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劣化の日々 前編




1580年、革命はついに起こった。
国王グセルガと王子イウがエメザレによって殺害されたことで、白い髪が黒い髪を支配した時代は終わり、四百年続いたクウェージア王国は滅んだ。
エメザレと私は臨時政府を開き、新王国誕生の準備に追われることとなった。

その手紙が届いたのはクウェージアの黒革命から三十七日後のことだった。
アスヴィットという整備部隊に所属する少年が、首都で拘束したユグリヴェ(白い髪)族の少年からエメザレに手紙を渡して欲しいと頼まれたらしく、臨時政府の本部へとやってきたのだ。

その時、私たちは忙しく時間に追われる毎日で、アスヴィットという少年の用もろくに聞かないで追い返そうとした。
するとアスヴィットは突然に「ゴルトバ!」と叫んだ。
その言葉を聞いたエメザレはなぜか持っていた書類を落とすくらいに動揺し、散乱した書類を拾いもせずに慌てて部屋を飛び出していったのだ。
エメザレは見たこともないほどに狼狽していて、その少年を自室に招き入れると、受け取った手紙を身体を震わせながら読んでいた。

「私は行かなくては」

その手紙を読み終わるなりエメザレは叫ぶように言うと、アスヴィットを連れて出て行こうとしたので、私は不安になって引き止めようと腕を掴み彼に聞いた。

「どこへ行くというんだ」

だが彼は私の問いに答えずに私の手を振り払った。

「大丈夫、帰ってくるよ」

そして彼は行ってしまった。
置いていかれた手紙には死んだはずの王子の名が書いてあった。



それから二十九年。エメザレはまだ戻らない。

私は随分と年老いた。剣を振りかざして闊歩した若いときは過ぎ去り、今はゆっくりと流れる穏やかな日々を送っている。

激動の時代は嘘のように唐突に終わりを告げ、クウェージアと呼ばれた国は滅んで無名の国と名を変えた。
私は時代のいたずらで王となり、苦悶の末に戦争なき国、安定した統治、理想的な国の基盤を作り上げた。
そして跡取りにも恵まれた幸福な私の人生の、たった一つの思い残りは、若き日の恋人であったエメザレの行方を未だに知れないということだ。

私はずっと彼を探し続けている。各地に探索部隊を送り二十数年。手がかりは未だに何もない。生きているのか死んでいるのか。それさえもわからない。

そしてエメザレとの再会を果たせぬままに、私は今、老いによる静かな死を迎えようとしている。


ついに死神がやってきたのか。私は観念して寝室に突如現れた白い髪の少年に笑いかけた。
月明かりに照らされた少年は、この世にはない幻のような神秘さと呪われた死者の如くの退廃を宿して私を圧倒するようにたたずんでいた。

「死神か」

私はか細い声でそう聞いた。

「死神?お前にとってはそういうことになるのかもしれないな」

少年は嘲りに満ちた笑みを浮かべながら、もはや一人では身体を起こすことも叶わなくなった私の横に歩み寄り、そして私の顔を覗き込んだ。

「本当はお前なんかに会いたくなかった。話したくも見たくもなかった。ましてお前なんかに頼りたくなかった。でもぼくにはこれ以外に手はなく、お前の時間はあと僅か。背に腹は変えられずに恥を忍んでぼくはここにやってきたんだ」

少年の瞳は冷たく恐ろしく狂気的で、その迫力たるは鍛え抜かれた巨兵よりも凄まじい。私の身体は凍りつき、疑問の言葉さえもでなかった。

「無名(エスラール)王よ、お前はエメザレの友人だな」

「そうだ」

情けなくも私の声は少年の気迫に圧倒されて震えていた。
エメザレ。懐かしい響きだ。私は昔、何度その名を呼び、その名を耳にし、その名を愛した事か。
しかし今は、誰もその名を口にしない。時代の片隅に忘れ去られたエメザレという存在は、もはや私の胸の中にしかいないのだと思っていた。
誰かの口からその名が出た事が、私には奇跡のようでとても幸せなことだった。

「お前は三十一年以上前のエメザレの髪、もしくは血液か皮膚の一部を持っていないか?」

私は少年がなぜそんなことを聞くのか不思議に思ったが、私は理由も聞かずに記憶を掘り起こし始めた。

「やはり駄目か」

暫くの沈黙の後で少年は悲痛そうに言った。先ほどの厳しい表情は陰り、今はただの少年のように弱々しく嘆く顔がそこにあった。
やがて少年は静かに私に背を向け、夜の闇と同化して今にも消え去ろうとした時、

「待て!」

私は遠い日の出来事を思い出した。

「私は髪を持っている。彼が十六歳の時のものだ」

私とエメザレがガルデンの生徒だった頃の話だ。ガルデンの中で仲間の髪で編んだ腕輪を身に着けるのが流行ったことがあった。
私はその時の仲間、二十七人の髪を貰い腕輪を作った。その二十七人の中にエメザレがいたのだ。

それをどうしたかは思い出せないが、捨てた記憶はない。

「本当か。教えろ。どこにある!」

少年は向き直ると私の肩を掴み強く揺さぶった。少年の瞳は希望により輝いて見えたが、そこには奇妙にも憂悶のようなものが混在していた。

「わからない。あるのだとしたら書斎か倉庫だ。本に挟んだように思う。髪で編んだ腕輪だ。」

「勝手に探すぞ」

少年はそう言うと、勢いよく寝室を飛び出していった。
開け放たれたままの扉を見ても、私にはこの出来事が夢のような気がしてならなかった。
死の前の幻なのか。その疑問の答えはわからぬままに、不覚にも私はまた眠りについたのだった。

「やっと見つけたよ。ありがとう」

私の横でそんな声がした。はっとして目を開けるとそこには先ほどの白い髪の少年が、穏やかな顔をして立っていた。

少年の手にはひどく懐かしい髪の腕輪がしっかりと握られている。
寝室の窓の外からは朝日が昇りつつある。少年はその白い朝の光に包まれて消えてしまいそうに見えた。

「ぼくは昔、ここに住んでいたんだ。懐かしくてつい見て歩いてしまったよ」

少年は嬉しそうに微笑んだ。
クウェージアの黒革命が起こる前、ここにはクウェージアの王族が住んでいた。
私たちはクウェージアという国と白い髪という種族の存在を忘れないために、首都を遷都せず、彼らの建物も一切破壊することもなく、そのままに無名の国を立ち上げたのだ。

「お前は……まさか…まさか、イウ王子なのか」

二十九年前エメザレが受け取った手紙には確かにイウ王子の名があった。
だが私たちは国王グセルガと王子イウの死体を確認し、そして確かに埋葬したのだ。
それにこの少年はどう見ても、十四か五くらいだ。
もしイウ王子が生きていたとしても、とうに四十は超えている。

「そうだよ。別に信じる必要はないけどね」

「エメザレを知らないか?二十九年前お前に会いに行くと言って、そのまま戻らなかった」

私はその少年の言葉を疑わなかった。私は昔、エメザレに起こったある奇跡を目撃していたからだ。
それに私は死ぬ前に、なんであれ例え嘘であったとしても最後の心残りであるその謎の答えが知りたかったのだ。

「知っているよ。あの日にぼくが殺したんだ」

「そうか」

私はとても安らかな気持ちになった。
エメザレは生きていると信じていた。だが死んでいるのだろうと思ってきた。
もし生きていると言われたら、私は彼に会いたいと喚いて無様にも死を拒絶したがったかもしれない。
だが死んでいるのなら私は近く彼に会う事ができるのだ。

「ぼくを憎まないの?」

少年は不思議そうな顔をした。

「私も多くの過ちを犯して生きてきた。この死を目の前にした老人には今更、大昔の過ちを咎める気力は残されていない。それよりも私はエメザレの亡骸を抱くことも叶わず死んでいくのが無念でならない」

私はぼやいた。彼の瞳を顔を身体をこんなにも覚えているのに、それはもはや幻のようで触ることもできずに頭の中にだけ存在し続ける。焦がれても叶わないこの思いは深くしまい込まれて、もうずっとさらけ出したことはなかった。

「わかった。この髪のお礼に願いを叶えてあげるよ」

その時、朝日は完全に昇りきり、それを浴びた少年の姿はまるで光の塊のように輝いていた。

「本当なのか……」
「ぼくは嘘をつかない主義だ。お前が死ぬ前に叶えてやろう。そして無名王よ、静かに眠りにつくがいい」

少年の姿は夢のように光の中に消え、後には朝の暖かい光だけが残っていた。


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