【中】


医務室に入ると、ツンとした薬品の匂いが鼻孔を刺激した。
生憎看護兵は席を外しているらしく、リヴァイはマホを椅子に座らせると、棚から薬品を探し出して彼女の前へと戻った。
茶色い瓶の蓋を開け、ツンと鼻をつく匂いに眉を顰めながら脱脂綿に薬をつけると、血が滲む額へとトントンと塗り付けた。
眉1つ歪めず、されるがままに座っているマホに、静かな声でリヴァイは聞く。

「痛むか」

チラ、とマホの瞳がリヴァイの瞳を見つめ、すぐに反れた。

「いいえ。平気です。お手数をかけてすみませんでした。リヴァイさん」

やたらと丁寧に返されて、リヴァイはハァ……とやさぐれた様な溜息を吐いた。

「その敬語は止めろ。名前も……リヴァイでいい。」
「でも、年上だし、調査兵団の兵士だし……」
「今は訓練兵と同じ立ち位置だ。変な気遣いはするな。」
「そ……そう。じゃぁ分かった。リヴァイ……」

言いにくそうにしながらも、そう告げたマホの額にペタン、とリヴァイは傷テープを貼った。

「ちょっとカッコ悪ぃが……。傷が残るのも嫌だろ」
「あ、ありがとう……」

モジモジと恥ずかしそうにするマホからは、さっきの闘気は消え失せていて、どうにも調子が狂うと思いながら、リヴァイはついでにと、気になった事を聞いてみる。

「俺が壇上にいた時、ずっとこっち見てたよな?何だったんだ?」
「あー…」

そう言って、マホはポリポリと自分の頬を指の腹で掻いた。そうしてから、大きく深呼吸して、勇気を出す様にして彼女は言う。

「私、調査兵団を志望してるから……」
「それで、調査兵団に所属してる俺に興味を持ったのか」
「うん……。ほら、調査兵団に志願するってだけで変わり者って扱いされちゃうし、私の知り合いでも調査兵団の人っていないから……それでも私が目指している世界だから、どういう人なんだろうって……」

確かに調査兵団への風当たりは強い。訓練生の中でも調査兵団を志望するというのは変人扱いになるのだろう。現に、先程の兵士達のマホに対する反応はそうだった。
だけど、それなら何故……リヴァイは再び沸いた疑問をマホにぶつける。

「お前は何故、調査兵団に入りたいんだ?」

キラキラとマホの翡翠色の瞳が煌めいた。

「小さい頃からの憧れだったの。壁外調査から帰還する度、広場まで見に行ってた。傷だらけで帰って来る兵士達を見る度、凄い感動したんだ。当然、誰も同調はしてくれなかったし、親に言っても怒られた。だから、訓練兵に志願したのも親には、憲兵団に入って楽させてあげるって言ってるの。」
「残念ながら、現実はそんな綺麗事の世界じゃねぇぞ」

少し馬鹿にした様な口振りに、マホの気真面目そうな眉がクッと上がる。

「別に綺麗事で言ってるわけじゃない。どれだけの犠牲が出るかも知ってるし、その覚悟だってある。だったらリヴァイは、何故調査兵団に入ったの?」

そのマホの言葉に、リヴァイの眉が歪んだ。

「それしか、道がなかったからだ」
「どういう事?そもそも貴方、訓練兵も経てないのよね??」

目の前のミステリアスを孕んだ男の経緯を知りたそうに、マホはそう尋ねる。

別に、御丁寧に洗いざらい言う必要なんて無かっただろうに、リヴァイの口は自分の意志とは反して、目の前の少女に全ての事を話し出す。

自分が地下街のゴロツキだった事、そこでエルヴィンに拘束され首を縦にしか振れない条件での選択肢を迫られ調査兵団に入った事、その時に一緒に着いてきた2人の仲間が居た事、そして、その仲間は2人共壁外で命を落としたという事、それでも自分の選択を悔やまず彼等の分も強く生きようと誓ったはずなのに、やはり心に受けた傷は深く、完全に進む道を失った様に失速していった。
正に呆然自失といった日々を過ごしているリヴァイに、団長が告げたのは
「訓練生に混じって修行」
という、リヴァイの経験していない原点への帰還だった。

「だから……お前みたいに、強い志があったわけでもねぇし、そもそも調査兵団に憧れてたわけでもねぇよ。」
「そ……そうだったんだ。何かゴメンなさい」

聞くべき話では無かったとマホも思ったのだろう、しょんぼりと肩を落として謝罪する。
その、マホの頭にポンとリヴァイの手が乗った。

「だが、初めて壁外に出た時に見た世界には、感動した。巨人がいる事を除けば、壁に阻まれる事なくずっと続いている世界だからな。お前の意志が変わらねぇなら、俺は応援する」

眉間の皺を解き、クイッと口角を上げて言ったリヴァイの言葉は、マホの心に雪解け水の様な暖かな潤いを流し込んでくれた。


手当てを終えて戻れば、もう訓練終了の鐘が鳴っていて、皆ゾロゾロと建物の中へと戻っているところだった。
ジュディがマホの姿を見て駆け寄ってくるのに気付き、リヴァイはソッとその場から離れて行った。

「マホ!!やっと戻ってきた。あ、あっはは!!何そのオデコ!!かわいい!!」

明るく朗らかに笑うジュディの声を遠くに聞きながら、リヴァイも中に戻ろうとすれば、「おい」と後ろから声を掛けられた。
クルリと振り向けば、坊主頭の男が文句有り気な顔で腕を組んで立っている。
そういえばマホを医務室に連れて行く時も、この男に見られていたな……とぼんやりと思い出していれば、男が一歩前に出てリヴァイに突っかかった。

「手加減とか出来ねーのかよ、調査兵団の兵士が訓練生相手に!」

手加減出来たならその前に闘った3人と同じ様に、怪我させる事もなかった……とリヴァイは秘かに思ったが、それを目の前の男に言った所で納得してもらえるとは到底思わなかった。
男の友人らしき兵士達が「テッド」「やめとけよ、関わるな」とヒソヒソ耳打ちしているのが聞こえる。
この男はテッドと言うのか、と新たに覚えた名前を脳にインプットしていれば、友人達を振り払う様にしてまたテッドが一歩前に出た。

「何とか言えよ!」

異端扱いされていて、あのジュディという少女以外にマホと親しい人間はいないのかと思っていたが、どうやら彼女を心配する人間は此処にもいたらしい。

「怪我をさせるつもりは無かった。それ程にアイツは強かっただけだ。」
「なんだよそれ!マホの怪我は大した事ないのかよ!?」
「……テッドよ。心配なら自分でマホに聞けばいいだろうが。」

そう告げれば、テッドは悔しそうに顏を真っ赤にした。

「だ、誰が心配だ!!あんな変な女、どうなろうが別に……」

幼い少年の中に巣食う、思春期独特の複雑な想いが見え隠れしていて、リヴァイは久々に感じた穏やかな気分に心が洗われていく様な気がしていた。


「で、リヴァイと話して調査兵団に入りたいって意志は変わったの?」

硬いパンを千切って口に運びながら、そう聞くジュディにマホは額のテープをさわさわと撫でながら笑った。

「ううん。やっぱり私は調査兵団に入りたい。リヴァイの話を聞いて、余計にそう思った」

そう言ったマホの顏には少し赤みが差していて、ジュディはパンを皿に戻すと眉を顰めて言う。

「もしかしてマホ……。リヴァイに惚れたとか……?」
「えっ!?ほ、惚れ!!??」

予想していなかった言葉に目を見開いたマホを、たしなめる様にジュディは言った。

「だって、何だか嬉しそうだし。まぁ、調査兵団の兵士ってのが大きいんだろうけど」
「う……うん。1ケ月だけだけど、ちょっとでも調査兵団の事、知れたらいいなって思うよ」
「知りたいのは調査兵団の事かリヴァイの事かどっちだろうね?」

ニマニマと笑うジュディに、マホは恥ずかしそうにブンブンと首を横に振った。

「もう、ジュディはすぐそうやって、好きとかそういうのに結び付けようとするから……。私達は訓練兵なんだよ。そんな浮付いた感情は駄目なんだから」

生真面目そうに三つ編みをブン、震わせていうマホに、ジュディは思い出したかの様に遠い目をする。

「ああ……、そういや2週間後に待ってるね。山越えの長い兵站行進。」
「う……うん。」

マホの顏が曇る。
座学ではTOP、対人格闘や立体機動の訓練でも上位にランク付けされているマホがどうしても苦手なのだが、長距離での兵站行進だった。どうにも上手く体力を保てずに、いつもギリギリでゴールしているのだ。
冬になれば雪山での兵站行進のテストがある。それがクリア出来なければ、卒業すら危ういのだ。
二週間後にある訓練は、成績に響かないとはいっても、生半可な気持ちでかかれる訓練では無い。特にマホの様に、長距離を苦手とする人間は余計にだ。

「兵站行進が何だって?」

またどこから現れたのか、テッドが2人の座る席の隣にドカッと腰掛けてきた。
迷惑そうな顔をするジュディと、暗い顏でスープを啜るマホをジロリと見て厭らしく笑った。

「前回の兵站行進では無様だったよな、マホ。今回はどんな面白い姿晒してくれるんだ?」
「テッド!アンタねぇ……」

パンを持った手をわなわなと震わせるジュディをマホが止める。

「だ、大丈夫だよ、ジュディ。それに、醜態を晒したのは本当だし……」

眉を下げて笑うマホを見て、ジュディも同じ様に眉を下げた。テッドは面白くなさそうにフンッと鼻息を荒くする。

「今日の怪我もそうだけど、変に張り切って無理すんなよ。無様なだけなんだからな」
「うん。有難う。テッド」
「お、俺はお前の為に言ってるんじゃねーよ!!ばーか!無様な姿見るのがうっとうしいから言ってるんだ!!!」

プリプリと怒りながら、テッドはソソクサとその場を離れて行った。
ハァとジュディが溜息を吐く。

「全く、アイツのあのガキみたいな性格なんとかならないのかしらね?」

そんなジュディの言葉も聞こえない様子で、マホはやはり暗い顏でスープを呑み続けていた。



「リヴァイっ!」
「……またかよ」

組み伏せていた男の上から退いて、リヴァイはうんざりとした顔で声の方に振り返った。
その先には、待ち構える様に腰に手を立てて足を肩幅まで開けて立つマホがいた。
初めて訓練所に来た日、対人格闘の訓練でマホと組み、手こずりながらもリヴァイが勝利したものの、それから毎回対人格闘の訓練の時にマホから声が掛かるようになった。
正直、やり辛い。負ける事はまず無いが、彼女の戦術はなかなか巧みで、全力で動かなければ奪えない。そうして捻じ伏せれば、マホは何処か怪我をする。初回の時の様な顔面への派手な怪我は無いものの、肘や膝、肩等、マホの体には生傷が増える。訓練といえど、自分と10も歳が違う少女に傷を負わせてしまうのは気が引ける。どうしても組む必要があるわけではないから尚更だ。
ズシャァッと砂の上を滑る独特の音に、リヴァイは耳心地が悪そうに眉を寄せた。
うつ伏せに倒れたマホの手から模擬刀を奪うと、すぐに彼女の体を反転させて、抱き起す。

「今日はもうちょっといけると思ったのに……」
「怪我は……」
「多分大丈夫っ」

そう言ってすぐ様、ピョコンッとマホは起き上がるので、少しホッとしてリヴァイはパンパンと砂を砂を払う彼女の小さい尻を見ていた。
変な意味では無いが、成熟途中の体形はまだガキだな……とリヴァイは改めて思った。
無茶をすると簡単に壊れてしまいそうな、そんな儚さを感じて、センチメンタルな気分になってしまうのは、歳だからだろうか……。
マホに限った事じゃない、この訓練所にいる訓練兵達はその殆どが未成熟な少年少女だ。勿論自分で兵士になる事を選んで此処に来たのだろうが、何処か決められたレールを進まされているだけの様な不憫さも感じるのだ。

ジュディがポニーテールを揺らしながらマホに駆け寄って、マホはそんなジュディの心配の声をやんわりと往なして笑っている。後ろから自分を呼ぶ声がして振り返れば、マホ程では無いが、もう何度も組み合っている男性兵士が模擬刀片手にニヤリと笑っている。
この訓練所に来て2週間近く。意外にリヴァイはこの場所に上手く適応出来ていた。
調査兵団に対するイメージは決して良いとは言い難いが、中にはその肩書に興味を持つ者もいた。マホの様に堂々と「調査兵団志願」を謳っている者はいないが、一緒に訓練をしていれば、多少なりとも興味を持っている人間がいる事にも気付く様になった。
勿論、興味を持たない者はそれこそ関わらろうとさえしてこないが、好奇の目に晒され続ける事も無く、かといって完全に疎外感を味あわされる事もない、この微妙なバランスがリヴァイには心地良かった。


「あ―……」

昼食時の混雑した食堂で、明らかに浮かない顔でぼやきながら、せっかくスプーンで掬ったスープはピチョピチョよまた器に戻しているマホに、ジュディが困った顏で話しかける。

「ほら、マホ。ちゃんと食べないと体持たないよ。ねぇリヴァイも何か言ってやってよ」

別に決めているわけでは無いが、食堂の席はマホ達と並ぶ事がいつの間にか普通になっていた。といっても、いつもリヴァイが適当に座った場所にマホ達がやって来るというスタイルだが、懐いてくれているのだろう(主にマホが)分には悪い気はしない。
元々年下に慕われる性分であるのは自負していたし、寧ろ懐かしいとすら思える。

「そんなに嫌いなのか。グリンピースが」

スープに浮いている緑の豆を見てそう言うと、マホは顏を真っ赤にしてリヴァイを睨んできた。

「違うっ!好き嫌いなんて無いもん……。午後からの兵站行進が嫌なの」

それは、この2週間の間にマホの口から何度も聞いた言葉だったが、リヴァイには未だにそれが信じられない。
座学はトップ、馬術も立体機動も対人格闘も全て上位の成績でありながら、兵站行進だけが苦手だとマホは言う。

「持久力がねぇのか。お前」

そう聞けば、すかさずジュディの弁護が入る。

「マホは、何でも全力で挑むから……」

だろうな……と、すでに青白い顔をしているマホを見て頷いていたら、ヌッと背後からすっかり聞き慣れた声が飛んできた。

「なんだ?マホ。兵站行進終えた後みたいな顔しやがって」

ニマニマと笑いながらテッドはドサッとリヴァイの隣に腰掛ける。
もう食器は戻したらしく、手には半分のパンだけが握られていた。
すかさずジュディがテッドを睨み、シッシと手で追い払うポーズをしてみせる。

「マホを虐めるだけならどっか行きなさいよ、テッド」
「虐めてなんかいねーだろ?マホを元気づけてやってるだけじゃねーか」
「何処がよ!!」

言って、ジュディはマホを守る様に彼女の肩にソッと手を置いた。そうしてから、“貴方も何か言ってよ”と言いたげにリヴァイの方にチラチラと視線をやるので、やれやれとリヴァイは隣に座ったテッドに視線を向けた。

「お前は余裕なのか?テッドよ」

すると、テッドはハンッと自慢げに胸を反らせてみせた。

「俺は、持久力には自信があるからな」
「ほぅ……そういえばお前がバテてるとこは見た事がねぇな」
「そうだろ……って、何だよ、俺の事観察でもしてるのか?」

不気味そうに眉を顰めるテッドに、リヴァイは首を横に振るだけの返事をする。
観察しているわけでは無くて、目立つのだ。
マホもジュディもテッドも。
ジュディは座学の成績は余り良くないものの、TOP10位にギリギリ背が届くといったところで、テッドは暇さえあればマホをからかう事が趣味みたいではあるが、総合成績では常TOP5位内をキープしている。
この3人だけでなく、成績上位に位置している兵士達はやはり、普段の訓練でも目を引く。
調査兵団に入れば即戦力になりそうな兵士は何人もいるが、悲しいかなそれを希望しているのはマホ1人というのが現実だ。

別に、入団希望者を探してるわけじゃねぇが……

リヴァイが此処に来たのは、団長命令による修行だ。それは自分の弱った精神を鍛え直すだけのはずなのだが、気が付けばこうして探している。
一緒に壁の外に行けそうな人間を。
そうして同時に、失ってしまった大切な仲間を思い出すのだった。


兵站行進は、訓練所のすぐ裏手側にある、まるでこの為に生まれたんですよとでもいう様な、勾配の激しい山道を行く。冬になれば、生クリームでデコレーションされたみたいにこんもりと雪が積もり、最終試験はその雪化粧の中で行われる事になる。今回はそれに向けての訓練といったところで、直接成績には響かない。だからといって易しいはずもなく、遅れれば置いて行かれる。リタイアはペナルティ。開拓地送りへの布石を打つ様なものだ。
心なしか、兵士達の表情にも緊張の色が見える。

山道の入り口まで来た所で、リヴァイは形の良い鼻を僅かに動かし空を見上げた。
午前中は真っ青な空が広がっていたのだが、モコモコと雲が顏を出して来ている。
湿気を含んだ土の匂いは、もうすぐ空が泣き出す事を教えていた。

大丈夫だろうか……

昼食の時の、マホの青白い顔が脳裏を掠めた。
四方八方に広がる同じ制服の群れの中を、キョロキョロと見回してみたが、マホの姿を見つける事は出来なかった。

スタートは皆同じペースでズラズラと列になって進んでいたが、30分を過ぎればポツポツと差が開き始めた。
特に意識はしていなかったがこれも当然というか、リヴァイは最前列のグループを進んでいた。体力には当然抜群に自信のある兵士ばかりの群れでは、教官の目が離れれば時折、軽いおしゃべりなんかも飛び交っていた。何とも平和な感じでもあるが、きっと遥か後ろの方では口を開く余裕もなく全身が訴える苦痛と闘っている兵士もいるんだろう。

「何だ?雨か……?」

列の中から声がする。その直後に、頬に、手に、ポツポツと冷たい雫が降ってきた。
マジかよ〜…等とぼやきながら、1人2人とリュックから雨具を取り出し始め、それに倣う様に皆、順に雨具を羽織りだした。此処にいる全員が雨具を装備してすぐに、「待っていてやったんだぞ」とでもいいたげに、一気に雨はザーッと本降りになった。

大丈夫か……?

リヴァイの心の中が、騒ぎ出す。
再び脳裏に浮かぶ、青白い顔のマホ。
あれだけ優秀なのに、兵站行進が苦手な、調査兵団に入る事を夢見る少女。

カチカチと、自分の歯が鳴っている事にリヴァイは気付いた。
チラリと落とした視線で、自分の手を見れば、それもプルプルと小さく震えていた。
雨で体温が奪われている所為ではない。そもそも、雨で震える程やわでは無い。
ならこの突然の震えの原因は……と、考える間も無く、失った仲間の顏が浮かんだ。

恐怖だ……。
自分の見えないところで、自分の知らないところで、失ってしまう恐怖だ。
それが、自分の手の届く場所にあれば必ず守れたと思えるものなら余計に……。

そう認識するよりも早くリヴァイの足は止まり、クルリと踵を返していた。
進む方向を180度変えた事で、先程まで背中を叩いていた雨が容赦無くリヴァイの顏に降り注いだ。眉間の皺を普段よりも深くしながら、先程よりも随分早いスピードでリヴァイは元来た道を戻り出した。

「リヴァイ?貴様、何をしてる?」

300メートル程進んだところで、馬に跨った教官と出くわし、案の定そう問い質された。

「忘れモノだ」

そう短く告げれば、「何を言ってる?」と、全く不可解だと言いたげな声が降ってきた。
一分一秒でも早く、この恐怖から逃れたいと思っている中でのこのやり取りはリヴァイにとって無駄以外の何でも無い。
チッと軽く舌打ちをして、馬上の教官をギラリと鋭い目で睨み付けた。

「処分なら後で聞く。だから黙って行かせろ。」

一瞬、気負いされた顏を浮かべた教官は、それでもすぐに威厳のある表情に戻し、低い声でリヴァイに言う。

「キースとエルヴィンに言われていた。『リヴァイが己の意志で命令に背く事があれば、その時は黙って行かせろ』と。貴様は、上司に信用されてるらしいな」

地面の水をブーツの踵がピシャリと跳ね、雨を跳ね除ける勢いでリヴァイはその場を走り去って行った。
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