堕天使と夢見る少女【前】


「訓練生に混じって修行してこい」

団長からの言葉に、リヴァイはやさぐれた顏のまま、チッ……と小さく舌打ちをした。
自分でも、この所の自身の不甲斐無さは実感していた。当たり前に出来ていた事ですらミスをする事が増えて来て、見兼ねた団長にそう告げられても仕方ないとはどこかで思っていた。
だが、やはり面倒臭い。
訓練生となると、年齢は様々といえどやはり10代の若者が多いだろう。そんな中に20代半ばの自分が混じるというのもどうも居心地が悪いし、おまけに自分は訓練兵という段階を積んでもいない。
そんな場所に行かされるのは勘弁してほしかった。

「1ケ月だけだ。頭を冷やして鍛え直して来い」

リヴァイの苦渋が読み取れたのか彼の思いを汲む様に、続けて団長が告げた言葉で、少しだけリヴァイはホッとした。
1ケ月だけの事なら何とか乗り切れそうだ。

大してない荷物を纏め、本部を出ようとした時、見送りにきた幹部の兵士の中から一歩エルヴィンが前に踏み出した。
リヴァイの細い灰色の瞳と、エルヴィンの青い瞳がバチンと交わる。

「リヴァイ。しっかりと成長して戻って来い。お前の帰る場所は此処だ」

その言葉に無言で頷くと、リヴァイは自分を訓練所へ送り届ける為にと待機している馬車に乗り込んだ。
春独特の柔らかい日差しと、甘い花の香りが何処からともなく漂ってきて、その香りに包まれながら、リヴァイは想い出に浸る様に瞳を閉じた。


「すごい、またマホがトップだ」

先日行われた座学の小テストの成績が貼り出された掲示板の前で、マホの隣に立ったジュディが関心した様にそう言った。
そんな2人の後ろから、ヌッと顔を出した1人の少年がからかう様に言う。

「澄ました顔しやがって、『トップは取れて当然です』ってか?格好いいね、マホちゃん?」

明らかに馬鹿にした態度の少年に、マホよりも先にジュディが反応する。

「テッド!煩いよアンタ。そんなにマホに負けるのが悔しいなら勉強したら?」
「はぁ?悔しい?別にこんな変人に負けても悔しくもなんともねーよ」
「顔真っ赤にしてバッカみたい。行こう、マホ」

ジュディはそう言うと、マホの腕を掴んでグイグイと引っ張ってその場を離れて行った。

「マホも言い返してやったらいいのに。何も言わないからテッドのやつ、調子に乗って……」

ズンズンと歩きながらプリプリと怒って言うジュディに、マホは笑って首を振る。

「うん。でも良いの。自分でも自分の事、ちょっと変わってるなとか思ってるし」
「そりゃ、マホは非凡な考えを持ってると私も思うけど……でも、だからってからかったり馬鹿にしたりするのって私、許せないわ」
「ジュディ、有難う」

その顏を見て、不機嫌そうに眉を吊り上げていたジュディも、呆れた様に笑い返すのだった。

朝の訓練の開始前の朝礼で、今日の訓練内容を言い上げた後、教官が壇上に1人の男を呼んだ。
訓練生達の中からざわざわとしたどよめきが上がる。
壇上に上がった男は、小柄で目付きが悪い。明らかに真新しい訓練生の兵服に身を包んでいるが、その顔立ちはどうも10代には見えない。
周囲のざわめきに参加はしていないものの、マホも不思議そうにその男を見上げていた。
ゴホン、とわざとらしく咳払いをしてから、教官は注目、とでも言う様に、手の平を男の方に差し向けた。

「彼の名はリヴァイ。調査兵団の兵士だ。」

教官の言葉に、ハッとしてマホはリヴァイの事をぼんやりと見ていた瞳を見開いた。
周囲からざわざわと声がする。

「調査兵団だって」
「何で調査兵団の兵士が?」
「視察か何かか?」

皆の疑問の声に答える様に教官は続ける。

「彼は、去年調査兵団に入団した兵士だが、訓練兵を経てはいない。既に数回の壁外遠征も経験している兵士ではあるが、いまいちど初心に還るという志の元、今日より1ケ月、貴様等と共に訓練生として日々の訓練業務に励んでもらう。」

教官が話している間、眉1つ動かさず目線を空(くう)を向けたまま、リヴァイは置き物様に立ち尽くしていた。

「何だそれ?1ケ月だけ?」
「そもそも訓練兵を経てないってどういう事だ?」
「何か目付きのヤバイ奴だよな。やっぱり調査兵団はあんなのばっかりなんだな」

余り歓迎しているとは言えない声がそこかしこから上がる中、マホだけは真っ直ぐとリヴァイを見つめていた。


またこの目か……

周囲から飛んでくる、好奇と邪険に満ちた視線がつい1年程前の時と重なる。
ただあの時と違うのは、リヴァイは今1人だ。一緒に好奇と邪険の対象になっていた存在はもう何処にもいない。

「……?」

うんざりする様な視線の中で、たった1つだけ邪険とは別の視線を感じた。
その震源地を探る様に壇上から、ズラリと整列している人群に視線を落せば、丁度列の中央辺り、真っ直ぐにこちらを見ている強い眼差しとぶつかった。

なんだ?アイツ……

見た目は普通の女だ。隣には仲良しなのか、しきりに彼女に話しかけている女もいた。友人らしいその女が話しかけるたびに、ブルネットをクルクルした巻き髪のポニーテールがポワンポワンと跳ねているが、それすらも気にならない様子でその女はジッとこちらを見ている。
肩ぐらいまでの長さの金色の髪を、生真面目そうにキッチリと2つに分けて三つ編みにしている。髪型で判断するのもどうかと思うが、隣のポワンポワンとポニーテールを躍らせている彼女と比べてみれば、前髪もピシっと分けてピンで留めている姿は如何にも真面目という印象を受ける。

リヴァイも彼女の方を見ているので必然的に目が合うが、互いに視線を反らすわけでも、ニコリと微笑むわけでも無く、ただ周囲のざわめき等何処吹く風といった感じで見つめ合っていた。


「もう、マホってば。さっきの朝礼の時ずっとあの兵士の方見てたでしょ」

朝礼が終わり、それぞれの班の訓練場所へと移動している時、隣を歩くジュディにそう突っ込まれ、「あ……」とマホはバツの悪そうな顔をした。

「いや、まぁ分かるよ。調査兵団の兵士ってなればマホが気にならないはずがないもんね。私が話しかけてるの、ずっと無視してたのは酷いけど!!」
「ご、ごめん。ジュディ」

無視していたつもりはないと神妙に謝るマホだったが、ジュディはそんな事は大して気にはしていないらしく、そもそも本当に怒っているという感じでもない。
訓練生に入って、初めて喋った相手がジュディだった。彼女の持ち前の明るさとあっけらかんとした性格が訓練で疲れた心身をいつも癒してくれていた。
自他共に認める『変わり者』であるマホと、初めて話した時からずっと3年目になる今日まで変わらぬ態度で接してくれる、マホにとっては唯一の心を許せる友人なのだ。

仲良く歩く2人の後ろから、ヌッとまたテッドが現れた。

「さっきの奴、調査兵団の兵士だってな?仲良くしろよマホ〜。お前の憧れる世界の男だろ〜?」

短く刈り込んだ坊主頭で、ニヤニヤと馬鹿にする様に笑って言うテッドを、ジュディが睨み付ける。

「いい加減にしなさいよテッド!本当、アンタって入団当初から変わらないわね!そんなにマホの事が好きなの?」

そう言うと、テッドは頭のてっぺんまで真っ赤にして眉を吊り上げる。

「そ、そんなわけねーだろ!!こんな変人好きになるやつなんて誰がいるんだ!?ばーか!!お前のかーちゃんデベソ!!」

最後に子供染みた悪口を言ってのけて、テッドは2人を追い抜いてダッシュで訓練場所まで走って行った。
その背中を憎々しげに睨んで、ジュディが言う。

「絶対テッドはマホの事が好きなのよ。」
「逆だと思うけど……。」
「分かってないな、マホは。嫌いだったらあそこまで執拗にからかわないわよ」

分かってないな、というジュディの言葉に、心の中で「うん、さっぱり分からない」とマホは返していた。
好きな相手をからかって馬鹿にする理由なんて、マホには理解出来ない。
自分が変わり者だから、執拗にからかわれるという方がすんなりと頭が納得するのだ。


だだっ広い運動場で、あまり真剣味を感じられない対人格闘の訓練が行われている。
初っ端ジュディと組み簡単に勝ってしまったマホは、その後に組む相手が見つからず、誰か拒否せずに組んでくれる相手がいないかとキョロキョロと探していた。
すると、木で出来た模擬刀をポンポンと片手で回し投げて遊んでいたテッドがマホに気付きニヤリと笑って声をかけた。

「おい、マホ。何だ、随分暇そうだな」

そういうテッドも暇そうだと思ったが、一応は組んでいる相手がいるらしく、その相手はテッドの目の前で胡坐をかいて眠っている。

「じゃぁ、ならず者の役、してくれる?」

そうマホが聞けば、テッドは眉を寄せて首を横に振った。

「ヘッ……誰が!こんな訓練マトモにしてるのはお前みたいな変人かクソ真面目か馬鹿だけだよ」

まだ1年目の頃、1度だけ対人格闘の訓練でテッドと組んだ事があった。
その頃から、真面目に取り組む人間とそうでない人間の対人格闘術での差は出てきていて、一瞬でマホはテッドを地面に打ち負かしていた。
それ以降、こうしてからかってくる事はあっても、絶対にテッドはマホと組む事はしなくなったのだ。

「そう……。それじゃ―…」

テッドの前を立ち去ろうとしたが、再びテッドが呼び止める。

「お!丁度良い。アソコに暇そうな奴がいるじゃねーか。ほら、アイツと組んでみろよマホ」

模擬刀でテッドが指し示す方向に視線をやれば、いつの間にか出来ていた輪の中心に立つ1人の男がいた。
コト……とマホの心臓が音を立てる。

輪の中から驚いた声が上がる。

「すげーな。あのデカいヨハンが一瞬で……」
「訓練兵を経てないってのも理由があるんだろうな。めちゃくちゃ強いし」
「誰か次リヴァイとやれよ」

ザワザワと沸き立つ声の中心にいたリヴァイが、フ……とこちらに顏を向けた。
マホも、リヴァイの方を見つめたまま一歩一歩と輪の方へと歩き出す。
活気のあったざわめきが、途端に影を顰め、サワワ……と輪の中を走り抜けた風が砂埃を舞い上がらせた。

「マホだ……。リヴァイとするのか?」
「どっちが勝つかな」

ヒソヒソと輪の中から聞こえる囁き声を気にする様子も無く、真っ直ぐと歩いていたマホは、リヴァイの目の前でピタ、と足を止めた。
リヴァイもその場から動こうとはせず、自分と背丈の変わらない彼女を見つめた。

「マホってのがてめぇの名か?」

先程から周囲に飛び交う声を便りに、リヴァイがそう聞けば、マホは小さくコクリと頷いた。
そうして、リヴァイの手から模擬刀をスッと抜き取った。
ギラッとマホの翡翠色の瞳が妖しく光る。

やる気か……

既に3人と組み全て一瞬で打ち負かしていたリヴァイだったが、マホから放たれる闘気に先程とは違う強い信念を感じて、野性的な本能も手伝って今日初めて、しっかりと身構えた。
模擬刀を手にしたマホが、タッと地面を蹴って低い姿勢で懐に入って来た。
すぐ様体勢を変えて、足を掻けようとしたが、それよりも先にマホがパッとリヴァイから離れた。
明らかにさっきまで闘った兵士達とは違う動きに、ゴクリとリヴァイの喉が鳴った。

強いな、コイツ……

それは、マホも同じだったのだろうか。闘志に燃える瞳の奥で、どこかこの闘いに喜びを感じているらしい表情が見え隠れしていた。
再び模擬等を構え直したマホが、今度は小柄な身体から想像も出来ない程高く飛び上がった。リヴァイの頭上を越え背後を狙おうとするその機敏な身体を、リヴァイはガシッと捉え重力と共に地面にグシャリとねじ伏せた。捻り上げた腕から落ちた模擬刀をパシッと取ると、マホの背を足で抑え付けたまま立ち上がった。
ハラリ……とリヴァイの前髪が揺れる。

「す、すげー!!」
「あのマホが速攻で……」
「余裕だったな」

そんな声が飛び交うのを、リヴァイはフンッと馬鹿にした様に見ていた。

何処が余裕だ……

思わず全力で打ち負かさなければ、危なかった。
加減もしてやれないまま地面に落としてしまったマホが無傷で済んでいるはずがない。

「おい……」

地面に膝を付き、倒れ伏せたままのマホをそっと起こせば、案の定キッチリと前髪が分けられた額には擦り傷が出来て血が出ていた。
チッ……とリヴァイの口から小さな舌打ちが漏れる。

「立てるか」
「あ、はい……」
「力の加減が出来なかった。悪かった。医務室まで連れてってやる。」

言ってリヴァイはマホの腕を自分の肩に引っ掛けさせると、自分達を取り囲む輪から外れて一歩一歩、彼女を気遣う様に慎重に歩き出した。

「マホ、大丈夫!?」

ジュディがポニーテールを揺らして駆け寄ってきて、不安気にマホの顏を覗き込んだ。

「うん。有難うジュディ。大丈夫だから」

力無く笑うマホだったが、それでもとても清々しい表情をしているのに気付き、ジュディは驚いた様に立ち尽くし、リヴァイとマホが去って行くのを見送った。

「何だ、ジュディ。マホの側にいてやらねーのか」

背後から寄ってきたテッドがそう聞くも、ジュディはフルフルと首を横に振った。

「うん。何だかマホ、嬉しそうだったもん。あの人に任せておいたら大丈夫」
「はぁ?何か危ねー男じゃねーか?大体調査兵団にいる兵士なんか……」
「あら?テッドだってさっきマホに言ってたじゃない。リヴァイと仲良くしろって」

ニンマリと笑うジュディに、テッドは慌てた様子でバタバタと手を動かした。

「あ、あれは、調査兵団の人間だっていうからよ……マホみたいな変人なら……だから、ほら、あれだろ……マホは―…」
「はいはい。アンタも素直じゃないよね。そんなんじゃ一生マホに気持ちは伝わらないわよ」
「……だから、そういうんじゃねーって言ってんだろ!!!」

プイと背中を向けて、訓練へと戻るジュディに向かって、テッドの必死な叫び声が響いていた。
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