top text

帝立オペレッタ15(静寂に眠るあの子)


「駄目。だめだめだめだめ。絶対駄目!」

 と言ったのはエスラールだ。だがミレーゼンはエスラールなど地上に存在しないかのごとく、エメザレの腰やら尻やら頬やら唇やらを撫で回して口説き始めた。

「お前のこと、すごく気に入ってるんだよ。どうせ男とやるなら顔は綺麗なほうがいいからな。もしお前が優しく抱かれるのが好きだって言うなら、優しくしてやってもいい。俺、結構本気だぞ」
「お前、ひどい!」

 思い切り身体目当てだが、それを隠そうともしないミレーゼンの神経が理解できない。エスラールはエメザレの代わりに頭を抱えて叫んだ。当のエメザレは特にこれといった表情も浮かべずに、ミレーゼンの口説き文句を一通り聞いてから、小さくため息をついた。

「わかった。いいよ。週一回、ミレーゼンの部屋に行くよ。優しくする必要はない。君の気が済むようにすればいい。それでどう?」
「ちょっと待て! なに勝手に決めてんだよ。そういう安売りはやめろよ」

 エメザレの清々しいほどの割り切った言動に、どうにも我慢できなくなったエスラールは絡みつくミレーゼンの手を振り解き、エメザレをこちら側に引き寄せた。

「なんでお前の許可が必要なんだよ。別に付き合ってるわけじゃないだろう? 週に一日ぐらいで文句言うなよ」

 エメザレを取られたミレーゼンは確かな怒りを含んだ声で言った。まったく、顔は美形なのに性格でだいぶ損をしている。

「そういう問題じゃないだろうが。お前、エメザレとやりたいだけじゃん! 好きでもないくせに、ただやりたいとか、エメザレに失礼だ」
「勘違いするなよ。俺はエメザレのことが好きだ。俺はエメザレを抱きたいし、俺のものにしたい。それが好きでないなら、一体どういうのが好きっていうんだよ?」
「エメザレに身体がついてなくても好きだって言えんのかよ」

 エスラールが言うと、ミレーゼンは静かに目を瞑った。想像をめぐらせているようだった。僅かな間の後で、ミレーゼンは閃いたように目を開けた。

「目と口が残っていれば事はなせる」
「そういう意味じゃねーよ! てゆーか、どんだけ変態なんだよ、お前。そんなこと言って恥かしくないのか。昨日、ミレベンゼがお前のこといい兄貴だって褒めてたんだぞ。あいつ絶対、お前が強くて頭が良くてロイヤルファミリーなのを自慢に思ってるよ。それなのに、やることばっか考えてて、お前、格好悪い! 変態早く治して、誰にでも誇れるような兄貴になれよ!」

 エスラールはミレーゼンを指差し、びしっと言い放った。

「ミレベンゼがそんなことを……」

 エスラールの台詞は、エスラール自身もびっくりするほどミレーゼンに効果をもたらした。ミレーゼンはまるで神の啓示でも受けたかのように目を見開き、身体を硬直させ、そして読んでいた本を手に取り、広げられた本に顔を埋めて挟み込むと、今度は心配になるくらいに小刻みに震え出した。どうやらものすごく喜んでいるらしい。

 こいつ、すんげーブラコン。
 エスラールは少々呆れながらも、喜び震えるミレーゼンを眺めた。ふと横を見るとエメザレが、死んだ害虫を見下すような、かなり冷ややかな眼差しでミレーゼンを眺めていて、なんだかミレーゼンが憐れになった。有能で美形なのに本当に残念な奴だ。

「わかった。協力してやるよ」

 喜びがやっと落ち着いたらしいミレーゼンは、きりっとした表情で顔を上げて言った。一応格好つけているつもりなのだろう。
 そんなミレーゼンに、エメザレは冷ややかな面持ちを崩さず、しかし穏やかに口を開いた。

「ぼくはサディーレについて、ほとんど知らない。サディーレの人物像をできるだけ詳しく聞かせて。できれば、きみなりの分析も合わせて」
「ふふ、本来ならば俺の分析は高くつくんだが、今回は特別だぞっ」

 ミレーゼンはウィンクした。相当テンションが上がっている。自分を見失いつつあり、そして格好のつけかたを間違えている。エスラールはそこはかとない痛ましさを感じて、生温かい目で見守った。

「そうだな、あいつはまず高慢だ。とにかくプライドと理想が高く、理想へ近付くためならなんでもする。そんな性格だからこそ、奴はロイヤルファミリーになれたんだろう。だが憐れなことに、実のところ大した能力は持っていない。奴は限界まで努力していた。だが、そこまで努力してもロイヤルファミリーでは下位だった。奴はそんな自分が許せず、努力していることを隠すために虚勢を張って余裕があるように見せかけていた。奴はまるで、まだ本気を出してません、というような戦い方をするんだ。お前も知ってんだろう?」

 ミレーゼンがエメザレに投げかけると、エメザレは、すごいわかる、とでもいうように何度も頷いた。

「うん。あの戦い方、結構ムカつくよね」
「おそらくあれが限界だったんだろう。ロイヤルファミリー外へやたらと当り散らしていたのは、強いことを誇示したいのと、能力のない自分への失望の鬱憤晴らしってところか。子分を多く持ちたがったのも、実力以上に見せ、己の虚栄心を満足させるためだ。そして子分には絶対に虚栄を見破られたくないから、けして心の内は明かさない。また、自分と同等の立場に誰一人置きたくはない、という高慢さから友達は作らない。奴は本音を誰にも言わなかったし、言えなかった」
「なんかそれ、ある意味で可哀想だし、それに辛そうだな」

 サディーレは自分と真逆なんじゃないかとエスラールは思った。
 エスラールは嘘をつけないし、誤魔化したりするのも苦手だ。弱点は隠せないので開けっぴろげにしてしまう。でも公にされている弱点というのは、大した弱点にはならないのだ。誰もに弱点を知られていると、自分でわかっているのだから、心構えは常にできている。むしろ隠そう隠そうと頑張るほど、その弱点がいかにくだらないことだったとしても、露呈したときの精神的ダメージがひどくなる。サディーレはそれの典型のような気がする。
プライドの高いひとは、エスラールのように自分を開け放っては生きられないのかもしれない。

「まったくだ。誰にも本音を言わないで生きるのはなかなか辛いことのようだ。あれだけワイルドさをかもし出しながらも、実は日記をつけていた。俺がそれを知ったのは偶然だが、そこには奴の恥かしい本音が書かれていたことだろう」
「へー。サディーレが日記か」

 エメザレが興味深げに言った。

「俺は一度だけ中身をちらっと読んだことがある。いつだったか、俺が読みたかった本をあいつが借りてたことがあって、その本を催促しに部屋に行ったんだ。あいつの日記帳、一見すると本に見えんだよ。結構な大きさがあって、分厚くてたいそう立派な製本だったから、てっきり本だと思って、なんの本読んでんだよ、とか言って机の上の日記帳を開いてみたらさぁ」

 いったん言葉を区切ると、ミレーゼンは根性の悪そうな顔を隠すことなく、肩を震わせて笑い出した。

「開いてみたらなんだよ。早く教えろよ」
「あいつ、あいつ、あの顔で日記に女の名前つけて愛を語ってたんだぜ。ちょー笑えるだろ。はっひゃっひゃっひゃっひゃ」

 ミレーゼンは息が苦しそうなほどに笑いながら言った。

「そんなに笑うなよ。祟られるぞ」

 サディーレの顔がどんななのかは知らないが、日記に女の名前をつけているなんて、死んでもバレたくなかったに違いない。こんなふうに笑い話にされしまうとはさぞかし無念だろう。今ここでサディーレが生きていたら、自殺か憤死していてもおかしくない。
 ミレーゼンが呪われないよう、エスラールはサディーレの安らかなる死を願ってやった。

「ところでサディーレは、そんなたいそうな日記帳をどこで手に入れたんだろう」

 エメザレが首を傾げた。
 確かに不思議だ。ガルデンでは手に入るものがかなり限られている。ガルデンから与えられるものは基本的には平等で同じものであり、そのほとんどは必需品だ。特別な所有物は、捨てられる時に親が持たせてくれた忘れ形見を持っている奴がいる、というくらいで、普通は皆同じものしか持っていない。

「ああ、あの日記帳は、一年だか前にボラビン河に遠征行ったとき、活躍したってことで功労の品として現地の指揮官から貰ったのさ。指揮官の息子を偶然助けたんだ。あいつにとっては誇りの日記帳だっただろうな」
「そんなことあるのか」

 自分だけが持っている品というのは、憧れる。エスラールは少し羨ましかった。

「あるさ。後期部隊になれば結構色々貰えるって聞いたぞ」
「あとはなにか知ってることは?」

 エメザレは問い詰めるような口調で言った。

「知ってることっつってもなぁ。事件の日に図書室にいたところを見たが、あいつはほとんど毎日図書室にいるしな。あとは成績が良くなかったってことくらいだ」
「うん。いつもすれすれの成績でロイヤルファミリーに入ってたよね。あれ、わざとじゃなかったんだね。わざとだって、ことあるごとにアピールしてたけど」
「本気じゃないアピールはあいつの十八番だ」

 ミレーゼンは鼻で笑った。

「もしユドが犯人でないなら、サディーレを殺したのは誰だと思う?」

 エメザレが問うと、ミレーゼンは考え込むように押し黙り、しばらくして口を開いた。

「わからない。思い当たらない。確かに奴の態度は横暴だった。間違っても優しいとは言えなかった。でもそれだけなんだよな。色んな奴らにムカつかれてはいただろうが、誰かに殺意を抱かれるほど大物じゃなかった。だから俺は、殺意とは関係なく殺したんじゃないかと思う。なにか目的があって、そのために殺した」
「その目的とは?」
「さぁ。目的を推測するには情報が乏しすぎる。だが俺はその日記帳のことが気になっている」
「日記か。それが読めれば、なにかわかりそうだな」

 エスラールは呟いた。

「でも無理だよ。サディーレの部屋にあったものは全部押収されたらしい。部屋の中は今なにもないよ」
「それもそうだよな」

 せっかく手掛かりになりそうなものを見つけたのに、早々暗礁に乗り上げた。エスラールはエメザレと見つめあい、お互い深い息をついた。が、エメザレはなにか考えついたのか、慌てて何かを言おうとした。

「そういえばエメザレ、俺もひとつ聞きたいことがある」

 しかし、その前にミレーゼンが割って入った。まるで今までずっと機会を伺っていたかのようなタイミングだった。

「なに?」
「メルベロット」

 ミレーゼンがその言葉を口にした瞬間、エメザレの表情が固まったように見えた。

「お前、あいつとなにがあった?」
「別に、なにも。話したことないの知ってるでしょ」

 エメザレの表情はいつもの飄々としたものになっていたが、あまり余裕が感じられない。警戒しているのだと思った。

「知ってる。が、メルベロットの名前を出すと、お前、微妙に緊張したような表情になるよな。あいつの自殺と、お前がシマ先輩のところへ戻ってきたのはなにか関係があるのか?」
「どうかな。じゃあねミレーゼン。助かった」

 エメザレはミレーゼンから目を逸らした。ミレーゼンはひとの目を見て心を読むのだろうか。エメザレは心の中身を見られたくないとでもいうように、ミレーゼンに背を向けた。

「行こう、エスラール」
 エメザレはいつの間にかエスラールの手を握っていた。おや、と思っていると強く引っ張られた。

「ふん。まあいい。寂しくなったらいつでも俺のとこに来いよ。可愛がってやる」
「早く変態治せよ」
 エスラールは精一杯の善意を込めて、残念なイケメンに言った。

 
 エメザレはしばらくエスラールの手を放さなかった。恥かしいと思わなくもなかったが、まるで小さな子供が心細くて、誰かの手を握っていないと耐えられないというような、頑なな握り方だったので、放すに放せず、半分手を引かれるようにしながらも、そのまま手を繋いでいた。

エメザレは黙々と歩いている。どこに向かっているのかわからないが、おそらく二号寮だ。外廊下に出る途中に何人かとすれ違った。手を繋いでいるところを見られてしまったが、べつに嫌ではなかったし、なにも言われることもなかった。

「ねぇ、メルベロットって?」

 聞いてはいけないことなのかもしれないと思いつつも、エスラールは沈黙を破って聞いた。

「シグリオスタの伝説の美少年だよ。死んじゃったけど」

 エメザレの声は案外明るかった。エメザレはエスラールの手をやっと放して、思いを馳せるように上を向いた。

「へぇ。エメザレより美少年なの?」
「僕は平凡な顔だよ」
「嫌味かよ。全世界の平凡に謝れ」

 エスラールは憐れな怒りを感じたて言ったが、エメザレは本気でだったようだ。エメザレは妙に思いつめたような顔をして、大きな息を吐いた。

「メルベロットは、本当に綺麗だった。女の子みたいだった。僕もあんな顔に生まれてきたかったな」
「エメザレでもそんなこと思うんだ」

 なんだか意外だ。エメザレは誰がどこから見ても美しいし、並な顔立ちのエスラールからしてみれば、それ以上を望む必要はどこにもないように思えた。というか、エメザレの顔立ちで納得しないとなると、自分の顔はどれだけ不細工に見えているんだろうかと心配になった。

「僕は自分の顔が嫌いなんだよ。男っぽいから」
「そう? とくに男っぽい感じはしないよ。でもいいじゃん。男っぽくても。エメザレ男なんだし」

 エスラールはエメザレの顔をしげしげと眺めてから言った。どういうのが女っぽいのか、女の顔を間近で見たことがないエスラールにはわからなかったが、エメザレの顔が男っぽいとは思わなかった。少なくとも男性と形容するのには違和感がある。顔も身体もまだまだ大人には程遠い。肌もつやつやしていて、全体的に繊細な印象で、始まったばかりの朝のように瑞々しい。美しい少年という言葉がやはり一番相応しい。

 これから、大人になり男性になるわけだが、この輝かしい容姿が衰えるのはずっと先のことだ。きっと美しい青年になるだろうし、壮年になってもその頃の片鱗はどこかに残るはずだ。男っぽくなったからといって、基本的な造形が変わるわけではない。

「そうだよね。僕もそう思うよ」

 エメザレは哀しそうに笑った。

「次はどこ行くの」 
「内偵のところへ行く」
「ちょ、え、内偵? 内偵って反王家勢力を探ってる奴のこと?」

 内偵を知っているとは聞いていない。エスラールは驚いて聞いた。

「それ以外に誰がいるのさ」
「誰か知ってるの?」
「知ってるというか、わかったんだよ」
「どうやって!?」
「いや、あれ、サイシャーン先輩の話聞けば、二号隊だったら誰でも内偵は誰かすぐわかったと思うよ。だって何度も総監に呼び出されてる奴、一人しかいないもん。事情聴取にしても、毎日何度も呼ばれてるから、少し変だなと思ってたんだ」

 エメザレは自身の言葉に納得するように、何度か頷きながら言った。

「で、誰?」
「月の男ってやつだよ」
「月の男?」

 エスラールはもちろん知らない。名前も聞いたことがなかった。

「いつも月を見て祈ってるからそんなあだ名がついたんだよ。僕は月男くんって呼んでるけど。そいつが内偵だよ。同時に事件の第一発見者であり、そして押収品の日記帳を読めそうな立場にいる唯一の人物だ」

 エメザレは、さきほどのエスラールを真似るように、エスラールをびしっと指差した。


前へ 次へ


text top

- ナノ -