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帝立オペレッタ09(強肉弱食)



「どこ行ってたんだよ」

 また一日の長い訓練を終え、疲れ果てたエスラールが部屋に戻ると、エメザレがベッドにもぐりこんで丸くなっていたので、少々不機嫌な声できいた。
 不機嫌にもなる。朝食抜きという地味に辛い刑を受けたエスラールは、おぞましいほどにやつれた顔で、サイシャーンと共に訓練場へと赴いたのだが、そこでエメザレがいないことに気が付いた。しかも昼食にも現れず、午後の訓練にも、なんと夕食にも姿を見せなかった。

 そのことについてエスラールにはなんの説明もなく、もしかしてエメザレは二号隊に戻されたのではないかと思って心配していたのだ。なにしろ、一言の断りも相談もなく同室にさせられたくらいだ。なにも知らされずに新展開、というのは充分に考えられる。
 二号隊に戻るということになれば、もうエスラールがでしゃばって止めるのは難しくなるだろうし、止める人物がいなくなればエメザレはずっとあの生活を続けるだろう。いくら本人がいいと言っても、エスラールのほうが気になって“生きにくい”。ゲロの中で泣いていたエメザレの姿は、あまりに散々で可哀想で滑稽で汚くて、生涯忘れられそうになかった。

 エメザレと多少なりとも関わってしまった以上、エスラールの立ち入れないところへエメザレが行ってしまったとしても、噂が流れてくるたびに思い出してしまうのは必至であり、それだけならまだしも、もしエメザレが死んだとか、精神異常でガルデンを追われたとか、そんな話になろうものなら、エスラールの心情の日和は一生、快晴と無縁になることだろう。

 ま、つまりエスラールは健気にも一日中、エメザレを心配し、疲弊した顔を更にひどくさせて、じくじくとひたすら淀んでいたのだった。にも関わらず、部屋のドアを開けてみれば当のエメザレはベッドで安らいでいたわけである。拍子抜け半分、怒り半分で不機嫌に落ち着いたのだが、とにかくその気心くらいはわかってほしい。

「僕は医務室で休んでたんだよ。ちょっと調子が悪くて。君こそ、朝はどこに行ってたの?」

「……えーと、総隊長に付き合わされてた感じ? 体調悪いって、大丈夫?」

 エメザレの声が不機嫌も吹っ飛ぶほどに弱々しかったので、エスラールは驚いてベッドの中のエメザレを覗き込んだ。

「いや、だめかも。疲れて死にそう」

 確かにエメザレの顔は青白かったが、元からこんなものだったような気もする。ただ何十キロも走った後のように疲労してぐったりしているのだ。

 それにしても朝はとくに体調が悪そうには見えなかったのに、医務室に一日いられたことに驚きだ。訓練を休む許可というのはめったにでない。骨折やら大怪我やら超高熱やらでどうしても動けない、という場合でもない限り、ちょっと体調が悪いくらいでは休めないのが普通だった。エスラールも昨日、大げさなほど鼻血を噴いたが、骨に異常がないとわかると鼻の穴に布を詰められて帰された。

「なんで医務室に一日いて疲れるんだよ」

「僕にも色々あるんだよ。で、サイシャーン先輩となにを話してたの? 朝食食べないで二人でおしゃべりって、処罰の対象だよね」

 エスラールが自分のベッドに腰掛けると、エメザレは顔をエスラールのほうに向けた。

「それが、事情がよくわからないんだけど、なんか総監が総隊長に変な権限を与えたらしくて。具体的にどんな権限なんだかは知らないけど。で、その権限を使って二人で話してたんだ。エメザレのことを聞かれた。たぶん総監命令なんだろうと思う」

「は? 総監が?」

 エメザレは寝たままで、深く考え込むような表情をした。そんな表情もしたくなる。総監はガルデンの最高指導者でもはや雲の上の存在だ。最高指導者でありながら、ガルデンを訪れることは稀であり、隊士とはかなり縁遠い。理由もなく一隊士に目をかけるということはないだろうし、総監の名を聞いて、なにやら深刻なことを考えてしまうのは当然だった。

「君、なにやらかしたんだよ? 殺人事件とどういう関係が?」

「それはこっちが聞きたいくらいだよ。ほとんどなんの接点もないのに、なんで僕が転属になるのか、その説明もない。殺人事件についても、ガルデン側からはなにも聞かされてないんだ」

 エスラールの部屋移動も唐突だったが、エメザレの転属もそうだったらしい。きっと不満を述べたかったのだろう。エメザレはちょっと怒ったような声を出した。

「俺も全く状況が飲み込めてないよ。総隊長に聞いても教えられるのはユドがサディーレを殺したことだけだって言うし、名前だけ聞いても誰かわかんないし。もし口止めとかされてないんだったら、エメザレの知ってること教えてくれない?」

 とエスラールが言うと、エメザレは面倒くさそうにゆるゆると身を起こした。そういえばエメザレの寝間着のことをすっかり忘れていた。エメザレは制服を着たままで寝ていたらしい。べつに文句があるわけではないが、制服はわりとぴったりしているので、寝にくそうだ。寝るなら裸で寝ればいいのにと思った。

「僕も事件の全体像はよくわからないけど、とりあえず僕の知ってることを説明しておくと、四日前の夜十一時くらいにサディーレの部屋で叫び声がして、隣の部屋の奴が駆けつけてみると、部屋の中でサディーレが腹部をめった刺しにされて死んでいて、その死体の隣でユドがナイフを持って叫んでいた、ということらしい。らしい、というのは実は僕、その現場を見に行ってないからなんだけど。でも殺人現場に一番に駆けつけた奴に話を聞いてみたけど、聞けば聞くほどなんか奇妙というか、変なんだよね。僕の転属も含めて」

 エメザレは最後のほうの声をひそめた。

「変って?」

 普通に話す程度では、隣に声はもれない気がするが、エメザレにつられてエスラールも声をひそめた。エメザレは小さな声でも聞こえるようにとベッドから乗り出してきたので、腰掛けていたエスラールも前かがみになって顔を近づけた。

「サディーレはロイヤルファミリーの一人なんだよ。ロイヤルファミリーってのは二号隊での成績上位者の名称なんだけど、成績は学力と武力の総合で決まるんだ。頭がいいだけでも強いだけでもロイヤルファミリーにはなれない。つまりサディーレは頭がよくて強かった。十八で、体格はいいほうだったし、ロイヤルファミリーなのを鼻にかけてて、いつも威張り散らしてたから、一般隊士からはかなり倦厭されてたよ。でも実はロイヤルファミリーの中では下位だったんだけどね。それでも二号隊の中でかなり強いことには変わりない。
それに対してユドは十六歳で発育途上のチビで落ちこぼれだ。ついでに気が弱くて、ひとの目を見てまともに口もきけやしない。とにかく軍人には全く向いてないんだよ。間違いなく最弱の部類に入る。二人には圧倒的すぎる武力の差があるんだ。例えユドがナイフを持っていて、サディーレが丸腰だったとしても、殺すのは無理だと思うな」

「不意打ちだったんじゃないの? 例えば後ろにナイフを隠したまま突進して刺したとかさ」

「それは手は色々あると思うよ。偶然とか奇跡とか世の中にはたくさんあるわけだし。事実としてサディーレは死んでいるんだから、ユドはサディーレを殺せた、ということになるんだけど。でもサディーレはもう何度も戦場へ行っている。ここが戦場じゃないにせよ、危険に慣れていて回避する手段だって知ってるんだから、向かってくるナイフに対して冷静な判断ができたはずだし、それに、身体が勝手に反応してとっさに避ける気がするんだ。例えナイフが後ろに隠されていたとしても、気配に気付かないってのが、どうにも納得できないというか……。だって僕たち軍人なんだよ? 普通、相手が殺気を帯びてたらわかるでしょ」

「まぁ、確かに。変と言われれば変だ」

 毎日訓練をしていると察する能力というのは半強制的に身についてしまうものだ。むしろそういった危険を察する感覚を鈍らせないために、休みなく毎日訓練をさせられているといっても間違いではない。
 それに、ひとの目を見てまともに口もきけないような奴が、はたしてナイフを隠し、殺気を殺して冷静に接近できるものだろうか。

「でしょ?」

 エスラールの同意が嬉しかったのか、エメザレは小声を保ちながらも興奮気味に言った。

「そのユドのほうはサディーレを殺したこと認めてるの?」

「うん。認めてる。その場で認めたらしい。だからどう考えても状況的に、犯人はユドなんだよね。でも僕はどうしても引っ掛かるんだ。それに、気になることならまだ他にもある。殺人に使われたナイフがサディーレのものだったことと、口論の声も物音も全くしなかったことだ。最初に殺人現場に駆けつけた奴はサディーレの部屋の隣に住んでるんだけど、なんの音もしなかったと証言している。突然叫び声がして、それで隣の部屋に行ったそうだし」

「えーと、最初からサディーレを殺すつもりだったなら、ユドは自分のナイフを持っていくはずだから、持っていかなかったってことは、殺すつもりじゃなかったってことか。じゃ殺意がない事故とか? だから口論することもなかったし、殺意がなかったから殺気に気付かなくてあっさり刺されたのかも」

「殺意がないのにめった刺しにしないよ。なんか内臓とか引きずり出してたらしいし。いや、それは尾ひれかもしれないけど。首から腹にかけて少なくとも十回は刺したくらいの損傷があったんだって。
殺すつもりがなかったのに殺してしまったのなら、なんらかのきっかけが必要でしょう。口論の末に、というのが一番自然な気がするけど口論はしていない。じゃあきっかけはなんだったのかって話になる。普通、唐突に思いついて、ひとをめった刺しにしないよ。ね、なんか変じゃない?」

「それはほら、口論じゃなくてもサディーレにチビとか呟かれてカッとなったとか。理由は特にないけどなんかムカついてきたとか。理由が納得できない場合だってあるわけだからさ。確かに変なところはあると思うよ。でもユドがサディーレを殺したって認めてるんだから、いくら不可解でもそれが事実ってことなんじゃん。殺してないなら、なんで殺したと言い張る必要があるんだよ」

「それはわかんないけど……」

 エメザレは小声をやめ、ため息混じりに言った。エメザレの吐いたため息が顔にかかってきて、エスラールはエメザレの顔がものすごく近くにあることに気が付いた。お互い話に熱中していて、知らぬ間に距離を狭めていたらしい。一度意識してしまうと、なんだか気恥ずかしい気分になった。

「って、そういえば動機は?」

 エスラールは少し身を引いて、心を落ち着かせてから聞いた。

「動機も不明。というか、なくはないんだけど、いまいち弱い感じ。ユドは落ちこぼれだからイジメの対象だったんだけど、でもそんなの大護院時代からずっとそうだし、なんかユドも諦めてたみたいだし、どの程度のイジメだったのかは知らないけど、でも僕みたいな目に合ってるとは思わないな。その上、サディーレに特別苛められていたわけでもない。サディーレはユドを苛めていた大勢の一人に過ぎなかったんだ。だからなぜ、わざわざ自分より圧倒的に強いサディーレを殺そうとしたのかわからないし、そもそもどうしてサディーレの部屋を訪れたのかも不明だし、とにかく気になることが多くて。それでなんで僕が転属って話になるのか、全く関係性が見えてこない」 

「エメザレは二人とは仲が良かったの?」

「いや、全然。サディーレとは何度もやったよ。宴会のときにね。でもそれだけで、色恋うんぬんというのは全くなかった。色恋というなら、そういえばユドには一度好きだと言われたことがあったかな。二年位前に」

 エメザレは顎に手を添えて、ふと思い出したというような顔をした。

「で、どうしたの? 付き合ったの?」

「まさか。僕は誰とも付き合うつもりないからって返して、それ以上ユドもなにも言ってこなかった。セックスもしてない。たぶん。記憶が曖昧だからしてる可能性もあるけど、でもたぶんしてないと思う。宴会以外ですることってあんまりないし、ユドには宴会に参加する資格がないからね。宴会はロイヤルファミリーでないと参加できないんだ。だから二人と僕はほとんど他人だよ」

「なるほど。つまり、なんかよくわからないってことか」

 エスラールは勢いよく後ろに倒れて、ベッドに仰向けになった。
 それにしてもエメザレのセックスの価値観というやつはどうなっているのか、色々と物申したいところだったが、口論になるのが嫌だったので、あえて流すことにした。

「そういうこと。考えれば考えるほど変なところがでてきて、謎は深まるばかりだよ」

「でも総隊長は殺人の原因はエメザレだって言ってたよ」

 と言ってしまってから、エスラールは言わなければよかったと後悔した。単純に謎の解決に役立つだろうと思ってつい言ってしまったのだが、本人に向かって事件の原因はお前だよと言うのはどう考えても残酷すぎる。エスラールははっとして飛び起きた。

「僕のせい……? 僕がなにしたの。わけわかんないし、どういうことかちゃんと説明してよ!」

 案の定、エメザレはショックを受けたらしく、飛び起きたエスラールに掴みかかってきた。エメザレはひどく狼狽していてエスラールの腕を掴む両手が震えている。今更ながらなんてひどいことしてしまったのかと、ただひたすら申し訳ない気持ちになった。

「知らないよ。教えてくんないんだよ」

 エスラールはなだめるように優しく言ったが、エメザレの顔はどんどん泣き出しそうになっていく。

「僕、淫売だけど、ひとのこと傷つけたりしないよ。思わせぶりな態度も取ったことないし、いつもひととは適当な距離を保ってきたんだよ。クズだと思われることはあっても、恨まれるようなことはしてないよ。僕が殺人の原因ってどういう意味なんだよ。それじゃ、まるで僕が殺したみたいじゃないか。そんなの嘘だ。僕じゃないよ。だって僕には友達もいないし、ひととの関わりは最小限だったはずだし、そこにどんな原因が生まれるっていうのさ。そんなのなにかの間違いだよ。原因は僕じゃない。エスラール、信じてよ。僕じゃない、僕じゃないよ!」

 エメザレはそう叫びながらエスラールを何度も揺さぶってくる。

「落ち着けよ。とりあえず、座りなよ」

 エスラールはエメザレの肩を掴んで後ろにやると、ベッドに座らせた。エメザレはおとなしく座ったが、必死に泣くのを我慢しているらしく、涙を滲ませた顔を隠すように深くうつむいた。

「僕じゃない……本当に心当たりなんてないし」

「俺はエメザレのこと信じてるよ。変態でドマゾだけどエメザレ、いい奴だもん!」

 エスラールが元気を出せとばかりに、にっこり笑って言うと、エメザレは顔を上げて、放心したようにぼんやりとエスラールの顔を見つめ、やがて力なく笑って「変な慰めかた」と呟いた。

「エメザレはいい奴だよ。ちゃんとひとのことを考えて生きてるの、俺わかってるよ。だって昨日、鼻の心配してくれたし、迷惑かけてごめんねって言ってくれたし、俺のメンツのためにサロンに行ってくれたし。エメザレにとってサロンがどんな場所なのか知らなくて、挨拶しに行こうなんて、無理に誘ってごめん。すごく嫌だったよね。気を遣ってくれたんだろ?」

「その程度のいい奴なら、そこら辺に溢れてると思うけど……」

エメザレは呆れたような声を出して、恥かしそうに目を逸らし、しばらく間を置いてから涙目のままで、もう一度エスラールを見た。

「でも、ありがとう」

 そう言ってエメザレは静かに微笑んだ。




 エメザレは本当に疲れているらしく、それからすぐに寝てしまった。「寝ているだけだから、サロンへ行って遊んでくればいい」と勧めてくれたのだが、エスラールは行かなかった。監視のためというより、なんとなく心配でエメザレを一人にしておきたくなかったのだ。遊べないのは少々辛いが、たいしたことでもない。と、思ったのだが、エメザレが寝てしまってから、話し相手のいない部屋でぽつんと一人で存在するのはなかなか辛いことであるのを知った。

 おそろしく暇だ。九時の鐘はまだ鳴っていない。寝るには早すぎる。全くもって眠くないので寝むれる気がしない。エスラールはしばらくベッドに仰向けになり、なんの面白味もない天井をアホのように眺めていたが、ふと、エスラールはこれまでの人生において、一人で過ごした時間というのものがほとんどなかったことに気が付いた。暇の潰し方がわからないのも無理はない。エスラールの隣には常にヴィゼルがいたし、訓練が終れば毎日のようにサロンへ行って大勢で騒いでいた。これまで考えたこともなかったが、おそらくエスラールは一人でいるのが苦手で、じっとしているのも苦痛らしかった。

 横を見れば、エメザレはこちらを向いて、ムカつくほど可愛らしいお顔で安らかに寝息をたてている。暇の潰しかたがとくに思いつかないので、エスラールはエメザレの寝顔を眺めることにした。天井を眺めるよりか心が安らいだし、美しい造形を好きなだけ見ていられるというのは、なかなか素敵なことのように思える。

 そういえば、よく廊下で見かけるたびにエスラールはエメザレの姿を目で追っていた。単純に顔が好きだった、というのもある。だがそれ以上に、なにか別のものに惹き付けられていた。それはどちらかというと否定的な感情で、けして好意ではなかった。ただ、それをひっくるめてエスラールは、全体的にエメザレの存在が気になっていたのだった。

 顔を見ながらエメザレのことを考えているうちに、むず痒くざわめくような気分になってきた。つまるところエスラールは憐れにも、男だけの世界に生きている、不健全で、ある意味では健康的な十六歳の男子だった。そしてインポではなかった。

 しかし、それはエメザレに対して失礼な気がしたので、エスラールはエメザレを見るのをやめて、再び天井を眺めることにし、墓石やナルビルの禿げ散らかした頭などを思い浮かべて、心と身体と落ち着かせ息を吐いた。

「エスラールーーー!」

 ノックもなく突然扉が開いた。エスラールはびっくりして飛び起き、訪問客を確認する前に自分の股間を確認した。セーフだった。安堵して、扉の方を見ると、ヴィゼルとラリオとその他三人がぞろぞろと部屋に入ってきていた。

 彼らは遊びに行けないエスラールの暇を心配して、訪ねてきてくれたのだった。彼らはお手製のセカテと呼ばれる絵双六(えすごろく)を持っていて「これで遊ぼう」と言った。

 セカテは古くからあるボードゲームの一種で、紙とペンと僅かな絵心さえあれば誰でも簡単に作れるので、誰しも一度くらいはセカテ作りに挑戦するものだったが、彼らが持ってきたセカテはガルデン史上最強と思われる超大作だった。エスラールとヴィゼルが四ヶ月かけて作ったものなのだが、『暴虐ロード』という題名がついている。

 小さな紙を縫い合わせて作った三メートル強の巨大な紙に、長い長い一本道が右往左往しながら書かれていて、その道は約千のマス目に分割され、全てのマス目に暴虐的な指令が書いてある。例えば『百回休み』とか『一万回腕立て伏せ』とか『バファリソンにケンカを売る』とか『今はいてるパンツをかぶる』とかであり、その指令のほとんどは達成されることはなかったが、最初にゴールするよりも途中の指令を一番多く達成できた者が偉いという、なんとなくできてしまったルールのために、むちゃな指令を達成しようとして負傷する者が後を絶たなかった。まさに『暴虐ロード』の名にふさわしいセカテなのであった。

 彼らはもちろん『暴虐ロード』にエメザレも誘うつもりだったのだが、エメザレが有り得ないほどよく寝ているので、諦めて六人でプレイすることになった。

 狭い部屋の中に三メートル強の『暴虐ロード』を広げると、立つスペースすらなくなってしまい、六人はエスラールのベッドの上でわざわざひしめき合いながら、わいのわいのと騒いで遊んでいたが、それでもエメザレは微動だにせず、気味が悪いほどに穏やかに寝続けていた。

 結局『暴虐ロード』は誰一人としてゴールすることなく、夜も更けたのでお開きということになった。実はこの『暴虐ロード』、あまりに長いためにゴールをするのに三日かかるのだ。そのあたりも結構暴虐的である。
 エスラールもそろそろ眠くなってきたので、歯を磨いて寝ることにした。





 ひどく浅い夢の世界に、ベッドの軋む音が響いた。それはほんの微かな音だったが、知らぬ間にエスラールは神経を研ぎ澄ませていたらしい。頭が起きるよりも先に身体が起きた。

 エスラールは確かに寝ていたのだが、寝ている頭の中でエメザレのことが気になっていたのだ。なぜエメザレは制服のままで寝ているのだろうかということだ。いや、裸で寝るのが恥かしいということなのかもしれないが、少々気に掛かった。それに、死んでいるように寝ている姿は、まるで早急に体力を回復させようとしているようにも感じた。全ては気のせいという言葉で片付けられる範囲だったが、エスラールは懸念を拭えないでいた。
 そして残念ながらその懸念は的中してしまったようだった。

「どこに行くつもりだよ」

 エスラールは出て行こうとしているエメザレの背中に向かって言った。
 時は真夜中である。優しい月の光がエメザレを照らしている。
 エメザレは驚いたように振り返った。


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