――お前もいい加減、自分が幸せになることを考えろ
“決めろ。新しい人生か、終止符か。”
そうだ。俺は、助けてやりたかった……。
「この半年でマホは見違える程立派な兵士になったね?」
幹部会議が終わり、席を立とうとした俺にズイと近付いてきてそんな事を言い放ってきたクソ眼鏡−もとい、ハンジを軽く睨んで手元の書類を纏めていたら、その声を聞き付けたエルヴィンまでがこちらに近付いてきた。
「最初はどうなるかと思っていたが、彼女の教育をリヴァイに任せて正解だった」
正解―……か。 その単語だけが違和感染みて俺の中でブスブスと燻っている。 余程、険しい顔をしていたのだろうか。エルヴィンご眉を潜めて俺の顔を覗き込んできた。
「リヴァイは……不服そうだな」 「……別に」
まだ何か探りたそうにしている、青い瞳から逃げる様に俺は急いで―勿論表面上は冷静を取り繕って―纏めた書類を手に立ち上がって会議室を後にした。
かつて俺を殺すはずだった暗殺者。 “殺し”の事だけを教え込まれ、感情も持たない人形の様だったマホを、俺が救ってやったと思っていた。
“決めろ”と言った俺の声に、縋る様な瞳を向けてきたマホを、調査兵団に迎え入れる事が、救ってやる事なのだと思っていた。 元々充分に鍛え上げられていた体は、兵士として申し分無かったし、初めて壁外に出た時も全く物怖じせず巨人と戦う姿は、周囲にいた兵士達をも脱帽させていた。 兵士としては完成されているといっても過言では無い。 あくまで、兵士としては……だ。 兵士ではない、人間としての部分は半年経っても大した変化が無い。 これもエルヴィンの計らいで、マホの教育係という任を受け、半年の間に色々叩き込んできた。 文字の書き方から掃除の仕方まで、“殺し”以外の知識は赤ん坊並みのマホに教え込むのは難しいかと思ったが、余分な知識が無い分、物覚えは早かった。 俺仕込みの甲斐あって、掃除の仕方も完璧で、紅茶を淹れるのも上手い。 そういう、兵士じゃない部分の成長を見る度、これで良かったのだろうか、という疑問が俺の中で広がる。
本当にマホを救ってやるなら、“戦い”から離してやるべきじゃないのだろうか。
地下孤児だった過去、中央憲兵に暗殺者として生かされた過去、そして調査兵団の兵士になった現在。 これまでもこれからも、ずっとマホは命ある限り戦い続ける。 それしか知らない人生で……。
この半年間、マホが笑ったところなんて一度も見ていない。いや、喜怒哀楽の表情すら見た事がない。 表情筋が死んでるとよく言われる俺がいえた事じゃないが、それにしてもマホの人形面はよっぽどだ。
今のマホは、中央憲兵に飼われていた時と、そう変わらないのでは無いか……。 そしてそれは、俺の所為じゃないだろうか……。
1日の業務が終わり、各々が就寝までの時間を自由に過ごす時、コンコン、と俺の部屋の扉がノックされる。 強くもない、弱くもない、耳にすんなりと入ってくる強さのノック。それを教えたのも俺だった。
「入れ」
そう言うとキッチリ5秒後に、静かに扉が開く。
「失礼します」
無表情を張り付けた顔、抑揚の無い声で紡がれる言葉は、本当に機械仕掛けの人形の様だ。 注ぎ口から湯気を上がらせたティーポットとカップを乗せた盆を手に、静かに室内に入ってきたマホは、ソファの前のローテーブルに慣れた手付きで茶のセッティングをしだした。
就寝までの時間、俺の部屋に紅茶を持って訪れる事がマホの中での日課になっている。 それは入団当初、教え込む事が有り過ぎた為に、教育の時間として俺が定めたものではあったのだが、半年も経てば自由時間を割いてまで教えるほどの事もない。 数ヶ月前に「俺の部屋にはもう来なくて良いから好きな様に時間を過ごせ」とは言ったのだが、その次の日もまた次の日も、決まった時間に紅茶を淹れてやって来るので、追い払うわけにも行かずそのまま迎え入れる事になり、特に盛り上がる会話も無いまま、時計の様な正確さでマホの目がウトウトしだす時間に、自分の部屋へと戻らせていた。 マホがそれを日課としている様に、今では俺も、マホの淹れた紅茶をこの時間の飲む事が日課になっている。
ティーポットからカップに、トポトポと紅茶が注がれると、甘い花の様な香りが部屋にも広がる。 カップを満たしていく紅色が、目に眩しい。 プスプスと燻る疑念が、カップに出来た波紋に釣られて揺らめく。
「マホ……」
俺の声に、マホは傾けていたティーポットを起こして、ジッとこちらを見据えてきた。 負けじと俺も見つめ返すが、人形面には睨めっこでは敵わない。 ハァ……と溜息を吐いて、俺はマホの柔らかい髪にフワリと手を置いた。 頭皮から伝わる熱は、確かに血の通った人間なのに、ジッと瞳を見つめても心が見えてこない。
「お前は……このまま調査兵団の兵士でいいのか」
俺の質問の意味が分からないのか、マホはゆっくりと2度瞬きをした。
「調査兵団は、リヴァイが与えてくれた場所……」
それだ。その言い方が俺に疑念を抱かせるのだ。 俺の所為でマホは此処にいるのだと……。
「あれは……あの時は、お前を生かす為の道はそれしか無いと思ったからだ。だが、もうお前は中央憲兵の飼い犬でも無いし、暗殺者でも無い。お前の意志で進む道を選んでも良いんだぞ。調査兵団の兵士だってお前の意志じゃないだろうが」 「意志……?」 「……今までの人生じゃピンと来ねぇだろぅが……。お前の人生はお前のものだ。――お前もいい加減、自分が幸せになる事を考えろ」 「……幸せ?」
そんな言葉知らないとばかりのマホに、それから教えないと駄目なのか、と溜息が零れた。
「……お前が、したい事は何だ?戦いを強いられる人生で満足なのか?」
俺がマホにこんな事を言っているのを、エルヴィンが知れば怒るだろうか。 兵士を育てる立場として有るまじき事だと、呆れるだろうか。
だとしても…………
「俺は、お前に幸せになって欲しいと思っている」
それは、半年の間に芽生えた親心か、それとも――。
俺の顔を無表情に見つめていたマホが、僅かに眉を寄せて、目を伏せた。
「幸せは、よく分からない。でも、リヴァイの近くに居る時間は、ずっと欲しいと思う」 「あ?」 「リヴァイの部屋に向かう時は、いつも、胸がフワフワする。口元もフニフニする……でも、リヴァイが変に思うといけないから、部屋の前まで来たらしっかりしようといつも大きく息を吸ってる」
言いながら、マホは本当に大きな深呼吸をした。
「だから、リヴァイが来なくていいって言った時は何だか悲しくなった」 「おい待てお前。全くそんな面してなかっただろうが」 「変な顔を見せるとリヴァイが困る」 「バカ言え。無表情を貫かれる方がよっぽど困る」「……地下牢で泣いた私に、リヴァイは困ってたから」
いつの話をしてやがる……と、呆れて、マホの頭を抱き寄せた。 プスプスと燻っていた疑念が、マホの温もりに触れて消えていく。 俺の胸に預けさせたマホの頭の上に頬を置いて、しっかりと抱き締めれば、胸が甘い花の香りで溢れ返っていく。
……何が親心だ。
大人しく俺に抱き締められているマホへの、強い愛着を確信して、自嘲染みた笑いが漏れた。
「お前、今、嬉しいか?」 「……嬉しいのだと思う。胸の奥がフワフワしてる……」 「だったら笑えよ……」
自分の意志で俺の傍を選ぶなら、絶対に離してやるものか……。
「リヴァイも、笑わない」 「馬鹿言え。俺は元々結構笑うー……」
俺も俺の意志で―…。
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