「まぁ!何て素敵な写真なんでしょう!!」

ミットラスの貴族街にある一軒の新しい家。周りに立ち並ぶ家々と同じ様な豪奢な作りと花が咲き乱れる庭。その家の玄関口に立つマホから写真を受け取った女性は、写真の中と同じ笑顔を見せて感嘆の声を漏らした。
その顏を見ると、マホはようやく仕事を1つ終えた気分になる。
どれだけ自分が納得する作品が出来たとしても、相手が満足してくれなければ、最早それは作品ですらない。趣味ではなくお金を貰っている以上それは当然であり、だから相手が満足しなければ、代金は頂かないというほどのこだわりを、マホは自分の仕事に持っていた。
女性の反応に、満足そうに頬を緩ませてマホは、会釈をして立ち去ろうとしたが、それを行動に移す前に女性の柔らかい声がマホを呼び止めた。

「マホさんは、結婚式とかのご予定は無いのですか?」

花嫁の特権と思えるほどの、キラキラとした眩しい笑顔が、マホの瞳を瞬かせる。
正直、意外だった。貴族の立場にいる人間にとっての自分の存在など、ただの写真家でしかなくて、名前を覚えてもらえるなんて思った事も無かった。実際、今まで自分が請け負った撮影で、依頼主の貴族から名前等呼ばれた事は無かった。
その人達にとって大切なのは、“自分が写っている写真"であって、その写真を撮った“写真家"では無い。
だからこそ、目の前の可憐な女性が、マホ自身の事を聞いてくるというのが、いささか信じられなかった。それが世間話の一貫としてもだ。

「いえ……私は……」

無視するわけにもいかず、ぎこちなく笑ってそう返せば、女性は美しくトリートメントされた長い栗色の髪をフワリと無邪気に揺らした。

「存じてますよ。あのリヴァイ兵士長とお付き合いなさっているんでしょう?きっと素敵な結婚式を成されるでしょうね!!」

朗らかに、屈託の無い笑顔を見せる女性に対してもうマホは何も言えなかった。
嫌味でも何でもなくただ純粋に、結婚式をするのだろうと、彼女は思っているのだ。
自分がそうした様に、ふわふわフリフリとした純白のドレスを着て、花弁の舞う中で祝福をされるのだと……そう、思っているのだ。

「失礼します……」

そう告げて、マホは豪奢な家を後にした。
ちゃんと、笑って挨拶が出来ていただろうかと不安に駆られて、貴族街の出口へと向かう足取りは早くなった。


あの日から3日。リヴァイと会ってない。
それ自体は別に珍しい事では無いが、寂しさは募る。まだ、忙しくしていたのならそれほどでも無かったのだろうが、この3日、仕事という仕事をしていない。元々依頼があって初めて成り立つ仕事なわけで、それが無ければ、年中無休と言えど開店休業状態である。こんな時は、仕事道具の整備や清掃に集中出来るが、薄暗い部屋で地味な作業をしていたら、たちまちにマホの中のネガティブが顔を出してくる。

もしかしたら、もうリヴァイは此処には来ないのかも。
私と、一緒に居るのが嫌になったのかも。

全く根拠の無い不安が、マホの心を軋ませる。

そんな不安と共存していたからだろうか。
静かな家に、突然に響いたノックの音が、マホの心臓をドクンッと高鳴らせた。
この家を訪れる人物など、撮影の依頼者かリヴァイぐらいだ。だがリヴァイはノックなどしない。
そうなれば、恐らく撮影の注文だろうと踏んで、マホは写真機をピカピカに磨いていた手を止めて、立ち上がった。
今回は、どんな貴族が相手だろうか……と、なるべく可憐な女性を想像しながら、年季の入った木の扉を開けたマホは、視界に飛び込んで来た人物の姿に、ポカンと……正に当てが外れたといった顔で固まっていた。

「こんにちは、マホさん!」

綺麗に揃った敬礼のポーズで並んでいる3人に、全く状況が掴めないままにマホは問う。

「エレンと、アルミンと、ミカサ……。何で3人が此処に?」
「はい。緊急の依頼で伺いました。今すぐに兵団本部に一緒に来ていただけますか?」

ニコリと笑顔でそう告げた金髪の少年の言葉に、ガクッとマホは分かり易く肩を落とした。

「リヴァイ……は?」
「兵長は、今手が離せなくて、俺達が代わりにマホさんを呼びに来たんです!」

相変わらずの従順そうな瞳に負けて、マホは仕方なくそれを了承する。

「馬車を待たせてます。ので、急いで下さい」

無表情ではあるが、急かす様なミカサの口調に、マホは慌てて写真機と必要な道具を持ち、家の前に停まっていた馬車に3人と共に乗り込んだ。

今まで、こんな事があっただろうか。
少なくともマホの記憶の中には無い。
どれだけ業務に追われていても、リヴァイはマホに関する事を他人任せにはしなかった。
それに、つい3日前に次に予定している撮影の打ち合わせをしていたし、その時の話ではそれは1月後だった。
突然撮影が必要な事態になったのかもしれないとしても、余りに急すぎる。
何かイレギュラーな事が起こっているのだろうと予想するも、それにしては、自分を呼びに来た3人の兵士の表情は緩い、とマホは不審に思った。

何が、あったのだろうか?

拭えない不安に、3人の様子を伺い見たが、示し合わせたかの様にパッと瞳を逸らされる。
それは“何も聞くな"という無言の圧力の様で、声をかける事がはばかられ、結局兵団本部に着くまで会話らしい会話も無かった。

本部の門を潜り、マホはすぐに違和感に気付いた。それを確認しようと、自分と一緒に馬車から降りた3人を見るも、訳知り顔で頷かれるだけだった。

静かすぎる……

違和感の原因はそれだった。
今はお昼のオヤツの時間帯。普段ならば、このぐらいの時間なら、訓練や業務に追われる兵士達が引っ切り無しに本部の玄関口を行ったり来たりしているはずだ。
それが今日は、風1つ吹いていないかの様に、本部の周りは静まり返っている。

「中に……」

ミカサがそう言って玄関の扉を開けるので、マホは嫌な予感を全身で感じつつも、大きな口をパックリと開けた、石造りの巨人の体内へと滑り込んだ。

「あ、マホさん!」

エントランスには、マホとよくおしゃべりをする104期の面々とハンジが待ち構えていたかの様に並んでいる。この組み合わせというだけで、更に嫌な予感が加速して身構えるマホに、ニコニコと笑うハンジが近付き、ポン、と彼女の肩に手を置いた。

「急だけど、ちょっと着替えてほしいんだよねー」
「は……き、着替え?あの、実験の撮影で私は呼ばれたんですよね?」

警戒のオーラを全身で放ちながらマホが言えば、ハンジが104期生に目配せをし、サシャとミカサが素早い動きでマホの両腕を拘束した。

「ちょっ……何!?」

防御する暇も無く両腕の自由を奪われ、声だけの抵抗を試みるも虚しく、マホはミカサとサシャに挟まれ、ハンジには背後を取られ、そのままズルズルと引き摺られる。足を踏ん張ろうとしても、日々鍛錬に励む兵士達の力に適うはずは無かった。

「ま、待ってせめて説明を……!」
「それは今はまだ話せないんだ。大丈夫、悪い様にはしない。それは保証する。マホの仕事道具達は、アルミンがちゃんと管理しておくから」

視界の端に、写真機と道具の入った鞄を持ったアルミンが、邪気の無い笑顔で口だけを動かし“大丈夫ですから"と言っているのが見えた。

女性陣に引き摺られ放り込まれた場所は、狭い用具庫のようで、普段は物置になっているのか、とりあえず真ん中だけはスペースを作りました、といった感じで、壁際には如何にもふるぼけた木箱や、樽が山積みになって部屋をグルリと囲んでいた。
真ん中のスペース……とはいっても、4人が足を伸ばして寝っ転がれるかどうか……といった具合の広さしかない。おまけに長椅子が陣取っているので更に狭くなっているのだが、大きな鏡が立っている所為か、そこまで圧迫感は感じなかった。

「あの、ハンジさん」

しきりに辺りをキョロキョロとしながらマホは聞く。その口調だけで悟ったのか、ハンジは眼鏡の奥の瞳をフッと細めた。

「リヴァイは、食堂で待ってるんだ」
「えっ!?」
「勿論、マホも食堂に連れて行くよ。でもその前に……これを着てほしいんだ」

ハンジがそう言って笑った直後、サシャとミカサが、大きな箱を引っ張り出してきて、マホの目の前で開いた。
ふわふわひらひらとした艶を放つ純白がマホの視界いっぱいに広がった。

「こ……れは……?」

両手で口を覆い、カタカタと小さく震えているマホに、ミカサが落ち着いた口調で話す。

「貴女に着てもらおうと思って、皆で用意しました」
「皆って……」
「皆は皆ですよ!ほら、マホ!!早く着替えて下さい!!」

あっけらかんとした様子でサシャが言い、たちまちマホは追剥ぎよろしく、着古したシャツとズボンを取り払われた。



「な……なんか……」

目の前の大きな鏡に映る、自分の姿に落ち着かない様子でマホは、手を肩に置いたり、胸の前に持って来たり、膝に置いたり、髪に触れたりとしきりに動かしている。

夢にみていた。
純白のふわふわひらひらとしたドレスに身を包む自分の姿を……。
だが、今鏡の中にいる自分は想像していた姿よりは随分と間抜けにも見えた。

ああ……でも、女性は皆、そうなのかもしれない。
純白のドレスへの憧れ。それを着れば、おとぎ話のお姫様の様に美しく輝けるのだという絶対的なアイテム。実際にそれに身を包んだ女性を目にすれば、息を呑んで羨望の眼差しを向けて、いつか自分も……と夢を見る。
そうして夢が叶った時、鏡の中に映る自分の姿に違和感を感じた女性はきっと多いのだろう。
だけど、それでも幸せそうに笑えるのは……

コンコン、と部屋の扉がノックされて、「はいはいー」と返事をしながらハンジが扉へと向かった。カチャ……と扉が開く音を耳にしながらも、マホは依然、鏡の中の己の姿に呆然としていた。
扉の前に居た人物を見て、ニマリと笑ったハンジが体を反らしてマホの方に振り返った。

「待ち切れなかったみたいだよ。サシャ、ミカサ。私達は一旦出よう」

ハンジの声に、マホの髪を仕上げていたミカサとサシャがパッとその手を離し、扉の方へと向かって行った。

「えっ?ちょっと……」

殆ど仕上がっていた髪は手を離されたからと崩れる事は無かったが、今まで両隣に居た2人がいきなり居なくなった事で、突然訪れた孤立感にマホの口から不安気な声が漏れた。
動こうにも、ふわふわひらひらと嵩張るドレスは、思う様にマホの体を自由に動かさせてはくれない。
首を動かす事すらままならない状態のマホの鏡越し、ハンジ達と入れ違いで入ってきた人物にわちゃわちゃとしていたマホの動きが止まる。
その人物も、鏡越しのマホを見つめたまま、よく知っている人間しか分からない程度に、驚愕の色を浮かべていた。
ついさっきまで、ハンジ達がいた為に賑やかしかった空気が一気に張り詰めていく。

「よぉ……」

とりあえず……といった感じで相手が発した声に、しかしそれがブツリとマホの不安の糸を断ち切ってくれた。

「り……リヴァイ……?」

鏡越しの恋人を直接見ようと、振り返ってみれば、確にそこにリヴァイはいた。
いつもの兵団服ではなくて、パリッとしたタキシードに身を包み、出会った頃からずっと変わらない髪型も、前髪を上げて綺麗に後ろに流されている。
だけど、リヴァイだ。
困った風に見える眉間の皺も、何か言葉を探す様に薄く開きかけている唇も、マホがよく知っている、リヴァイだ。

「こ、これ、どういう事?」

ハンジや104期の皆に散々聞いても教えてはもらえなかったその答えはきっと、今目の前にいる恋人からしか告げられないのだろう。
コツンコツンと革靴の音を響かせて、距離を詰めたリヴァイが、そっとマホの手を握った。
熱い眼差しで見つめてくる顔は、どこか寂しげにも見えて、マホはゴクンと緊張からせり上がってくる生唾を飲み込んだ。

「お前……こんなに、綺麗になれるんだな」
「な、何それっ!!リヴァイだって、元ゴロツキには見えないけど……」

売り言葉に買い言葉、といった感じでマホが突っかかれば、リヴァイはフッと柔らかい笑みを零した。

「だが、中身は変わってねぇな。安心した」

スルリと伸びてきた手に頬を撫でられて、今迄にも何度もそんな事はされてきていたはずなのにマホは、不覚にもドキンッと初々しく心臓が跳ねるのを感じた。
スゥ……とリヴァイが大きく息を吸い、その分だけタキシードの胸元がフワリと膨らんだ。柔らかい表情はそのままに、口元を引き締めて、リヴァイはマホをジッと見据える。

「俺は、こういうのは全く、全然、慣れてないからな。女が憧れる様な愛の言葉なんてもんも知らねぇが……」
「あ…………はい」

思わず姿勢を正したマホの瞳に、今までに見た事が無いぐらいに頬を赤くしたリヴァイが映った。

「結婚…………するぞ」

不器用で不格好なプロポーズだと、思った。
だけどとても、リヴァイらしい愛の言葉だった。

「は…………い…………」

純白の花にキラキラとした雫が落ちた。
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[mokuji]
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