ギィ、と教室の立派な扉を開けて中を伺えば、レムの探していた人物はそこにいた。
一番前、窓際の机、真ん中の席。誰もいない教室の中で彼はぽつんと一人座っていた。そこから黙って窓から空を眺めていた。
別段忍び寄ろうなんてことは考えてなくて、扉も普段通りバタンと音を立てて閉めたし、近寄る時もパタパタと足音を響かせた。
それなのに。

「マキナ」
「………」

反応無し。
レムが声を掛けても、マキナは空を見たまま微動だにしない。
少し待ったところで、もう一度声を掛ける。

「マキナ」
「………」

再び反応無し。

「マーキーナー」
「………」

やはり反応無し。

「マキナ・クナギリ!」
「………ん……?」

大きな声で叫ぶように呼んで、ようやくマキナは反応した。
のろのろと動いた視線がレムを捉えて、そこで驚いた表情を見せる。今の今まで本当に気付かなかったようだ。
まただ、とレムは思う。
白虎から帰還して以来、正確には白虎に滞在していた時以来、マキナは変わってしまった。0組から距離を置き、溝を作り、明らかに彼等を敵視し始めた。0組以外の相手にも素っ気ない態度を取るようになった。マキナを知る者はみんなその変化に驚いた。
それからもう一つ、あれからマキナはぼーっと呆けることが多くなった。今のように空を見ることが増えて、けれどもそれは空を見ていると言うよりはどこか遠くを見ているようで、ふわふわとふらふらとしているその姿にレムは見掛ける度に不安な気持ちになる。

「なんだい、レム」

マキナは柔らかく笑った。レムにだけは以前と変わらずに、しかし以前にも増してレムを気遣うようになったと感じる。そこにはマキナの前でも咳き込む事が多くなってしまったせいもあるかもしれないけれど。
マキナはどうしてレムが自分に声を掛けてきたのか分かっていないようだった。
レムは困ったように笑う。

「マキナ、もう今日の授業は全部終わっちゃったよ」

机の上には参考書やノートが広げてある。普段授業を受ける姿勢でマキナは教室にいた。けれど、予定されていた授業は全て終了している。勿論、その中にマキナの姿は無かった。真面目な性格からいつも欠席などしないマキナの分の空席が、余計に彼の異常さを周りに伝えていた。
レムの言葉を聞いて、マキナは驚くこともなく、焦ることもなく、少し間を空けて静かにぽつりと呟いた。

「そっか」

がたりと椅子から立ち上がり机上のものを片付け始める。「時間、勘違いしちゃったよ」とマキナは言うけれど、苦しい言い訳にしか聞こえなかった。
どうしてこんなにもマキナは変わってしまったのだろう。レムの知る限りきっかけとなり得るのはマキナの兄のことくらいで、もしそうだとしてもそれだけでは今のマキナの理由にならないように思えた。
心配する0組の手を跳ね除ける度、その後複雑な顔をするのをレムは知っていた。きっとマキナの中では色んな感情がぶつかり合っているのだと思う。レムの知るマキナは、共に過ごした時間を、思い出を、容易く捨て去れる人物ではないから。

「そうだ、体調はどうだ?苦しくないか?」

ふとマキナが尋ねてくる。最近は顔を合わせるとマキナはレムの体調を確認するので、もはや習慣のようなものだ。

「うん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

そう言って笑って見せると、マキナは安心した顔をした。
マキナは色々隠し事を抱えているのだろうけど、その点はレムも同じで、だから無理に追及することは今のレムには出来ない。

「それじゃ、またな」

纏めた荷物を抱えて、マキナは教室から出て行こうと歩き出した。

「待って!」

その腕を掴んで引き止める。マキナは素直に足を止めてくれた。
どうしたんだと振り返るマキナと視線を絡める。
伝えなきゃと思った。

「あのね、マキナはいつも私を心配してくれてるけど、私も同じくらいマキナのこと心配してるから!」

ぎゅ、と掴んだ手に力を込める。
それだけは分かって欲しかった。
守られてばかりだけど、大事な時には頼ってほしいと。
目をぱちくりさせながらもレムの言葉を最後まで静かに聞いていたマキナは、ゆっくりその言葉を飲み込んで、それから小さく笑って頷いた。
けれど、その後は何も言わず、するりとレムの手を解いて歩き出す。今度はレムは引き止めなかった。
教室から出て行くマキナを見つめていると、このままマキナはどんどん遠くへ行ってしまうのではないかという根拠の無い不安が押し寄せて、いいやそんなことはないと首を振った。

私はマキナを信じてる。



(無茶をさせたくなかった)
(無理をしてほしくなかった)
(……私達、似てるのかもね)
(……そうだな)



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