廊下を競歩が如くスピードで歩くクラサメの眉間には深い皺が刻まれていた。
無理もない、なにせ今彼は課題提出をサボった3人を探し回っているのだ。シンク、ナイン、ジャック。もはや常習犯である。どうせ提出期限を破った罰は受けざるをえないのに、彼等は毎度こうして逃げ回るのだ。講義には必ず出るのだから探し回る必要は無いのかもしれないが、生憎本日の講義は全て終了しており、またクラサメは明日まで待つという妥協は決してしない。まだ時間も遅くないので、今日中に捕まえる気でいた。
この手の件に関しては0組の中でも特に厳しいクイーンに事情を説明し手伝ってもらっている。教室には足の遅いトンベリを待機させてある。少しずつ彼等への探索網は広がっていた。
クラサメに気圧され左右に避けていく候補生達を一応一人一人すれ違いざま確認しておく。勿論そんな簡単に見つかるわけもない。かと言って怠り見逃すわけにもいかない。その視線があまりにも鋭く、余計にクラサメに怯える生徒は増えていたなど彼は知りもしないのだが。
以前他組の教室に逃げ込んでいたこともあったので、そちらの線も確認していた。
だから、その場を見たのは本当に偶然だった。
そこは2組の教室で、2組は明日も出撃があるせいか候補生は誰もいなかった。
候補生はいなかったけれど、予想外の人物がいた。

(……エミナ?)

見える後ろ姿は彼女のものだった。
エミナは2組の担当どころかどの組も受け持っていなくて、講義の予定も無かったはずだ。不思議な状況に思わずクラサメは足を止めた。
声を掛けるか躊躇っていると、向こうがこちらに気付いた。エミナは振り返ってから驚いて、それから笑顔を作ってゆっくりとクラサメの元へ歩いてきた。

「ね、今時間あるかな?」

クラサメは少し遅れて頷いた。
暇では無いのだけれどエミナの話に乗ったのは。
思わず掛ける言葉が見当たらず無言になってしまったのは。
きっと彼女が今にも泣き出しそうだったからかもしれない。


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エミナに連れられて来たのはリフレッシュルームだった。どうやらそこそこ他人の目のある所でも平気な話のようだ。エミナは飲み物を注文し、丁度空いていた隅の席に座る。クラサメは何も頼まず、そのままエミナに続いた。リフレッシュルームは一日の講義を終えた候補生達が大勢いて賑やかであり、故意で無い限り周りに話の内容は聞かれない程度であった。もっともクラサメとエミナという組み合わせに少なからず興味を抱いた候補生もいたが、遠巻きにチラチラと見てくるだけだった。
エミナの注文した飲み物が届くまでお互い無言だった。クラサメはいつもと様子が違う彼女に切り出す言葉を迷い、当のエミナも黙っているだけだった。
数分後に届いた飲み物を一口飲んで、ようやくエミナは喋り出した。

「うん、美味しい。ここの期間限定の飲み物はハズレがないね」

先程までの雰囲気とまったく関係の無い話題だった。けれど、それでエミナの調子は戻ったのだと分かった。

「クラサメくんも一口どう?」
「いらない」
「マスク外してる間は私が隠してあげるよ?」
「いらない」
「もう。後で欲しいって言ってもあげないからね」

エミナはぷんすこと怒ってグラスを自分の方へ寄せ気味に置いた。そんなに警戒しなくても取りはしない。クラサメは少しだけ呆れた。
カラン、とグラスの中の氷が鳴る。エミナがストローでドリンクを軽くかき混ぜていた。
僅かにエミナの顔に影が落ちる。

「さっきね、2組の子達と話してたの」

寂しそうな声音だった。
それでクラサメは大体を察した。

「明日出撃する子達、男の子3人女の子2人で、少し前からよく話すようになった子達なの。『エミナさん、一緒にお茶しましょう!』『あのね、ケーキ焼いてみたの!食べてみて!』って、みんな良い子だった」

エミナは自他共に認めるほど周りに好かれる人物であった。組を持たない一士官である彼女は、けれど多くの候補生達と仲が良かった。
果たしてそれは単純に良いことばかりだと言えるだろうか。

「あの子達バハムート隊なんだって」

残酷な未来は、クラサメの察した通りであった。
バハムート隊。簡単に言えば召喚獣を召喚する為の部隊である。召喚獣の多大なる力は朱雀の重要な戦力だ。しかし、その代償は召喚者自身。バハムート隊は言ってしまえば召喚獣への生け贄部隊なのだ。たとえその戦いで勝利しようと、バハムート隊の命は絶たれ存在は記憶と共に消え行くのだ。
バハムート隊は実は殆どが志願者だ。朱雀の為に、あるいは大事な何かの為に。その決断をするのはわずか十代の若者達だ。

「私は何をしてあげれたんだろう。何をしてあげるべきだったんだろう。答えが出ないまま別れちゃった。バイバイって、まるで明日もまた会えるみたいに」

カラン、と再びかき混ぜられた氷が鳴る。氷は段々小さくなっていた。

「きっと私はバハムート隊の子とああやって話すの初めてじゃないんだと思う。沢山の子達を見てきたんだと思う。だってそうじゃなきゃ涙はとっくに溢れているもの」

エミナの目元は潤んでいたが、そこまでだった。失われた彼女の経験がそこに出ているのだろう。
敢えてそこからクラサメは視線を外した。
離れた場所でわあっと歓声が沸く。どうやら誰かが大盛りメニューに挑戦しているようで、大体の候補生はそのギャラリーと化していた。都合よくクラサメ達は空間から切り離される。

「私はみんなに何が出来るんだろう」

今、そしてこれからも。
エミナは自分の無力さが歯痒いのだろう。
クラサメは饒舌な方では無い。また、優しい言葉を掛けて慰めれるほど器用でも無い。
エミナの問いへの答えも、持ち合わせていない。いや、戦場へ向かう候補生達の背中を見送るだけの大人として出来ることの正解など、きっとクラサメ以外も持ち合わせていないだろう。

「……忘れる者と、忘れられる者。どちらが辛いだろうか」

クラサメが漸く口を開く。
それは昔からある議題だ。自分にとって大切な存在を忘れることと、世界の誰からも忘れられること。死によって生まれる悲しみはどちらが深いかという話。

「答えは人それぞれだ。エミナ、お前はどっちだ」

エミナに答える代わりにクラサメは逆に問い掛ける。
唐突な話題に、エミナは少し時間を置いて「忘れられる方かな」と言った。

「私は忘れられる方が怖いかな。身勝手かもしれないけれど、私は自分の居場所があることを何よりも幸せと思ってるから……」

自身の境遇を省みながら出した答え。絶対にバレてはいけない秘密を絡めたそれは、相手がクラサメだからこそ言えるもので。信頼しているのだ。深く追及してくることもなく、全てに気付くこともなく、けれど無二の仲間として受け入れてくれる。クラサメと、それにカヅサ。エミナの大切な居場所だ。
そんなエミナの信頼など気付かず、もっとも気付かれてはいけないのだが、クラサメはエミナの答えを聞いて、そうか、と一言呟いた。

「ならばそれをしてあげればいい」
「……どういうことかな?」

抽象的なアドバイスに小首を傾げるエミナ。

「忘れられたくないと思っているなら彼等を忘れなければいい。自分の考えうる最悪の最期を迎えさせないように彼等をその一瞬まで思い続けることならば、ここからでも出来るだろう」

クリスタルの忘却に人は抗えない。
クラサメの提案は気休めだ。それも、エミナに対しての気休めだ。たとえエミナが遠くから祈っていても、彼等は知る由も無いだろう。
けれど、それは無意味ではないのかもしれない。
ほんの少しでも誰かに存在を認識されること。それはこの世界に生きている証。
自分の立場で考えると悪くないかもしれない、とエミナは思う。
最後の時まで誰かの中で生き続けるということは。

「優しいね、クラサメくん」
「別に……」

エミナの顔が明るくなった。彼女の力になれただろうか。
己の無力さを噛み締めたことはクラサメにも何度もある。特に、マスクの下に残る火傷の痕。
それにぶつかった時に支え合えるのが仲間だ。

「思い続けるのも存外大変だぞ?」

自身の経験を絡めた言葉はクラサメなりの際どい冗談で、声音は少しからかいを含めていた。

「あはは、頑張るよ」

エミナはそう笑って飲み物に手を伸ばした。

「……こうしてクラサメくんの告白は無事成功し二人は付き合うことになりました、ってとこ?」

的外れな言葉にクラサメとエミナは同時にぎょっとなり、これまた同時に声の主の方を見る。
やあ、と立っていたのはカヅサだった。そもそも、この二人にあのように話しかけられるのは一人しかいない。

「あれ、違った?遠くから見てたらそう見えたよ」
「そんなはず無いだろう……!」

冷静に振り返ってみてもそんな風に誤解される雰囲気は無かったはずだ。からかっている。こいつは確実にからかってきている。実際カヅサの目は面白がっているのがありありと分かる。

「もう、からかうのはクラサメくんだけにしてよね」
「僕の中ではエミナくんも同等だよ」
「やだ、意外」
「扱いに男女の差があるだけさ」

小さく「……薬の分量とかね」と聞こえた気がする。
カヅサの相変わらずさにクラサメは溜め息をついた。

「休憩か?」
「僕?んー、まあ半分は。もう半分は仕事だよ」

何故か少し勿体ぶって話すカヅサに怪訝な視線を送る。

「クラサメくん、0組の子達探してるんでしょ?聞いたよ」
「ああ、そうだが……」
「あ、そうだったの?」

エミナが「ごめんね!」と目で訴えかけてきたので、「気にするな」と同じく目で投げ返しておいた。
しかし、それがカヅサと何の関係があるのだろう。

「彼等、僕のところにいるよ」
「……そこに逃げ込んだのか……」

成る程盲点だった。関わりたくないと評判の人物の所に自ら転がり込むとは。カヅサの個人研究室は隠れるところはなく、乗り込めば一発で見つかる。しかしカヅサの同期であるクラサメさえ用事が無ければ訪れないし、探す先としてまず選択肢にすら無い。
というか、そこまでするのか。それだけの労力があるなら課題をやれ。

「僕よりクラサメくんが怖いんじゃない?」
「………」
「早く迎えに行ってあげなよ。薬盛っておいたから」
「おい」

あれほど生徒に手を出すなと釘を刺したのに全然効果は無い。これは恐らく他にもまだまだやっている。しかし、今回ばかりは3人にも非があるのでなんとも言えない。

「何もしてないからそんな怖い目で睨まないでよ」

ほんとほんと、と弁明するカヅサを特に追及せず、 今回だけだぞとクラサメは見逃した。

「ほら、行ってらっしゃい」
「がんばってークラサメくん」

二人の声援に軽く答えて歩き出す。
とりあえず見つかったことをクイーンに連絡するためCOMMを操作しながらクリスタリウムへと向かった。


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「忘れるのが怖いか、忘れられる方が怖いか」
「えっ?」

クラサメが去った後、カヅサが口に出したのはクラサメが話していたものと同じ話だった。

「前者は強い人に多く、後者は弱い人に多い」
「……カヅサくん、もしかしなくても聞いてた?」
「さあ、どうだろう」

はぐらかすカヅサに意地悪だなぁとエミナは口を尖らせる。長い付き合いだ、今更である。

「ま、あの議題はもはや性格診断みたいなものだよね。大事なのは気持ちだよ」
「あら、科学者っぽくないよカヅサくん」
「これに関してはね」

肩を竦めるカヅサと共にエミナも軽く笑った。
それから、神妙な面持ちで、そして少しだけ寂しそうに、カヅサは言った。

「僕らに出来るのは支えることだけ。けれど、それだって必要なことだよ」

それはきっと候補生だけではなく軍人を含め戦場に向かう全ての者たちへ。
そして、失う辛さをクリスタルに抗ってまで記憶に残し、それでも戦いに関わり続ける彼へ。
戦場から疎遠な所に留まる者として。

「明日出撃する彼等はエミナくんに救われたと思うよ」
「うん、そうだといいなあ……」

願うようにエミナは静かに呟いた。








(起きろ)
(んあ……げっ、クラサメ)
(ん〜?隊長?)
(まさかまさか〜、夢だよね〜)
(夢かどうか試してやろうか)
(((ごめんなさい!)))



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