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帝立オペレッタ17(強さの証明)


「シマ先輩」

 エメザレは、まるで待ち焦がれた恋人がやってきたかのように、自然に、シマに向かって走り出した。

「おい、行くな」

 エスラールはエメザレの手を掴んだが、振り払われた。追いかけたが、エメザレがシマに抱きついたのを見て足を止めた。シマの胸に顔を埋めるエメザレは、本当にシマの恋人のように見えた。エメザレはシマのことを少しも憎んでいないだろう。助ける必要はないのだ。そして二人の関係に立ち入ってはいけないのだと思った瞬間、思いがけず自分が傷付いたことが信じられなかった。

 シマは胸の中のエメザレではなく、エスラールを見た。一切の感情を廃した鏡のような瞳だった。一体どうして自分を見るのかわからない。

「優しくしてください」
 エメザレが言った。

「優しく」
シマはエスラールを見たままだ。疑問符はついていない。昨日と同じく平坦な喋り方だった。

「僕が恐れているのは、僕に向けるはずの憎しみを、僕以外に向けられることだ」

 エメザレは言葉を区切ったが、シマはなにも答えない。

「僕は四年間、あなたの憎しみをこの身体で受け止めてきた。僕はあなたの顔を潰したから。シマ先輩、あなたは強い。一番強い。憎いと思うだけで誰かを殺せるほど強いんだ。自分の強さをわかってください。僕は耐えることができても、みんな僕のように頑丈にはできてない。優しくしてください。あなたは二号隊を変えることができるただ一人の存在だ」

 だがシマはそれでも答えずにエメザレを引き離した。

「僕のこと怒ってる?」

 どうしても離れたくないとでも言うように、エメザレは両手でシマの顔を包み込んだ。

「もうあなたのそばに居られないのが辛い」
「俺は弱い奴が嫌いなだけだ」

 シマはエメザレの手を払いのけた。エメザレの悲しそうな背を超え、シマはエスラールに向かって歩いてくる。エスラールに用があるわけではないだろう。通り過ぎるだけだとわかっていても、無意識に構えてしまう。昨日とは違い、取り巻きはいない。それでもシマの圧倒的な雰囲気は全く変わらなかった。

「詮索はとめないが、争いは起こすな」

 すれ違いざまに案外優しげな声でシマが言った。

「あの、すいません。サディーレは日記を書いていたそうなんですが、日記のことなにか知りませんか……」

 エスラールは、できるだけ冷静に言ったつもりだが、声が僅かに震えていた。シマはエスラールの言ったことを考えるように少しの間を置いて、二度だけ首を左右に振ってから、ゆっくりと去っていった。

「行こう。エスラール」

 エメザレは背を向けたまま言った。振り返ると、シマの、どちらかといえば細い身体が、当然のようにさっきよりも遠のいていた。


◆◆◆

 彼らは、まるで自分たちが誰の迷惑にならないよう、できるだけ慎ましく存在しようとしているかのようだった。ユドが属していたグループは、一番端っこの長椅子に、六人が身を寄せ合って話をしているが、その図だけでも、なぜか彼らが弱々しいことを理解できた。丸められた背中は怯えているように見え、同時に警戒しているようも感じられる。いつ何時、攻撃されたとしても、きっと準備はできていて、彼らは固い小さな虫のように、丸まってじっと耐えるのだろうと思った。

 エメザレとエスラールが彼らの前に立つと、彼らはお喋りを一瞬でやめた。強烈な警戒心を向けられたが、すぐに解かれた。彼らにとってエメザレは敵ではないらしい。
 右端の、一番背が高く涼しげな目元をしている奴が、エスラールの顔を見て笑った。

「なんだよ、エメザレ。もう彼氏ができたのか。シマ先輩といい、案外、顔は贅沢いわないんだな。すんごい顔だ」
「おい!」

 彼の率直な言動にエスラールはちょっと凹んだ。

「今は殴られてこんなんだけど、元の顔はそこまで不細工じゃないよ。シマ先輩だって顔の傷がなければ顔立ち自体は悪くなかった」

「どうせ俺の顔はキングオブ凡だよ。悪かったな。あと俺は彼氏じゃなくて、エメザレのルームメイトでエスラール」

「あれ、エスラールってきいたことあるな。お前、一号隊で結構強いんじゃなかったっけ。へぇ、エメザレと同じ部屋になったのか」

 どうやらこの目元の涼しい男がリーダー格であるようだ。一番堂々としているし、度胸がありそうだ。ミレーゼンのように美しくもなければ、月の男のように個性的でもないが、その他の面々の冴えないという言葉を正確に表したような顔ぶれの中では、はっきりと目立つ存在だった。

「俺のこと知ってるなんて驚いた」

「強い奴を知っておくに越したことはないからなぁ。そういえばエメザレ、犠牲者やめたんだって?」

「ああ、うん」

 男の問いにエメザレが頷くと、一気に場の雰囲気が沈みこんだ。

「たぶん、犠牲者の一人は、俺たちの中の誰かが選ばれるだろうな」
「恐いよ」

 震えるような呟きが聞こえた。呟いたのはひどいタレ目で、ものすごく優しそうで弱そうな顔をした男だった。野良猫に睨まれただけでも本気で震え上がっていそうな顔だ。美形というのとは少し違うが、小動物のような可愛らしさがある。犠牲者がどういう選考基準なのかは定かでないが、彼が最も危ないような気がした。

「フェオ、僕はユドが犯人だと思ってない。それを証明してユドを助けたいんだ。ユドは君たちの仲間でしょう? 事件を起こす前のユドの様子をきかせてくれない?」

 エメザレの言葉に彼らは控えめにざわめいた。

「どういう風の吹き回しだよ?」
「うーん。端折って話すと昔々に僕を好きだって言ってくれたお礼かな」
「なんだよ、それ」

 フェオは納得できないというように僅かに首を傾げたが、それでも話し出した。

「ユドはペン入れ落としたって言ってたなぁ。なんでも大切などんぐりが入ったペン入れだって」
「どんぐり、か」

 エメザレが小さく言った。

「うん、サディーレが持ってるみたいだから、取りに行ってくるって。俺がついてってやろうかって聞いたら、いいって断って、一人で行ったんだ。いつもなら頼むよぅとか言うのにさ。そういえばあいつ、なんかこの頃変だったな。自暴自棄というか。たぶんもう死ぬんだと思ってたんだろうな」
「なんで死ぬんだよ。病気か?」

 エスラールが言うとフェオは首を振った。

「違うよ。遠征さ」
「死ぬわけないだろうが。俺たちは後方部隊だぞ。相当の間抜けでもなきゃ死ぬわけが……あ」

 言っている途中で気がついた。そう、ユドは最弱なのだ。相当の間抜けに該当する。場の全員はエスラールの沈黙に無言で深く頷いた。

「普通は後方の配置じゃ死なない。でもユドは自分で死ぬって思い込んでたんだろうな。この間、ロイヤルファミリーに対抗する策を考えないかって言い出して、そんな組織を作ろうって俺たちのこと誘ってきたんだ。死ぬ前に、なにかしたかったのかもな。だから俺は犯人はユドであってるんじゃないかって気がする。あいつ一人でそれを実行したんじゃないかと思う」

「その組織って反王家勢力か?」

 エスラールが聞くとフェオは驚いた顔をした。

「そうだよ。知ってたのか」
「それで、反王家勢力はどうなったんだよ?」

「結局どうなったのかは知らないけど、俺たちは断ったし、俺たち以外に誘えそうな奴もいないから実現はしてないだろ」

「なんでそこで諦めんだよ!」

 エスラールはつい怒鳴った。フェオはビビらなかったが、その他の面々は恐かったらしく、畏縮(いしゅく)して顔を強張らせた。

「なんでって、だって勝てるわけないだろう。相手はロイヤルファミリーだぞ。俺たちみたいな雑魚がいくら束になったって敵わないよ」

 フェオが言うと、彼らはそれに賛同するように一生懸命に猛烈に頷いた。そんなお粗末な彼らの姿が頭にきたエスラールは拳を握り締めた。

「お前ら、そんなんでどうする! 二号隊最弱で名高いユドですら、ロイヤルファミリーに抵抗しようとしたんだぞ! 今だって一人で命がけで、ある意味ロイヤルファミリーと戦ってんだぞ! ほんとにやる気があれば、死ぬ気でやれば、不可能なことなんて世の中滅多に存在しないんだ。恐れなんて情けない原因でぼんやりと諦めてんなよ! お前ら生きてんだから、死ぬまでちゃんと生きろよ! このばかちんがっっ!」

 彼らの奥深くに眠っているであろう鋭気を奮い立たせたくて言ったのだが、エスラールの熱い言葉は尚一層の静寂をもたらしただけだった。

 フェオ以外は泣きそうになっている。もちろん感動しているわけではないだろう。たぶん彼らはそれが暴力でなく感情であっても、強いという存在が恐いのだ。まるで小さい子供に怒ってしまったような気分だ。

 フェオだけはエスラールの言葉に耳を傾けていたようだが、すぐに呆れたような諦めたような顔で嘲笑った。

「意気込みはご立派だ。だけど世の中にはやってできる奴とそうでないのがいるんだよ。俺たちは駄目な奴なんだ。それに無駄だ。死ぬ気でも勝てないし、勝たなきゃ話なんてきいてくれない」

「じゃあもう俺が直談判してきてやるよ! 犠牲者になりたくないんだろ? 嫌だったら戦えよ!」

 エスラールはフェオの肩を掴んで揺さぶったが、フェオは迷惑そうな顔をしてエスラールの手をどかした。

「バカ言うなよ。いくらお前が強くったって、一対二十三じゃ勝ち目ないだろう。俺たちはどう考えても戦力外だしさ」

「僕も行くから二対二十三だよ」

 傍観気味だったエメザレが、閑古な湖に小石を投げるように入ってきた。

「……エメザレ」

 それがすごく救いのように聞こえて、エスラールの荒ぶる心意気はますます高まった。

「だから二対二十三でも無理だって。諦めろよ」

「でもさ、エメザレは一度シマ先輩に勝ってるよ。もしかしたらいけるんじゃない?」

 フェオの声の後ろから、優しすぎる顔の男が言った。

「勝算ならあるよ。君たちが協力してくれればの話だけど」
「勝算? 本当に?」

 彼らは最後の希望にでもしがみつくような顔でエメザレを見ている。エスラールもエメザレを見つめて言葉を待った。

「あるよ。ロイヤルファミリーに勝つのは無理だけど、シマ先輩だけなら倒せるかもしれない。王家を黙らせるには王様の首を捕ればいいのさ」

「なるほど。それならいけそうじゃん」

 エスラールはもう勝ったような気でフェオに笑いかけたが、フェオの表情は硬かった。

「でもシマ先輩、くそ強いんだぞ」

「そう。確かに僕ひとりでは無理だった。けどエスラールと二人なら、たぶん、すごい苦戦するかもしれないけど、勝てる可能性はあると思う。君たちがその他のロイヤルファミリーをひきつけてくれていれば、僕たちはシマ先輩に集中できる。問題は君たちがどの程度攻撃に耐えれるかどうかだ。最悪鬼ごっこみたいに逃げ回ってくれててもいいけど、もちろん捕まったらボコボコにされるのは覚悟してもらわないと」

「勝てる自信あんの?」

 フェオの言葉にエメザレは悲しそうに首を振った。

「わからない。シマ先輩、強いから。二人でも無理かもしれない」

「だって俺ら、負けたら悲惨も悲惨だぞ。お前らは一号隊だからいいだろうけど、こっちはそのことで、今後どんだけ惨めなことになるか……。負けたときのリスクが大きすぎる」

 悩んではいるようだが、踏ん切りがつかないらしい。なんとなくこういうところが駄目な気がする。

「僕、恐いよ。犠牲者になりたくないよ」

 やさしい顔の彼は目に涙を浮かべていた。

「まだお前って決まったわけじゃ……」

 フェオの慰めの言葉は力なかった。誰もそうとは言わないが、彼が次の犠牲者になることを、皆、感じ取っていたのだ。エスラールもなんと言えばいいのかわからず、黙り込んだ。まるで葬式のような空気になる。

「エメザレみたいな目に合ったら、僕死んじゃうよ」

その空間の残酷さに耐えられなくなったのか、彼は泣き出してしまった。

「死ぬなんて言うなよ!」

 エメザレの声が響いた。まるで自分の台詞を言われてしまったようで、エスラールは複雑な心境に陥った。エメザレがそんなことを言うとは思っていなかった。
エメザレの顔は驚くくらい恐い。いつもどこか諦観しているような美麗な目元は、明らかな怒りを携え、美しく歪んでいる。眼差しだけでも相当の威力がある。シマやサイシャーンの眼光を思い出した。

 優しい顔の彼はエメザレの怒鳴り声に恐怖を感じたらしく、一瞬引きつった顔をすると、パニックに陥ったように嗚咽を漏らして泣き叫んだ。
 エメザレは悪いと思ったのか、顔の表情を和らげ、今度は優しく言った。

「死ぬなんて言わないでよ。犯されたくらいじゃ、ひとは死なないよ」
「死ぬよ。死ぬよ。僕は、淫乱な君と違う」

 彼はもうわけがわからない、というくらいに泣きじゃくりながら必死に言った。絶望の果てに、敵味方関係なく捨て身で暴れまわる軟弱な狂戦士のようだった。本当は助けてほしいのに、自分の気持ちすら見失っているのだ。エメザレはいつもの諦めたような目で静かに彼を見ている。

「そんな言い方すんなよ」

 エスラールは言ったが、彼は泣き続けていて、おそらく耳に入っていない。

「もういいよ。ごめんね」

 エメザレがエスラールの腕を引っ張り、彼らに背を向けた。エスラールが彼らになにか言うのを恐れているのか、早く彼らから遠ざかりたいのか、エメザレは早足だった。

「ありがとう。エメザレ。今までありがとう」

 それはフェオの声だった。振り向くとフェオは彼につられたのか涙ぐんでいる。

「いいんだ。僕は強いから。君たちよりも、ずっとずっとずっと強いから。そんなの当たり前なんだ」

 エメザレは立ち止まると振り返り、とても穏やかな顔で微笑んだ。
 それは初めてしっかりと見えた、エメザレの姿だった。あの時のエスラールが見た、泥に埋まっているだけで、ちっとも汚れていないエメザレなのだと思った。

「ずるい。なんかお前、超かっこいい!」

 萌えたエスラールがたまらずにエメザレに抱きつくと、結構無慈悲にはたかれた。


◆◆◆

 結局、フェオたちからは、手掛かりになりそうなことは聞き出せなかった。後はサディーレの子分どもに話を聞くしかない。それで駄目なら今度こそ事件の解決は暗礁に乗り上げてしまう。エメザレの足取りは重い。あまりサディーレの子分と話したくないのかもしれない。

「犯人、やっぱりユドで合ってるんじゃないか? ユドは自分が死ぬと思って自暴自棄になってて、反王家勢力も結局作れなくて、憧れだけが膨れ上がった。そんな時に、大切などんぐりが入ったペン入れをサディーレに拾われてしまって、取り返しに行ったが返してもらえず、それがきっかけで今まで溜め込んできた感情が爆発して超人的なパワーを覚醒させサディーレを刺した。完璧じゃないか!」

 エスラールはもう考えるのが嫌になってきて、適当に言って納得した。

「日記はどこいったの」

 エメザレが呆れた顔をした。エメザレの顔も疲れている。

「自分でどこかに隠したんじゃないか? ほらミレーゼンに一度見つかったから、恥かしくて自分の部屋に置けなくなったのかもしれない」
「あるかもしれない」

 エメザレは立ち止まった。エスラールがどういうことだよ、と口を開く前にエメザレは「行こう」と言って全力で走り出した。

「どこへだ!」

 エスラールは必死にエメザレを追いかけ、毎度ながら聞いた。

「図書室! 木を隠すには森の中、本を隠すには図書室の中だ。サディーレは死ぬ直前に図書室にいたじゃないか」



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