魔導院はどこもかしこも騒がしかった。噴水広場、エントランス、廊下、武装研、リフレにサロン。行く先々で感じる落ち着きの無さに、ジャックは人知れず肩を竦めた。別にそれを咎めたいわけではない。なにしろ、今の朱雀はかつてない窮地に立たされている。白虎、蒼龍両軍による二方面からの侵攻。それを前に何も感じない者はいない。緊張と不安と少しの興奮が、大きな戦いを前に院内に入り混じり溢れていた。 (僕だってそれは分かってるけどさー) クリスタリウムも同じ雰囲気なのを確認してすぐに踵を返した。 ジャックがふらふらしている理由は少しでものんびり出来る場所を探しているからだった。別に静かじゃなくてもいい。日常を感じられれば、つまりは普段通り過ごせればいい。慌しさの中にいたらそれだけで疲れてしまう。作戦前は緊張するよりもリラックスしていたい、ジャックはいつもそう思っていた。 日頃は廊下を走るなと怒る教官達、今は彼らがあっちへこっちへと走っている。それを揶揄する候補生はいない。ジャックは邪魔にならによう廊下の端を歩きながら、ふと外を見た。 そうだ、テラス。まだ行ってなかった。 次の目的地を決めて大魔法陣へ向かう。テラスがダメなら裏庭かなぁ、うんうんと一人で頷いて魔法陣に乗り、移動する。 光に包まれ、数秒後外気を感じると思えば到着。空を仰げる小さなスペースには思ったよりも人がいた。うーん、ちょっと狭いかも。見渡して留まるかどうか逡巡する。その際、各組の候補生達のマントがカラフルに揃う中、奥に小さく見える黒色が目に入った。 「……隊長?」 珍しい。クラサメがこんな所にいるのを見るのはジャックは初めてだった。普段は雑務でもしているのか、日中教室以外で彼を見かけることは少ない。 よいしょと踏み出し、人を掻き分け、クラサメの隣に行き声を掛ける。 「隊長ー」 「……ああ、ジャックか」 クラサメにしては返事に大きな間があった。手摺の向こうに見える空を眺めていたからかもしれない。今日は天気がいいから、綺麗な青空だ。戦争なんて知らない綺麗な青空。ジャックはここから見える平穏な景色が好きだった。 「あれ、トンベリは一緒じゃないの?」 「いつも連れ歩いている訳ではない」 「そっかぁ」 「何か用か?」 「んー」 クラサメの質問に曖昧に返す。さっきまでは用事なんて無かったけど、今出来た。 普段連れてる従者を置いて一人テラスにいる意味。聞きたかったけど、聞かなかった。素直に聞いちゃいけない気がした。クラサメに関して今流れている噂がそうさせる。 だから、少しだけずるい手を使った。 「あのさ、今度の作戦って17日だよね?」 「その予定だ。きちんと準備を怠らず……」 「その日ね、僕の誕生日なんだー」 「……そうか」 「うん」 突然の話題に目をぱちくりさせ驚くクラサメに笑いかける。 その後、彼はとても複雑そうな顔をした。朱雀の命運を懸けた戦いの日に誕生日を迎えると言われて、どんな言葉を掛けていいか困っているようだ。元々そういうの不器用そうだもんね、内心でジャックはくすりと笑った。 決戦日と誕生日が重なったことなんてジャック自身は特に気にしていないし、そもそも特別祝って欲しいとも思っていない。祝われたら勿論嬉しいけれど。 ジャックは極めて明るい口調で言った。 「ねー、隊長。プレゼント欲しいなー」 「急に言われても用意出来ないぞ」 「物は要らないよ。あのね、言葉が欲しいんだ」 「……言葉?」 「そう。『誕生日おめでとう』って言葉」 「それくらいなら良いだろう」 「ちゃんと当日、僕に直接ね?」 「………」 沈黙。仏頂面だと言われるクラサメの僅かな表情の変化をジャックは見逃さなかった。この目敏さは自身の戦闘スタイルにも影響しているのかもしれない。 ジャックの言いたい事はきっちり伝わったようで、クラサメは困惑していた。 「……COMMは」 「だめー。直接、面と向かって、ね?」 「………」 逃げ道を塞ぐ。この人は賢いから、隙間は作っちゃいけない。 次は朱雀の全てを出し尽くさんばかりの大規模戦闘だ。作戦数日前から終了まで、配置の違うジャックとクラサメはほぼ会うことは出来ない。会えても、そんな呑気な会話を交わす余裕など無いだろう。 つまり、ジャックの要求は一つ。 戦場からの生還。 常日頃生きて帰れと言うクラサメに、今度はジャックが生きて帰れと言う番だった。 押し黙ったままのクラサメをジャックは静かに待った。決して急かすことなく、しかし答えるまで逃がすつもりもなく。小さな小さな根競べ。折れるのは先に喋る方だ。 周りの喧騒が遠く感じた。 「……分かった」 クラサメは参ったと言う様にぽつりと零した。 「分かった、善処しよう」 「違うよ、隊長。そういう時は約束するって言うんだよ」 「……約束しよう」 「嘘ついたら針千本、おまけにみんなのうらみだからねー」 「それは困るな」 正直に言うとジャックはクラサメが折れてくれると確信していた。彼は0組のことを大切に思ってくれているから。ジャックの話は断れない。だから、ずるい手だった。クラサメの甘さにつけ込んだ、ずるい方法。 そうまでして、彼に約束させたかった。 この短い期間でジャックにとって、恐らく0組のみんなにとっても、クラサメの存在は大きくなっていた。だから――― (だからね、お願い隊長。ちゃんと戻って来て。生きて帰って来て) 頷いたことでもう吹っ切れたのか、それからクラサメは饒舌だった。終いには報告書の書き方のコツを教授されていた。曰く、お前はもう少し努力すれば及第点だ、らしい。ちょっと自信がついた。 大きな鐘の音が響き渡る。自由時間の区切りの合図。ジャックはまだ時間に余裕があるけれど、クラサメは違う。ジャックに断りを入れて魔法陣へと歩き出した。 「たいちょー、約束だからねー!」 後ろから声を掛けてもクラサメは振り返らなかった。隊長らしいや。 残されたジャックは空を仰いだ。ゆったりと流れる雲。今の情勢が嘘みたいだ。 きっと17日の戦いは荒れるだろう。 0組の心配はしていない。僕達は強いから、それにマザーがついている。ああ、マキナのことはちょっと心配かな。 それと親しくなった他組の候補生や士官、兵士の人達。出来ればみんな無事でいて欲しい。折角親しくなったのだから。 あとは、隊長。クラサメ隊長。交わした約束が、どうか彼に生きて帰ることを諦めさせませんように。 心地よい風が頬を撫で、ジャックは目を細めた。 耳を劈く爆音と、忙しなく飛び交う通信。沢山の煙で淀む空。駆け抜ける戦場には朱雀白虎ともに多くの死体が転がっている。 混乱する戦況の中、とにかくセツナ卿の詠唱が最終段階に入ったことは確実に伝わっていた。 朱雀全部隊即時撤退を求められ本陣まで戻る最中、0組のCOMMに飛び込んできたのは一つの不審な通信で。 0組の誰もが首を傾げた。相手は分かっている。しかし、雑音が酷く聞き取れなくて。ジャックも勿論疑問符を浮かべるだけだった。 イレギュラーを乗り越え十分引き下がったところで、トレイが「あそこを」と遠くの丘の上を指差した。ジャックにはもやもやと色のついた霧がかかってるかな、くらいにしか見えないが、目の良いトレイにはもう少し見えるらしい。 「あそこで、セツナ卿による秘匿大軍神の召喚が行われています」 トレイは悲しそうな顔をした。彼には何が見えているのだろう。シンクが尋ねたけれど、トレイは普段は饒舌なその口を開かなかった。 本陣に帰還している中にクラサメの姿は見えない。確か、召喚補佐と言っていた。セツナ卿の側にまだいるのか。慌てて思い起こしたところで、まだ彼の記憶はあった。ジャックは安心した。エースと目が合って、彼も弱ったように笑った。同じ事を考えていたのかもしれない。 (約束……) 一方的に取り付けた、ただの口約束。誓約とは程遠いそれを、ジャックは信じていた。作戦開始前に一度顔を合わせた時、彼はそこで何も言わなかった。だから、約束を果たしてくれる気でいると思った。 デュースが自分の首元のマントをそっと掴んだ。ピリピリと張り詰めた空気を感じたから。軍神の召喚されるあの時の独特の感覚が、離れているのにここまで届く。サイスがそっとデュースを支えてあげているのが見えた。 ナインが立ち上がって遠くを見ようとしていると、召喚とは別の光がか細く撃ちあがった。 その瞬間、本当に刹那の一時に、頭の中でふわりと駆け巡る感覚。コンマにも満たない時間に溢れた想い。ああ、そういうことか。嫌な予感はどうしてこんなにも当たってしまうのだろう、どうして回避できないんだろう。 「……うそつき」 ぽつりと呟いたけど、その言葉がどういう意味で誰に向けられたものだったのか、もうジャック自身にも分かっていなかった。聞こえていたのか、傍にいたセブンが不思議そうな顔をした。 直後現れた巨大な生ける要塞、アレキサンダー。それの放った聖なる光が、戦場を飲み込んで、戦いは終わる。その中で、一つの約束は一人の存在と共に静かに忘却の彼方へと消えていった。 (すまないと思った) (約束の言葉より、謝罪の言葉を伝えたかった) (諸君らに、クリスタルの加護あれ) ←→ 戻る |