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帝立オペレッタ12(半透明の回顧)


 エスラールは半分もうろうとしながら、エメザレを抱いて部屋に戻った。裸のエメザレを抱いて鼻血を垂れ流し、歩く姿を目撃されるのは是非とも遠慮したかったので、人目を避け、大回りして帰ってきたのもあり、激しく疲れ果てた。

 ベッドにエメザレを寝かせようとしたが、エメザレはいつの間にかエスラールの寝間着をしっかり掴んでいて放さなかった。

「エメザレ、放せよ」

 エスラールは言ったが、エメザレは離れない。寝間着を握り締めたまま深い眠りについているようだ。無理に引き剥がすのも、なんだか悪い気がして、エスラールはエメザレを抱いたままベッドに腰かけた。よく見るとエメザレの胸付近に鼻血が垂れている。エスラールが血を拭おうと胸を触るとエメザレは僅かに身体を震わせた。

「なにもしないよ……」

 エスラールは血を拭うのやめて、エメザレを抱きしめた。それが一番いいような気がしたからだ。
 誰がエメザレを壊したのだろうか。なにがエメザレをこうさせたのだろうか。エスラールはエメザレの頭を静かに撫でながら考えた。

 しばらくして、足音が聞こえてきた。考えながら微妙に寝ていたらしい。足音でふと我に返り、耳を済ませた。足音は徐々に大きくなり、やがてエスラールの部屋の前で止まった。緊張が走る。もう遅い時間だ。来るとすればサイシャーンかヴィゼルか――と思いついたところでエスラールは状況の危なさに気付いた。だが手遅れだ。
 ノックもなくドアが開いた。

「おひぃぃぃ!!」

 エスラールはどうしようもなく変な声をあげた。

「よお、偽善童貞」

 響いたのはヴィゼルでもサイシャーンの声でもなかった。聞き馴染みのない声だったが、台詞でそれがミレベンゼだとわかった。

「なんだお前か。なにしに来たんだよ」

 妙な悲鳴を聞かれたのは少々恥かしいが最悪の事態は避けられた。エスラールは安堵のため息を吐いた。

「エメザレの寝間着と制服、届けてこいって。ないと困るだろう。さすがに素っ裸で訓練はなぁ」

 それもそうだ。当初の目的を完全に忘却していた。ミレベンゼが来なければ、おそらく明日の朝まで気が付かなかっただろう。
 ミレベンゼは部屋の中に入ってきて、エメザレの制服と寝間着を半分投げるようにしてベッドの上に置いた。それからエスラールとエメザレをまじまじと眺め、首を傾げた。

「これからやる気か?」
「やらねーよ。ばか」
「じゃあなんで抱いてんだよ。しかも鼻血出して」
「エメザレが俺の服を放さないんだよ。鼻血は殴られた」
「エメザレは寝てんのかよ?」

 ミレベンゼはエメザレの顔を覗き込んだ。エスラールが殴られたということは完全にスルーされている。

「寝てる」

 エメザレはまだエスラールの寝間着を掴んでいたが、ずっと膝に乗せて抱いていたので足が痺れてきた。エスラールはそっとエメザレをベッドに寝かせ、エメザレの指を一本一本丁寧に開いて寝間着を離させた。

「そいつ、あんたのこと好きなんじゃないの?」

 ミレベンゼは根性の悪そうな顔でにやけた。

「す、好き?」

 自覚できるほど、心臓がにわかに高鳴った。

「もしエメザレに好きだって言われたらあんたどうする?」
「だって昨日出会ったばっかだぞ」
「そんなん関係ねーよ。そんだけ親切にしてもらって世話焼いて助けてもらって、好きにならないほうが変じゃね?」
「……え」

 エメザレが自分を好きになるとは考えてもみなかった。エスラールはベッドの中のエメザレを見た。エメザレはムカつくほど可愛い顔で安らかにお眠りになっている。
エスラールはエメザレが好きではあるが、愛しているというのとはなにか違う気がする。むしろ愛というならヴィゼルのほうが近かった。

 エメザレに優しくしたかっただけなんだろうと思った。優しくされるのは嬉しくて、幸せな気持ちになることを、どうしてもエメザレに気付いてほしかったのだ。エメザレに泣かないでほしいし、傷付かないでほしい。幸せになってほしい。そのためなら、自分が犠牲になっても特に構わない。
 そういう気持ちは愛なんだろうか。エスラールは頭を抱えたい気分になった。

「二号寮は大パニックだってのに、あんたはお気楽だな」
「なんでパニックなんだよ?」

 エスラールが言うと、ミレベンゼは呆れた顔をしてため息を吐いた。

「エメザレが犠牲者から外されたから、新しい犠牲者が選ばれるんだよ。それが誰になるのかって話」
「新しい犠牲者、か」

 シマは先ほど中間能力検査の結果が出しだい再開すると言っていた。中間能力検査の結果が出るのは予定では三日後だが、安息の三日間とはいかないらしい。妙にしんみりして、なんとなく鼻血を拭ったが半分乾いていた。

「ユドがいたら間違いなくユドだったんだけどな。俺も掃除係してるし。今度は誰になるかな」
「え、掃除係って、そんなに偉いのか?」
「偉くはないけど、犠牲者の候補からは除外される。俺、睫毛長いんだよ。ほら」

 ミレベンゼが長い前髪を上げると、睫毛の長い驚くほど綺麗な瞳が出てきた。目を隠しているときとは、かなり印象が違う。目を見せるのが恥かしいのか、ミレベンゼはまたすぐに前髪を下ろした。

「お前、なかなか美形だったんだな……」
「俺、成績よくないし、目がこんなんだから、兄貴がお前危ないよって。兄貴、ロイヤルファミリーなんだ。俺の能力、全部兄貴に吸い取られたらしくて、顔は似てるんだけど、頭も身体能力も雲泥の差でさ。だから兄貴が心配して、半強制的に俺を掃除係につけたんだよ。おかげで周囲の奴からは妬まれてるけどな」

 淡々とした口調ではあったが、ミレーゼンに対する自慢や愛情がはっきりと伝わってきた。愛国の息子たちには普通、家族はいない。兄弟揃って捨てられたのは不幸だが、でもとても救いがあると思った。きっと、大切な存在なのだろう。なんだがミレベンゼが羨ましかった。

「お前の兄貴って、もしかしてミレーゼン?」

 エスラールが問うと、ミレベンゼは意外そうな顔をした、

「あれ、知ってんのか? あ、宴会の時に会ったのか。そう、そいつが俺の兄貴だよ。喧嘩っ早くて、変な性癖持ってるけど、いい兄貴なんだぞ。ちょっと鬱陶しいけどな」

 ミレベンゼは、エスラールがミレーゼンを知っていたことが嬉しかったらしく、自慢げに言った。

「じゃ、俺帰るわ。首、早く治せよ。変だぞ」
「あ、ねえ、シマ先輩のあの顔、エメザレがやったって本当?」

 帰ろうとしたミレベンゼを引き止め、エスラールは聞いた。

「そうだよ。あれも未だによくわからない事件だけど」
「よくわからないって、なにが?」

 ミレベンゼは質問に答えず、寝ているエメザレをちらと見た。

「じゃ、外で話そうよ」

 エスラールが言うとミレベンゼは軽く頷いた。
 空には月が輝いていた。そういえば昨日、エメザレと月を見ようと思っていたのだ、とを思い出した。
 夜の空気は冷たく、ちょうどいいとは言いがたい。エスラールは身震いしたが、頭はすっきりしてきた。

「エメザレはさ、昔っから可哀想なくらい可愛かったからさ、まぁ色々とちょっかい出されてたんだけど、だいたいそういう目に合い続けてきた奴って、生きる気力に乏しくなるわけよ」

 ミレベンゼは月を眺めながら話し出した。月を見ていると、なんとなく安らいで清らかな気分になるのは、月の神を崇拝するエクアフ種族に共通する感覚なのかもしれない。

「想像はできるよ」
「エメザレもその典型で、途中までは死に掛けてたんだ。けんかはいつまでも弱いし、年下にだって負けてたんだぜ。おねしょも直んねーしさ。文字を書けるようになったのも遅かったし、勉強が出来るとはお世辞にも言えなかった。頑張る気力がなかったんだろうな。俺も半分くらいは理解できるよ。まあ、俺の場合は兄貴が頑張ってくれたからな。そんなに苦労はしなかったけど。で、よくちょっかい出してたのがシマ先輩のグループとサイシャーン先輩のグループで――」

「まて、サイシャーンってうちの総隊長か?」

 まさかサイシャーンの名が出てくるとは思っても見なかった。エメザレはミレベンゼの言葉を遮って、肩を掴んだ。

「そうか、今はサイシャーン先輩はそっちの総隊長だったんだな」

 ミレベンゼはエスラールの驚きっぷりに驚いたらしく、ぎょっとした顔をした。

「それ本当か? 総隊長がエメザレにちょっかい? あんなにいいひとが?」

「いいひと? どこが? 俺はぶっちゃけシマ先輩より恐れてたぞ。今はシマ先輩のほうが恐いけど、というかサイシャーン先輩は隊が違うからあれだけどな、当時はシマグループとサイシャーングループっていったら泣く子も黙る強大巨悪の二大勢力だったんだぞ」

「総隊長は昔、エメザレをいじめていた……」

 顔だけならば、確かに巨悪の二大勢力といわれても納得できた。サイシャーンのあの恐ろしく乏しい表情筋は昔の名残ということなのだろうか。エスラールがサイシャーンと会ったときには、既にサイシャーンは涙が出るほど面倒見のいい、厳しくも優しい先輩だった。こわもてな顔面にも慣れてしまって、どう頑張ってもエメザレをいじめていたというのが信じられない。

「そう。でも加担って言ってもサイシャーン先輩は高みの見物をするタイプだから、直接手を下してなかったけどな。それにサイシャーン先輩のほうのグループはもう一人の――名前が思い出せないな。一人いたんだよ。すげー顔が綺麗な奴が。もう、本当にこんな顔の奴いんのか、ってくらいのが。なんて名前だったかな……。とにかく、そっちのほうがお気に入りだったらしい。シグリオスタでは、美形を飼ってるグループが偉いみたいな迷惑な風習があったんだよ。それで、もれなくエメザレもその風習に呑まれていたってわけだ」

「それが嫌でエメザレはめっちゃくちゃ強くなったってことか。なら、なんでガルデンに来て犠牲者に立候補なんてしたんだろう」

「そう、そこなんだよ。そこがわからないから気味が悪いんだ。苛められるのが嫌で強くなったってとこまでは理解できる。なんのきっかけがあったのかは知らねーけど、いや理由なんてないのかもしれないけど、エメザレはシマ先輩から逃げようとしたんだ。あいつ、教師と寝始めたんだよ。特別に時間外授業受けさせてもらったりとか、できるだけ守ってもらえるように、色んな教師とやってたな。なんか死の物狂いで色んな能力を吸収してたように見えた。明らかに抵抗し始めたけど、周りはそれほど気に留めてなかったみたいだ。俺は気付いたけど。たぶん誰もエメザレがあそこまで強くなると思ってなかったんだろうな。俺もそう思ってた」

「でも強くなった」

 エスラールの言葉に、ミレベンゼは大きく頷いた。

「そんであの日、確か昼休みだったかな、エメザレはシマ先輩を殴った。あれはひどかったな。エメザレも殴られたみたいで血は出てたけど、シマ先輩はもう駄目なんじゃないかって思うほどの出血だった。たぶん殺す気だったんじゃないかな。そりゃずっと惨めな思いをさせられてたからな。あの時はエメザレとシマ先輩が殴り合って片方が重傷とだけ聞いたから、俺はてっきり怪我したのはエメザレだと思ったよ。まさかあのエメザレが勝つなんて……。シマ先輩だけじゃなくて、シマ先輩の取り巻きも全員ぶっ倒してたんだぜ。その惨憺たる光景の凄まじさときたらもう、忘れられないよ」

「なんか想像できないな。エメザレっておとなしそうに見えるし。でも実際は強いんだよな。俺もぶん投げられたよ」

 エスラールは鼻をさすった。鈍い痛みが走る。二日連続で鼻血を出すはめになるとは本当についていない。

「そのおとなしそうに見えるところが余計に恐ろしいよ。俺は。その日、模擬戦闘の訓練があって、かかとに鉄板がくっついてるブーツを履いてたんだよ。エメザレはその靴でシマ先輩のこと何度も踏みつけたのさ。ただでさえ顔面をぼこぼこに殴ったのに、その上から鉄板ブーツだぜ」

「それがシマ先輩のあの傷跡なのか」

 今さっき見た、シマの顔を思い出し、身体中が震えるような感覚に襲われた。エメザレはシマのことが、本当に嫌だったのだろう。あの傷は生半可な気持ちで付けられるようなものではない。ミレベンゼの言うとおり、殺そうと思っていたのかもしれない。

「そ。俺、エメザレのことそれまでなめてたけど、その一件から恐くなった。そんなことしそうな奴じゃなかったから余計に。だからエメザレって、皆からちょっと引かれてるんだよ。何するかわかんねーからな。そういう意味ではシマ先輩と微妙に似てるとこあるよな。で、それからエメザレもシマ先輩から遠ざかって、自分の力で手に入れた自由ってやつを満喫してたんだと思うんだが――」

 そこでミレベンゼは声をひそめた。

「奇妙なのはここからだ。エメザレは半年後、またシマ先輩の下に戻ってきたんだよ」
「それってつまり、シマ先輩に自らいじめられるようになったってこと?」

「そう、まあ平たくいえば自ら性奴隷に成り下がったって感じか。その理由は誰も知らないし、わからない。あんなに努力して自由になったっていうのに。頭がいかれたとしか思えねーだろ? 今じゃ、シマ先輩の愛の欠片もなさそうな容赦ない抱き方が恋しくなって戻ってきた、ってことになってるけどな。エメザレがおかしくなったの、その頃からだ。想像できないような、ひどいことされたのかもな」

「想像もできないほどひどいこと、か。なんだろうな、それ」
「さぁ。でもシマ先輩ならそういうことができそうな気がする」

 ミレベンゼが呟くように言った。もっともだと思った。シマならば簡単にひとの心を壊せるだろう。なにも言わずとも、ことによればなにもせずとも、あの顔でじっと見つめるだけで相手の精神を破壊できるかもしれない。

「エメザレとシマ先輩は付き合ってたの?」
「いや、違うと思う。傍目から見るとそんなふうにも見えるけど、違うらしい。あくまでも隷属だよ」

「ところでお前、ずいぶんエメザレのことを見てたんだな」
「あ、ああ。仲間意識とは違うが、同じ弱者としてエメザレの行動が気になってたんだよ。だから遠目で見てたんだ」

 いくぶん、ばつが悪そうにミレベンゼは言った。

「助けようとか、一緒に協力してなんとかしようとか、思わなかったのかよ」
「そういう気持ちとは全然別だ。こっちは自分のことで手一杯なんだよ。あんたにはわかんないかな、そういうの。あんたは強そうだもんな」

 理解してもらえないだろうと思っているのだろうか。ミレベンゼは諦めたように息を吐いて言ってから、最後に鼻で笑った。

「俺だって結構手一杯だぞ。この顔面見ろよ」
「本当にひどい面だな。あんた」

 失礼なことに、ミレベンゼはエスラールの顔を見て噴出した。

「笑うなよ」
「悪い悪い。じゃ、今度こそ帰るよ」
「教えてくれてありがとう。お前、案外いい奴だな」
「俺はあんたのそういうキモイところが嫌いだ」

 ミレベンゼは減らず口を叩いて、にんまり笑うと帰っていった。
 部屋に戻るとエスラールはベッドにダイブした。もうくたくただ。
 急速に薄れいく意識の中で、エメザレに黙って過去をほじくってしまったのは、いけなかったと思った。本人に直接聞けばよかったと少し後悔した。


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