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帝立オペレッタ10(愛国の娘)※エロ注意


 月の光がひっそりと照らす廊下をエメザレは歩いていた。静寂の時間帯には早いようだ。夜更かしを楽しみたい連中は、まだサロンに集っているらしい。一階に下りると大勢の楽しそうな声が聞こえてきた。

 二号寮へ行くには野外訓練場を通るのが一番早い。だが野外訓練場に出るにはサロンを抜けねばならなかった。今、面倒ごとに巻き込まれるのは願い下げだ。エメザレは各棟を繋ぐ渡り廊下から大回りをすることにした。

 西棟は一号寮と違い、静寂そのものだ。石造りの廊下は歩くたびに硬い音を響かせる。けして温かみのある音ではないが、静かな廊下で僅かに反響する無機質な音が、エメザレはとても好きだった。

 西棟には厳かな雰囲気がある。どでかい礼拝施設が置かれているせいだ。
 クウェージアでは夜の神、エルドを崇拝しエルド教を国教にしていた。日の沈む西側は神聖な方角とされているので、礼拝施設は絶対に西に置かれることになっている。西棟の半分以上を礼拝施設が占めており、千人がかなり余裕を持って座れる広さがあるのだが、そんな余分があるならば食堂をもっと広げてほしいといつも思う。

 左手に現れた礼拝施設の表の壁は真っ白く、黒を基調とするガルデンの内装の中では明らかに異質だった。エルド教において、もっとも神聖な時間帯は夜の十二時から二時にかけてである。ガルデンの中でも熱心にエルド教を信仰しているひとびとが、いるにはいた。一日の訓練の終わりに強制礼拝の時間があるので、普通はそれが終れば礼拝施設には立ち寄らないが、エルドにべったりの奴らは十二時から二時の間にもう一度やってきて、エルドの像の前で祈りの言葉をぶつぶつ唱えながら頭を下げるのだ。

 開け放たれた扉からは、礼拝施設の中の様子が見えた。十メートル弱の巨大なエルド像が、穏やかな微笑みを湛えて、ひざまずく二十人ほどの崇拝者たちを見下しながら、無償の愛とやらを振りまいていた。内部はとても夜とは思えないほど燦々(さんさん)としていて、数え切れないほどの、絵柄がついた値が張りそうな優美なロウソクで照らされていた。

 クウェージアでは山のようにロウソクと油がいる。重要な儀式も祭りも、催し物は全て夜に行わなければならないからだ。闇を照らすのには灯がいる。もちろん無駄に金がかかる。昼の神を崇拝している国では、夜明けと共に起き、日の入りと共に寝る、と聞く。そちらのほうが理にかなっているし無駄がない。クウェージアの、貧困の原因の一つは灯代にあるような気がしてならないのだが、信仰というものはときに合理性を無視する。

 エメザレは施設内には入らなかったが、立ち止まり、しばらくエルドと崇拝者たちを眺めた。

 エメザレはこのエルドという神が好きではなかった。信仰するひとびとも好きではない。というか、彼らのほうがエメザレを嫌うのだ。エルド教は同性愛を嫌悪していた。

 エスラールの楽しげな語彙を借りていうなら、エメザレは正真正銘、絶対的、正確無比な純度百パーセントの同性愛者だった。男しかいない環境で育ったからではない。環境も経験も関係ない。先天的にそうだったのだ。

 物心がつくまえから、なんとなく女の気分で生きてきた。男女の難しい違いはわからない。それでも昔から自分が異質であることだけは理解できた。異質であるエメザレは常に孤独だったが、自分を偽ろうとも、分かち合あおうとも、理解されようともしなかった。説明も弁解もしなかった。

 シグリオスタでは、誰かの理解を得ようと、自分の心情を喚き散らすのは、弱い奴がすることだと思われていた。もし、自分の考えを誇示したいのならば、口で言う前に力を行使しなくてはならなかった。暴力でねじ伏せ勝利してから、初めて勝利者はものを言う権利を与えられるのだ。だからみんな、自分の弱さを露呈するような愚かなことはしたがらない。泣いても誰も同情などしてくれない。強くならない限り、誰も話しなんて聞いてくれない。

 エメザレは自分という存在に疑問を感じながらも、一人で黙っているしかなかった。

 女の気分で生きているらしいと、しっかり気がついたのは十二歳のときだった。唯一の友人がエメザレに教えてくれた。

 自覚したからといって、エメザレは特に悩まなかった。なぜならエメザレの周囲はすでに、エメザレを女性化して見ていたからだ。状況としてはなにも変わらなかった。
 変わったのは、心の対応だった。

 よく、初めての相手は誰なのかと聞かれるのだが、本当に答えようがない。まず、なにをもって『初めて』とするのかがわからない。尻に入れられることが『初めて』とするなら、気絶するくらい痛かったことだけは覚えている。確か、十歳のときのことだ。相手は不明だ。複数で後ろから襲ってきて、エメザレに目隠しをしたので、彼らの正体は謎のままだった。

 ペニスをしゃぶるのが『初めて』ならば、もっと昔に遡らねばならない。オルガズムに達することが、とするならそれこそ曖昧で、たぶんいくら考えても正確な答えは出てこない。

 なんにせよ、自覚する前まではそれらの行為に、不快以外の感情を抱くことはほとんどなかった。気持ちが悪くて、痛くて不潔で不道徳で、嫌で嫌で仕方なかった。自分をそんな目に合わせるひとびとを強烈に憎悪して、殺意すら抱いていた。

 だが、自覚した時から、気持ちが変わった。相変わらず、嫌ではあったが、確実に嬉しいという気持ちが芽生えた。女のように扱ってくれて嬉しいという気持ちだ。それは心のほんの片隅に生まれた小さなものだったが、確かにはっきりと認識できた。好きでもない男とやっても、どこかに嬉しいという気持ちがあるのなら、それは淫売であっているだろう。だからエメザレはあえて否定せずに、それどころか、むしろ認めてきたのだ。

 不条理ではあると思う。しかし、それでもエメザレは同性愛がはびこる愛国の息子たちの世界を愛していた。エルド教が絶対的な権力を持っている、この国、クウェージアでは同性愛者はことごとく排除される。こんなふうに毎日のように狂乱に明け暮れていたら、最悪、処刑台に送られても文句は言えない。クウェージアの中で、唯一同性愛がまかり通っている場所は、愛国の息子たちが住むこの場所だけだった。

 シグリオスタのとある教師は、エメザレの身体を弄りながら呪いのように優しい言葉を耳元に押し付けて、クウェージアのことと、同性愛者たちの悲しい末路の歴史を教えてくれた。覚える気もなかったので、もう名前は忘れてしまったが、ことが終わって気が済むと、その教師はまるでエメザレを慰めるみたいな口ぶりで「君はとても幸せで恵まれたひとなんだよ」と言っていた。きっとあの教師は、エメザレの先天的な性癖を見抜いていたのだろう。

 彼の言葉を鵜呑みにして信じたわけではない。しかし、シグリオスタの外の状況がわかればわかるほど、彼の言っていることはあっているように思えてきた。男を愛してはいけない世界で生きるより、いろんな男に犯される世界の方がずっと幸せなのではないかと思った。

 エメザレは、ここはもっとも自分に適切な居場所だと信じていた。不幸ではない。もっとも自分が自分らしく生きられる聖域なのだ。嘆くことではないのだ。

 こんな目に合って、毎日の苦痛と屈辱と蔑みを味わって、それでもガルデンを好きだと言っていられるような人間は、おそらく自分しかいないだろう。エメザレはそれをわかっていた。これは才能なのだ。どんな苦痛にでも耐えられる才能だ。苦痛を愛せる才能だ。

 この心情を、誰かに言っても、にわかには信じないだろう。理解も得られない。また誇らしげに言うことでもないだろう。

 ゆえに誰にも告白しないのだが、エメザレは愛していた。シグリオスタも、ガルデンも、二号隊も、全て愛していた。


 けれども夢を見てしまうのだ。愚かな、世間知らずの娘のような甘い夢を。
 いつか、誰か、自分を救ってくれて愛してくれて、優しく抱いてくれるひとに出会いたい。女の代わりではなくて、女性的な自分そのものを好きになってくれるひとと、ずっとずっと一緒にいたい。

 ふと、さっき蹴り倒してきたエスラールの顔が頭をよぎった。そんなことを考えてはいけない。エスラールの優しさに負けてはいけない。あの雄大な優しさに身を委ねてしまったら、二度と一人で立っていられなくなる。彼を自分の人生や価値観に巻き込んではいけない。彼は全くの違う次元に生きている。自分と価値観を共有すれば、彼の美しさは失われて、いずれ破綻してしまうだろう。安っぽい夢は一人で見ていればいいのだ。きっと高貴なるエルドは、そんな夢を見ている自分を笑うだろう。

「ユド」

 エメザレは呟いた。

「僕が助けてあげる」

 エルドの微笑みは、エメザレにとって蔑みにしか感じられなかった。エルドはけしてエメザレを愛さないだろう。同性愛者である限り、恩恵も与えないだろう。悔い改めない者を赦したりしないだろう。

 だからエメザレはこのエルドという神が好きではなかった。

 エルド崇拝者の一人がエメザレに気付いて、疎ましそうな顔をした。その、あまりにわかりやすい嫌悪の表情にエメザレは我に返り、エルド像と崇拝者たちに向かって少しだけ微笑むと、二号寮へと歩き出した。


◆◆◆

 二号寮の空気はいつも陰鬱だ。二号寮にいた時からそう感じていたが、一号寮を見てからはますます陰鬱だと思うようになった。一号寮は南にあり、二号寮は北にある。そんな理由で二号寮は他より少し寒いのかもしれない。だが、それ以外の理由もある気がしてならなかった。この寂寞(せきばく)とした、静かで冷たく厳しい空気は、二号隊の一人一人から発せられている、不満や怒りといった、負の実体のように思えて仕方がない。

 二号寮は静かだったが、耳を澄ますと各部屋の中からかすかな笑い声や話し声が聞こえてくる。廊下に人影はなくとも、みんなまだ起きていた。

 二号隊には一号隊のように大勢で集まる習慣がない。三、四人程度の小グループがいくつもあり、グループ同士が接触することはあまりなかった。自由時間は適当なメンバーの部屋に集まって、ささやかな歓談をするのだ。

 サロンへ行く奴はめったにいない。サロンはロイヤルファミリーの領域だ。二号隊という国の真ん中に聳える王家の城だ。遊びに行くところではない。ロイヤルファミリーに、なにかしらの用がない限り、誰もサロンには立ち入らなかった。

 サロンにつくとランタンの真下で、歪(いびつ)な輪を描くようにして、二十人ほどのロイヤルファミリーが集っていた。内容は聞き取れないが、石床に座り込んで談笑している。だが、一号寮で見かけたような覇気はない。

 ランタンの灯が当たらない、中央よりずっと端のほうにシマがいた。サロンの中に一脚だけある椅子に腰掛けている。通称で玉座と呼ばれる椅子だ。いつからそこにあるのかは誰も知らない。ずっと前から二号寮のサロンに置かれていた。

 シマはまるで中央に集っているロイヤルファミリーを監視でもしているかのように、黙って中央を見ている。シマの周りにはシマに次ぐ上位の三人が立っていたが、シマとは違い、なにか話しながら笑っていた。本来ならば、エメザレはそこに立っているはずだった。

「来たのか。淫乱ちゃん」

 真っ先にエメザレに気付いたのは、中央にいたミレーゼンという奴だった。ミレーゼンはいやらしい顔で微笑んだ。

 ミレーゼンは綺麗な男だった。目のせいだ。睫毛が長く、切れ長で澄んでいて、力強い。それ以外は鼻も口も輪郭も男性的なのだが、目だけが際立って美しく、おそらく女性的だった。

「今日はお別れを言いに来ました」

 エメザレはミレーゼンの言葉を流して、影と同化するようにひっそりと椅子に座っているシマに言った。中央にいたロイヤルファミリーは歓談をやめたが、シマの表情はここからでは遠くて見えなかった。持ってきた毛布を床に投げ捨てた。

「今日でここへ来るのはやめます。やめたいなら、いつでもやめていいと言ってましたよね」

 エメザレは歪な輪を避けて、シマの近くへ行った。それでも闇に近い場所にいるシマの顔は不鮮明だ。
 シマはエメザレの問いに答えなかったが、注意して見なければわからないほど、ほんのわずかに頷いた。

「もちろん。お前の自由だ。やめるならご勝手にってさ」

 口を開いたのはシマではなく、ミレーゼンだった。ミレーゼンはおもむろにエメザレを後ろから抱きすくめてきた。エメザレの耳にミレーゼンの吐息がかかる。

 ミレーゼンはでしゃばりだ。シマの代弁者のごとく振る舞い、しかもシマはそれを黙認している。ということはつまり、ミレーゼンの代弁は全くの的外れではないということだった。癪には障るが、ミレーゼンの代弁サービスは重宝していた。ゆえにミレーゼンは最上位グループよりも、シマに近しい特別な地位を暗黙の了解で与えられていた。

「最後に話したいことがあります」
「なんだよ」

 言ったのはもちろんミレーゼンだ。

「宴会を廃止してください」

 だがシマは答えない。動きもしない。なにを考えているのか全く見当がつかない。エメザレだけではないだろう。ロイヤルファミリー、いや、二号隊の全員がそう思っているはずだ。

 シマは恐ろしく無口だった。話しかける人物も早々いないが、話しかけたところで、答えが返ってくることはほとんどない。だからミレーゼンの代弁サービスに頼るしかなかった。不思議なことだが、ミレーゼンはシマがなにも話さずとも、意志を察することができた。羨ましい能力だ。

「お前、あほか。宴会の存在意義くらい知ってんだろうが。宴会はなにもロイヤルファミリーの娯楽のためだけにあるわけじゃない。ロイヤルファミリーの絶対的な権力の象徴で、二号隊の統制が完璧に取れていることの証だ。紙っ切れにロイヤルファミリーの名前が連ねてあるだけじゃ、誰も――少なくとも俺はそいつがすごいなんて実感しない。実感するための機会が必要なんだよ。宴会は必要不可欠な伝統だ」

 ミレーゼンがエメザレの耳をしゃぶりながら言った。生温かい唾液のついた舌が耳の中を撫でてきて、震えるような感覚に襲われた。

 宴会もロイヤルファミリーの制度もシマが考えたものではない。ずっと昔に、おそらくその玉座の椅子が置かれたときから始まった伝統だ。誰が考えたのか、たぶんもう、調べようがないだろう。二号隊は代々その制度を受け継いできた。そして今まで、その制度はなんの問題もなく機能してきた。だがしかし、その制度は破綻しかけている。

 ミレーゼンが言うように、個人主義で実力主義の二号隊をまとめるには、ロイヤルファミリーのような、どんなバカでも強さがわかる存在が確かに必要なのだ。ロイヤルファミリーが消滅などしたら、平和どころか、暗黒時代が到来するだろう。だからこそ単純に思う。ロイヤルファミリーは『良い王家』になればいいと。

「伝統なんて、ただの過去への敬意だ。昔よかったものが、今もいいとは限らない。もっといい手段を考えるべきです。お願いします。最後だから言うんです」

 エメザレは大きく言ったが、それでもシマは動かなかった。

「あーうっぜ。まったく、口だけは達者だね。チンコ突っ込まれたらよがることしかできなくなるくせにさ。素面のときだけいい子ぶりやがって。くだんねー」

 ミレーゼンはシマに見せ付けるようにして、エメザレを後ろから抱きしめたまま、頬に舌を這わせた。シマのご機嫌取りのつもりなのだろうか。そんなことをして見せたところで、ご機嫌がよくなるとは到底思えないが。エメザレは苛立った。

「僕はシマ先輩に言ってるんだ。ミレーゼンは黙ってろ」

「先輩がなんも言わないってことは、知らねーよ、クズ、黙れ死ねってこと。それよかお前、今日は思いっきり可愛がってやらなきゃなぁ。最後だと思うと残念だ。お前の綺麗な眼球に先っぽ押し付けるのが最高に楽しかったのにさ」

 ズボン越しに、ミレーゼンの硬くなったペニスが押し当てられた。くっきりとした形がわかり、感じているわけでもないのに、勝手に身体が痙攣する。そんな自分に失望して悲しくなった。

「宴会がなくなれば、君も弟の心配して、ド派手に誰かをぶち犯さなくてもよくなるんだよ。毎日キャラ作ってお疲れ様」

 エメザレは精一杯、皮肉ったが、なんだか滑稽なほど身体が熱くなっている。

「ミレベンゼのことは、今は関係ないだろ。強がっちゃって、可愛い奴。もう疼いてんだろう。今、ヒクついてたの、わかったよ」

 見透かされたことが悔しくて、ミレーゼンから逃れようともがいたが、ミレーゼンの腕はなかなか離れない。

「僕は伝統を壊してる。弱者を犠牲者に選ばなくても、ちゃんとロイヤルファミリーの権威は保ててるじゃないですか。宴会が権威の全てを作ってるんじゃない。なくってもロイヤルファミリーは機能します。僕にはこれ以上壊せない。そんな威厳や信用を持ってない。でもシマ先輩、あなたなら壊せるはずだ」

「お前、しつこいんだよ」

 ミレベンゼがエメザレの髪を引っ張り上げた。

「僕だってロイヤルファミリーの一人なんです。発言権はあるはずです。最後くらい僕の話を聞いてください。宴会を、廃止してください」

 その言葉でやっとシマが動いた。椅子から立ち上がると、エメザレの傍まで来た。明るいところで見るシマの顔はグロテスクだった。何度見ても見慣れるということがない。時々、シマは我々とは違う、なにか別の生物なのではないかと思う。抉れている顔の半分だけを見ると、とても自分と同じ種類の生き物のように思えないのだ。そもそも、シマは生きているのだろうか。無機物が動いているだけのような気がする、顔がこうなる前から、エメザレはそんな疑問を抱いていた。

 エメザレはミレベンゼに拘束されたままだ。髪を掴まれて顔さえ自由に動かせない。いや、動こうと思えば振り払えるのだが、シマが前に立つと、張り詰めた空気に負けてしまって動けなくなる。シマは恐い。顔のせいもある。だが一番恐ろしいのは、考えていることが微塵も理解できないことだ。突然殴られるかもしれないし、理由もなくキスをされるかもしれない。まるで無作為に行動を起こしているかのように感じる。因果性がないのだ。

「お前は俺の傍にいて、俺を洗脳しようとする」

 シマは低く擦れた声でゆっくりと言った。シマの話し方はいつも驚くほど穏やかで静かだった。怒っていても声を荒げることはしない。声など出す前に拳が飛ぶからだ。

「そんなつもりは……ありません」
「口、誰にされた」

 シマは優しい手つきでエメザレの唇を撫でた。デイシャールに殴られたところが、きっとまだ赤くなっていたのだろう。
 シマのことは恐い。しかし嫌いではない。

「教官です」

「皮膚は盾だ。俺のようにはなるな。綺麗だから言うんじゃない。強いからだ。俺の言ってることがわかるか」

 エメザレは首を横に振った。シマの言葉はいつも足りない。なにが言いたいのか、なにを望んでいるのか、本当にさっぱりわからない。どういう意味で言ったのか、数日考えてわかるときもあるが、何年考えてもわからないこともある。

「先輩……お願いです。あなたにしかできないことです。一度くらい、僕のこと信じてください。正論を振りかざせるような生き方はしていません。でもロイヤルファミリーのことを考えています」

 だがシマは再び沈黙した。そしてエメザレに背を向けた。

「シマ先輩!」

 追いかけようとしたが、ミレーゼンにがっちり押さえ込まれて、動けなかった。

「お前の意見は却下された。諦めろ」

「……愛してるのに。みんな、好きなのに、どうして僕のいうことを聞いてくれないの」

 絶望的な気分だった。自分には人徳がない。友達もいない。賛同してくれる者などいない。誰も話を聞いてくれない。いつもそうだ。冷たい孤独を改めて思い知った。

「おい、聞いたか。こいつ、俺たちのこと愛してるらしいよ。どんだけ淫乱なんだよ、お前。毎日毎日ゲロ吐くまで犯されて、それでも好きなんだってよ。そんなに犯されるの好きなのかよ。狂ってるよな」

 ミレーゼンは顔だけ後ろに向け、中央に向かって言った。ロイヤルファミリーからは嘲笑が沸き起こる。

「だって仕方ないじゃない。それが、僕の才能なんだもの」

「才能かよ。笑わせんなよ。俺にはただの呪いにしか見えないけどな。ところで、どうしてやめるなんて言い出したんだ。同室の奴になんか言われたのか?」

 ミレーゼンはエメザレを半分引きずるようにして、中央まで持っていくと、ちょうどランタンの真下あたりに突き飛ばした。

 すかさず、ロイヤルファミリーがエメザレを取囲む。相手は約二十人いる。全員、エメザレよりも背が高く、かなりの圧迫感があった。シマと最上位グループは、遠巻きからこちらを見ている。

「べつに」

「まさか昨日の今日で、もうできたんじゃないだろうな。優しくやられて惚れでもしたか」

「やってない。エスラールは、たぶん僕とやらない」

「この制服、どうしたんだ。お前のじゃないよな。でかすぎる。同室の奴のか?」

 ミレーゼンはエメザレの制服を掴んだ。

「僕が縮んだんだよ」
「ちゃんと答えろよ」

 ミレーゼンは意地の悪い笑みを湛えて、前を乱暴にこじ開けようとする。破れそうな嫌な音がして、エメザレは必死にミレーゼンの手を振り払った。

「やめて! 借りてるんだから」

「なんだよ、制服交換かよ。ずいぶん仲良さそうだねえ。本当はもうやったんだろ。じゃ、大事な制服は自分で脱いでさ、せっかくだからいやらしく誘ってみろよ。自分で服脱いで、四つん這いになってさ、ケツ突き出して、僕のおまんこ、ぐちょぐちょにしてくださいって言ってみなよ」

 そう言いながら、エメザレの下半身を淫猥な手つきで撫で回してくる。不快でしかないはずなのに、堕落しきった身体は、敏感な部分に触れられるたび、そこに血液が集結してどんどん硬くなっていく。アナルに入れられる感覚が全身を駆け巡り、快楽を期待して身体中が嬉しいと言って、勝手に血が沸き立つ。

「僕に、女性器はついてないよ……」

 自分は一体なにをしているのか、なにをしようとしているのか、わからなくなってくる。わからなくなりたいと、わずかに残っている尊厳のようなものがエメザレの脳を麻痺させようと必死になっているのだ。

「そんなのどっちでもいいさ。どうせ俺たちに穴の違いなんてわかんないんだから。早くやれよ。やんないと、その制服、ひきちぎるよ」

 ミレーゼンが言うと、取り巻いている連中が拍手をしてはやしたてた。

「そうだよ。やれよ」

「恥かしがってどうすんだよ。いつも、もっとすごいこと言ってんだぜ」

「嫌だ……。嫌だよ。そんなことしたくない」

 気分が悪い。今からこいつらのペニスをしゃぶらなくてはならないのだ。足を広げて、犯されて、動物みたいに喘ぐのだ。一体自分はなんのために生まれてきたのだろう、と詩的な哲学が頭の中で何度も回帰する。こんなことをするために生きているのではない。だが拒絶する資格がないのだ。
 それにどうせ、嫌なのは最初だけで、途中からは好きも嫌いも感じなくなる。

「なに涙目になってんだよ。今更、処女ぶったってな、お前のケツ、やりすぎて緩いんだよ。知ってんのかよ。くそ淫売が。あんあん言いながら犯されてればいいんだよ」

 そう、自分は淫売だ。わかっている。数え切れないほど淫売だと言われた。だがその言葉を浴びせられる度、無気力と脱力感に苛まれ、全てどうでもいいという気持ちが、静けさとともに、すぅっと広がっていくのだ。

「もたもたしてないで早く脱いでやれよ」

 ミレーゼンがにやけた顔をして言った。

 ふと遠くに目をやるとシマがこちらを見ていた。なにを考えているのかわからない。こんな自分の姿を見て、楽しいのだろうか。でも表情は見えなかった。

 エスラールに貸してもらった制服のボタンに手を掛けた。エスラールの制服からは心地のいい香りがした。素敵な体臭だ。初夏の瑞々しい草の香りに似ている。これを着ていると守られているような気分になった。きっといいひとなのだろうと思う。でなければこんなに素敵な香りはしないだろう。汚いことを知らない匂いだ。自分の制服からはどんな臭いがするだろう。たぶん、精液の臭いだ。色んな奴の精液が混じりあった邪悪な臭いがするんだろう。

 エメザレは制服を脱ぎ捨てた。言われたとおり、四つん這いになり、ミレーゼンに尻を突き出した。

「ぼ、僕の……僕のおまんこ、ぐちょぐちょに……して、ください……」

 そう言った瞬間、複数の手がエメザレの身体に伸びてきた。


◆◆◆ 

「あ、あぁ……ん、やぅ……」

 誰かが、身体の奥を突いている。もう誰が誰なのかわからない。ありったけの快楽を貪ろうとしている。身体にヒルが集っているみたいに、あらゆる場所が鋭く痛む。異教の儀式のように、色々な奴らがよってたかって自分を噛んでいる。腕や足や、横っ腹や性器の周りを何度も笑いながら噛んでいる。誰かが胸の突起を噛んだ。痛い。痛いのだが意識が混濁して不快をうまく処理できない。突かれている心地よさが、痛みを曖昧にしてしまう。ペニスが尻から抜かれると、全身が痛くなることを本能が理解していた。自分を犯しているペニスを逃がすまいと、尻の筋肉はすがるように、必死に締め付けている。

「あ、やばい、いく――」

 自分の中で絶頂を迎えた誰かのペニスがしぼんでいくのがわかった。快感は死に絶え、噛まれている痛みが鮮明になり、官能が消え去って恐ろしい理性が蘇りそうになった。

「やめないで……、もっと入れ――て、つ、いて、突いてよ……はやく、ぅ。痛い。痛い。痛いよ」

 その声は雲って聞こえた。自分の声のはずなのに、まるで布でも押し当てられているような、聞きなれない声だった。

「ほら。どうだ、気持ちいいだろ」

 誰が言っているのだろう。いや、誰でもいい。誰かのペニスが中に入ってくると堪らなく愛しくて、だらしなく開いた両足を痙攣させて喜んだ。

「あぁ……っん、あぁ!」

「なぁ、お前これからどうすんだよ。こんな身体でさ。知ってるぞ。お前、眠れないんだって?」

 中のペニスはとても硬くて力強い。激しく抜き差しされると、身体が熱くなって、芯から崩れそうになり、痙攣が止まらない。口を閉じるのも忘れ、しどけない口元から唾液が流れ落ちた。

「うぅ……あっ、あっん、いい、いやぁ……っ」

「意識がなくなるくらい犯されないと眠れないんだろ? それにあれ、お前ケツに突っ込まれてないといけないじゃないか。誰にやってもらうんだ? 適当な棒でもプレゼントしてやろうか」

「ああああぁぁ! い、やああぁぁぁ!」

 あの白い世界に行きたくて、涙がこぼれた。あそこへ行けば神になれる。誰も自分を傷つけることの出来ない絶対的な領域だ。悲しみも喜びもない無の世界。漂っていると気が楽になる。永遠に漂っていたいと思う。

 だが、理性がそれを止めた。エメザレは帰る気でいた。一号寮に、エスラールの寝る隣のベッドに、戻りたかった。明日、なんでもないように目を覚まして、すぐに帰ってきたのだと言って安心させてあげたかった。迷惑はかけないとサイシャーンと約束した。

「なんかお前、今日は強情だな。我慢してないでいけよ」

「いや……、あっ……うぅっん、あぁ……!」

 エメザレは快楽に溺れそうになりながら、すんでのところで、まだ意識を保っていた。
 エスラールのところへ帰りたかった。



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