思ったんです、八つ当たりですよね。」
言ってるそばから恥ずかしくなってきた。 よくよく考えたら私は、何て事を言ってるんだろうか。 リヴァイさんだって、さっきまで殺し屋みたいな目付きで私を睨んでたのに完全に引いてる。
だってこれじゃまるで……
「おい、マホ」
こんな感情はまるで……
リヴァイさんは腰に回した腕を離して、その手でソッと私の頬に触れた。
だから、そういう事をされるとドキドキするから……
「面白ぇな」 「お、面白いって何が……」 「さっきお前を見つけるまで、俺も同じような事を考えて歩いてた」 「え……」
リヴァイさんの言葉に、私の胸のドキドキはもっと加速する。 それを何て言うのか、本当はもう、分かってる。 その気持ちを確かなものにしたのは、不器用な貴方の告白だった。
「だから明日も、明後日も、食わせろよ。お前の作るメシを」 「……あ、はい」
それを世間は恋と呼ぶ。 -end-
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