「え……また、私が?」

翌日、ハンジが手渡そうとしてきた筒を 見て、マホは一歩、後ずさった。
その一歩分、ズイとハンジが距離を詰める。

「うん。悪いけど頼まれてくれないかなー?あんまり色んな人間に託すのもあれだし、マホは昨日も行ってくれてるしね」
「それもそうですけど……リヴァイ兵長は嫌じゃないんでしょうか?」

昨日訪問した時、リヴァイ班のメンバーとお茶の時間までちゃっかり一緒にさせてもらっておいてあれなのだが、本当はリヴァイからしたら迷惑だったのでは無いのかという不安が本部に戻ってからでてきた。
何処に敵が潜んでいるか分からない。だからこそ離れた古城をリヴァイ班の拠点としているわけで、言い換えればそれは、リヴァイ班と幹部クラス以外の人間は信頼に値しないという事であって、それはマホも例外ではないはずだ。
だが、そんなマホの杞憂など全く問題ない、とでも言いたげに、ハンジは眼鏡の奥の瞳を細めて屈託なく笑う。

「大丈夫大丈夫。私だって本当に誰でも良くてマホに頼んでるわけじゃないからね。リヴァイだってそれは良く分かってるよ。」

そういう言い方をされてしまうと、少しは自分も幹部の人間から信頼されているのかと期待してしまう。
昨日も、まるで当たり前の様にリヴァイが自分の名を呼んでくれた事に舞い上がってしまっい、けれどその後でリヴァイ班の中に自分は入れないのだという現実を直視して、落ち込んだ。
勿論それは勝手にマホが1人で一喜一憂している事であって、自分以外の誰も悪くは無いのだが……。

「マホが、どうしても行きたくないなら、他の人に頼むけど……」

気遣わしげに言うハンジに、マホは「いえ……大丈夫です」と、小さな声で告げて、彼女の手から書類の入った筒を受け取った。


つい昨日に訪れたばかりなのに、侵入を許さないとでも言う様に物々しいオーラを纏った扉は相も変わらずマホを威圧している。
ただ手を伸ばして扉を開けるだけ、造作も無い事だ。団長の部屋をノックする時だってここまで怖気づかないだろう。

何がそんなに怖いのか。
何がそんなに足を竦ませるのか。
そんな事は考えずとも、マホの頭に浮かんでいた。
ペトラ・エレン・オルオ・グンタ・エルド……そして、彼等の中心に居るリヴァイ。
そこに、マホ自らが進んで居座る余地など、微塵も無いのだ。
だから昨日だって、ペトラに誘導されて古城内に入れた。
お茶の時も、エレンに勧められなければ座る場所すら確保出来なかった。
この場所に来た目的はハンジの使いであったとしても、マホにとっては憧れる上司の居る憧れてた場所だ。そして、その場所に自分は選ばれなかった。
心に巣食う劣等感が、マホ自身を望まれないない者だと非難するのだ。
それでも、与えられた使命を無視するわけにはいかない。
手の中の筒をキュッと強く握り締めて大きく深呼吸して、片手を扉に向かって伸ばそうとした時、突然大きな風が吹き付けて来た様な勢いで扉がマホ目がけて襲いかかってきた。
ガンッと弾ける音と脳が揺れる感覚の後、額から伝わってくる感覚に、それを“痛い”と認識する前にフラリと意識が途切れた。
クタリと体の力が抜けていく中で、「マホさん!?大丈夫ですか!?」と、必死な声が微かに耳に届いていたが、それは夢か現実か分からない程に不安定で、すぐにプツリと途絶えた。


初めてその人の姿をこの目で見たのは、訓練生2年目の時だった。
群衆の中から必死で背伸びしてやっと見えた姿に、最初は驚いた。
最強と称される程の人なのだから、大柄で屈強な如何にもな兵士像を勝手に思い描いていたから……だから、思いの外小柄で線の細いその姿に、ひどく衝撃を受けた。
例えるならば、稲妻に打たれた感覚だろうか。
体が大きい者が兵士として優れているわけじゃない。
それならば、私でも優れた兵士になれるのでは無いだろうか。
所属兵団を決め兼ねていた私に、進むべき道を差し示してくれた様なそんな出会いだった。
勿論それを、彼が知ってるわけがない。
だからいつか近付く事が出来たら、その時に話そうと思っていた。
初めて見たその日からずっと、貴方を……

「っ…慕っていました……」

「マホ!?気が付いた!?」

微睡みから無理矢理引っ張りあげられる様な声に、ズキンズキンと額の中心に鈍痛を感じながらもマホは薄らと瞳を開けた。
不安気に下がった眉のペトラの顏と、そのすぐ傍らに酷く脅えた様な顔のエレンの顏が、並んでこちらを見下ろしていて、慌てて起き上がろうとしたらガシッとペトラの手が肩を掴んだ。

「待ってマホ。急に起き上ったらダメ。貴女、脳震盪で倒れたの」

それは、静かな声であったが、有無を言わせない様な力強さがあり、マホは一度は浮かせた上体を再び見覚えの無いベッドの上にポスンと預けた。
ペトラの隣に居たエレンが、脅えた表情のまま大きく頭を下げる。

「マホさん。すみません。俺が、勢いよく扉を開けてしまって……」

扉に手を掛けようした時に、エレンが中から扉を開いて、それが額に直撃したのか……と、意識が途切れる前の状況とズキズキ痛む額と、エレンの必死な謝罪を見ながら、そう理解して、そこでマホはハッとしてキョロキョロと首を動かして辺りを見回した。

「そ、そうだ!ハンジ分隊長から渡された書類!!」
「あ、それなら―…」

ペトラが何か言いかけた言葉を遮る様に、彼女の後ろから低い声が飛んできた。

「ちゃんと受け取った。しかし飛んだ災難だったな。マホ」

目を大きく見開いて声の元を辿れば、小さな部屋の端、壁に背を持たせて腕を組んだリヴァイと、カチッと目が会った。
フフフッと小さくペトラが笑い、その傍らではしょんぼりとしたエレンがまだ肩を落としている。

「エレンはさっきまで兵長にひどく叱られていたから、ちょっと落ち込んでるの」
「ペトラさん!兵長に叱られたからじゃなくて、マホさんの顏に、怪我をさせてしまった事を落ち込んでたんですよ!」

悪戯っぽく言うペトラに、必死でエレンが弁明するが、背後からツカ、ツカ、とブーツの音が近付いてきた瞬間にサッと表情を曇らせる姿は、どう見ても叱られる事に怯えた少年にしか見えない。
数歩の距離でエレンの真後ろに立ったリヴァイの手が、彼の頭をガシッと掴む。

「ひっ……」
「マホのデコに怪我をさせた事は当然最悪な事だが、そうじゃねぇだろ?エレン。お前は何であんなに急いで扉を開けた?」
「ひぁ……あの、兵長に言われていた物干し場の掃除を忘れていて……」
「そうだ。てめぇが馬鹿で間抜けじゃなければ防げた事故だ。落ち込むべき点はてめぇのその忘れっぽい残念な脳味噌だ。」
「ひゃ……い」

余程キツク叱られたのだろうか、カクカクと小刻みに体を震わせているエレンの姿に流石に同情して、マホは遠慮がちにリヴァイに声をかける。

「あ……あの、兵長。エレンが、脅えて……ます」
「当然だ。そうしないとコイツは反省しねぇだろぅが」
「で……も、可哀想で……」

パッとリヴァイの手がエレンの頭から離れ、鋭い眼がギロリとマホに向けられる。

「ほぅ……。マホ。お前は、可哀想だからエレンは罪の意識を感じなくても良いというのか」
「そ……そういうつもりじゃありませんっ……。ですが、エレンはきっともう充分―…」
「――だからお前は甘いんだ。俺の思った通りだ」
「え?」

それはどういう意味なのかと尋ねる前に、スッとリヴァイはマホに背中を向けて何も言わずに部屋を出て行った。
ベッドに横たわったままのマホ、そしてその部屋に残されたペトラとエレン、何とも不穏な空気が3人の間にゆらゆらと漂っていた。
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