top text

劣化の日々 中編


私は何度か目を開き、また何度か目を閉じた。時間の流れなどもはや私には関係がなく、私は時を凌駕して不安定な意識で世界を漂っている。

次にしっかりと目が覚めたとき、傍らには私を心配そうに見つめる息子リバンの姿があった。
そして何人かの家臣達も沈痛の面持ちで私を取り巻いている。
時間の感覚が狂っているのだろうか。窓の外はもう闇に包まれていた。

「お目覚めですか。どうです。ご気分は」

リバンは私の手を優しくさすりながら聞いた。
私は三十の時にオルビナという女性と結婚し一男をもうけた。
妻は七年前に他界したが、息子はそのことに心折れることなく立派に成長した。

今年で二十二になるリバンは早くも若き王の威厳を携え、知識、剣術共に素晴らしい才能に恵まれた、私には勿体無いほどによくできた息子であった。
リバンならば、この国を長き繁栄に導くことができるだろう。
その事に関して私は一つの心配もない。

「白い髪の少年を見た」

私にはほんの少し前のような感覚だったが、もう何日か経っているのかもしれない。もしくはただの夢で、そんな出来事などなかったのかもしれない。
どちらにせよ、この不思議な出来事を息子に話してやろうと口を開きかけた。

「陛下、アスヴァリンが帰還しました」

突然に扉が開き、そう言って慌てた様子で一人の兵士が知らせに訪れた。

「陛下!」

だが兵士の知らせが終わらぬ間に、アスヴァリンは息を切らせながら寝室に飛び込んできた。
家臣達はざわめき立ち、陰鬱な静寂がにわかに消え去った。
アスヴァリンの名を聞いて、まさか。と私は期待に胸を躍らせた。

「アスヴァリン、無礼だぞ」

リバンは強い口調でアスヴァリンを注意したが、私は立ち上がろうとしたリバンを制した。

「陛下、重大なお話でございます。どうか」

アスヴァリンはひざまずき、荒い呼吸を整えながらも興奮した表情で私に目配せした。

この息子と同じ二十二歳の若者は、二十九年前に臨時政府本部に手紙を届けに来たアスヴィットの息子であった。
アスヴィットは私の良き家臣であり、親しい友人でもあったためその息子であるアスヴァリンを私は自分の子のように思い、可愛がっていた。
成人してアスヴァリンは、エメザレ探索の部隊に志願したので、喜んで私は彼に一つの部隊を贈り、隊長の位につけてやった。

彼が予定外の帰還をする理由は一つしかない。

「さがれ」

私は言った。家臣達はざわめきながらも出て行ったが、リバンは私の横から動こうとしなかった。
怒りのようなものを含んだ目付きで、アスヴァリンをにらめつけている。

「リバン。お前もさがれ」

「……わかりました」

リバンはその怒りの瞳を私にも向け、唇をかみ締めながら渋々といった表情で立ち去った。

「陛下、お喜びください。元帥様のご遺体を発見いたしました」

礼儀正しいこの若者は、喜びで目を輝かせ身体を震えさせながらも、ひざまずいたままに言った。

「それは本当か」

歓喜のあまり興奮して、私は一人では身体を起こせないことを忘れて起き上がろうとうごめいた。
それに気が付いたらしいアスヴァリンはすぐさま私のもとに駆け寄ると、そっと私の身体をかしずいた。

「不思議なことが起こりました」

アスヴァリンはまた丁寧にも私の脇にひざまずき、珍しく深刻そうな顔をして話し出した。
彼が言うには二日前の深夜、突然見知らぬ白い髪の少年にたたき起こされ、そしてとある場所を掘れと言われた。
それだけ言うと少年はいつの間にやら消えていて、夢かとも思ったが念のために言われた場所を掘ってみると、きれいに埋葬されたエメザレの死体が出てきたのだそうだ。

「少年は名を名乗らなかったか」

「いえ、名乗りませんでした。ただ、この世のものと思えない恐ろしい目をした少年でした。
恥ずかしながら、私は圧倒されて身体を起こすことも叶わず、何を言うこともできずに震えながら少年の話を聞くしかありませんでした」

彼は少し言いにくそうにしながらも、それでもしっかり私の顔を見て言った。

「そしてもう一つ、あり得ない不可思議なことがございました」

急に彼は声をひそめた。

「元帥様のご遺体は一切腐敗していないのです。死んだ時のそのままの姿です」

そして私の耳元に口を近づけるとゆっくりと静かな声でそう言った。

死体が腐敗しないなどあり得ない話だったが、私はその話を信じた。
なぜかずっと、エメザレは永遠に若く美しいままであるような気がしていた。
もしくはそうであってほしいと願っていただけなのかもしれない。
私にとってエメザレはもはや美しい残像の思い出での人物であり、色あせることもなくその姿は脳に保存されて変わることがない。

「遺体は今どこにある」

「明日の早朝には到着するかと存じます。わたくしは先行して陛下にお知らせに上がりました。長話はお体に障りますゆえ、そろそろ失礼をいたします」

そう言って丁寧に礼をすると、アスヴァリンは去っていった。

「父上にお訊ねしたい事があります」

アスヴァリンが部屋を去ってすぐに、リバンは一人でやって来た。
嘆きと怒りの表情を隠しもせず、その口調は責め立てるようだった。

「なんだ」

私は聞いたが、彼が言わんとしていることは手に取るようにわかっていた。

私は若き日にエメザレと恋仲であったことを息子にもアスヴァリンにも言っていない。
だが、私のエメザレに対する異常な執着心や、周りにいるかつての私を知っている者達から放たれる噂話で、彼らはとうに気付いている。
このことで私はリバンと何度ともなく口論した。

「父上は、そのエメザレという男と、わたしの母オルビナ、どちらをより愛していたのですか」

私は答えなかった。答えなどないのだ。
エメザレとオルビナは全く別の次元の存在であり、二つの存在はどんな場合においても交差することも干渉することもない。
無論、比べることなど不可能であり、ゆえにその答えは存在しない。

だがしかし、おそらくその答えは己の可愛さから来る、ただの逃げであるだろう。
私自身が、明確に導きだされた無慈悲な答えを知りたくないのだ。

「わたしは父を愛しております。しかしわたしには同性を愛する気持ちが、行為が理解できません。嫌悪いたします。
ですが、わたしの母をより愛していたと一言おっしゃっていただけるのならば、わたしはエメザレのそのことを若気の至りということにして、全て忘れてしまいましょう」

リバンの言葉に、私は少し驚いた。リバンは私とエメザレの関係に気付いていたが、いつも表現は遠まわしであり核心に触れることはなく、ここまで直接的に言い切ったのは初めてだったからだ。
彼も答えを知りたいのだ。私が死ぬ前に。

「愛に順位などない」

それでも私は逃げたかった。

「なぜですか父上。母とその男は同じですか?それとも男の方をより愛していたとでもおっしゃるつもりですか?」

リバンは必死になるあまり、泣き出しそうなほどに声を荒げた。

「私は母と同等にお前を愛しているが、同じではない」

「なぜ、なぜですか!わたしはこんなにも父を愛しているのに。尊敬し慕っているのに。
わたしは父を敬い続けたい、民に誇れる存在であってほしいのです。
男を愛するなんてことはおやめください!今すぐに否定して、母を最も愛していたと言ってください」

ついに彼は叫び、不本意であろうが一粒の涙を私の頬に落とした。

「許してくれ」

私はリバンを愛している。オルビナのことも。それは変わりない事実だ。
だからこそ私は彼らを傷つけたくない。

「許さない!許せるはずがない!男を愛するなど。それは母とわたしに対する侮辱です」

「許してくれ」

また私はその言葉を無意味に繰り返した。

「わたしは父を、いつまでも愛していたかったのに」

リバンは私を拒絶するように突き放して叫び吐き、熱いものが流れ出るのを恥じてか、背を向けるとそのまま私のもとから走り去った。
そして陰鬱な静寂が再び私に寄り添い、自分自身の醜さを嘆いた。


前へ 次へ


text top

- ナノ -