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古の女王07



セウ=ハルフの屋敷の馬小屋には馬が三頭飼われていたが、二頭はセウ=ハルフとデミングが乗る馬で、もう一頭は荷物を乗せるために使われていた。荷物はかなり多く大きく、イウが乗れるスペースが確保できそうになかったので、セウ=ハルフとデミングが一日交代でイウを乗せて進むことにしよう、ということになっていた。

 イウがデミングの馬に乗ろうとすると、二列縦隊を乱して二人のモートが近付いてきた。そのうちの一人は驚いたことに女性だった。男性と同じような長いコートを着ていたうえに、肌が漆黒なおかげで顔の造形が判断しづらかったので、かなり至近距離で見るまで気が付かなかったが、よく見れば顔つきは繊細で鼻や唇がやや小ぶりであり、他に比べると一人だけ小柄だった。長い金髪を頭部のだいぶ上で一本結わきにしていて、細く鋭い目が印象的だが彼女が美人なのかはわからない。

 エクアフの文化圏ではまず女性が旅をするというのは有り得ないし、組織的な活動に女性は参加できないものだ。モートの国を代表してやって来たのだろう集団の中に女性がいるというのが不思議に思えて、彼は女の方にばかり気を取られていた。

「私の乗る」

 無表情な顔で女が言ったが、イントネーションに疑問符はついていない。しかもひどく訛っている。

「私、軽い。君も軽い。私の馬、重いの強い。だからどうだ」

 女は一つ一つを丁寧に発音しているようだが、それでも聞き取りづらかった。状況と勘でなんとなく言いたいことは理解できそうだが、聞き取って意味を組み立て、内容を把握するのに、少々の時間が必要だった。イウは彼女の氷のように光る瞳を見つめたまま、言葉の意味を考えていた。

「幻影が言いたいのはですね」

 見かねた様子で横にいたモートの男が口を開いた。デミングかセウ=ハルフが言ったのではないかと思ったほどに、きれいなエクアフ語の発音だった。

 男の髪は短く白に近い灰色だったので高峰と見分けることができたが、もし同じ髪型であれば見分けるのは困難に思えるほど、男と高峰の特徴的な造形は似通っている。見た限りではモートは全員とんでもない面長で鼻筋が通っているもののようだ。

「この中で自分が一番軽いだろうし、君も軽そうだ。この馬は君くらい追加して走っても、だれるような柔じゃないから、私の方に乗らないか。ってことです。わかりました?」

 男のエクアフ語は幻影に比べると感動的なほどに上手く、高峰よりもずっと流暢だ。さっき聞いた彼らの、文字に起こせないほど滑らかな言語を思い出すと、似ても似つかないエクアフ語をここまで完璧に発音できることがにわかに信じられなかった。

「いいのか?」
 
 セウ=ハルフがモート二人に聞くと「うん」と男の方が答えた。幻影も黙って頷いた。

「お前、構わないだろう? 別に恐ろしい連中ってわけでもないし。それに女のひとだし」

 気を使ってか少しなだめるようにセウ=ハルフはイウに聞いてきたが、イウにしてみればモート種族と一緒にいる方が何かと聞きだせそうだったので、幻影の申し出はむしろ好都合だった。

「うん。全然構わないよ。ぼくも馬の負担を減らすのには賛成だ」
「では、私の乗る」

 と言って幻影はイウの腕を掴むと優しく引き上げ、後ろに座らせた。
 モートたちが乗ってきた馬は、クウェージアやスミジリアンにいる馬より基本的に一回り大柄で肉付きがよく、速そうではないが強そうではある。確かに彼一人くらい増えてもモートの馬なら全く問題なく走れそうだった。

「ちゃんと掴まる。腰を掴む。落ちるな」
「大丈夫。ちゃんと掴まってるよ。ありがとう」

 イウが幻影の腰を掴んで言うと幻影はまた頷いた。もしかしたらモートが頷いたり頭を下げたりするのには、“好意的”や“微笑む”のような意味合いが含まれているのかもしれない。無表情なので無愛想な印象を与えるが、表情以外の愛想は――というのもおかしな表現だが――いいように思えた。



 セウ=ハルフを先頭にして一行はゆっくりと進み始めた。セウ=ハルフの次に高峰が続き、その後ろが幻影とイウ、そしてエクアフ語の上手い男が並び、その後ろに二人、その後ろが一人で二頭の荷馬を引いている。一番後方がデミングであり、彼も荷馬を引いていた。

 カルテニは廃村同然の寂しさで、誰一人として外に出ている者はいなかった。そんなエクアフの態度に彼は僅かな憤りを感じだが、モートたちは一切文句も言わず、気にしているような素振りも見せず、堂々と、しかし荒ぶりのない優雅さで排他をすり抜けていった。

 カルテニと外の境界は曖昧だったが、カルテニを出ると彼が来た時と同じ草原の海が広がっていた。肌寒い風が吹き付ける草原は、優しそうな草色とは裏腹に残酷な空気を漂わせている。カルテニはスミジリアンの果ての村だと聞いたが、本当に道の果てといった感じでカルテニから北には道らしき道がない。だが、注意深く下を見るとかつて石で舗装されていただろう道の痕跡が残っていた。もうほとんど草に侵食され、その辺に転がっている石と道の石の見分けがつかないくらいだが、セウ=ハルフはこの道の残骸の上を進んでいる。ふと意識して見渡せば、道はかなり大きかったようで、おそらく馬車二台が並んで通れるくらいの幅があった。この道が使われていた頃はさぞかし立派な街道で、道行くひとたちはそれだけでオルギアの国力を知ることができたことだろう。

 そんな栄光の残骸の上を一行は黙々と進み続けた。モート種族は第一印象を覆すことなく非常に無口であり、歓談しそうな気配もない。セウ=ハルフとデミングが並んでいればいつもの軽い会話が聞けたのだろうが、その二人は先頭と最後尾にいる。当然普通の会話をするのは無理である。なんの会話もなく、延々と続く変化のない草原を進むのは勝手ながらかなり暇だった。ついでに幻影の、一本に結われた弱い鞭のような髪の先が頻繁にイウの顔に当たってくるのにも嫌気が差していた。イウが幻影の背中から少しでも離れようとすると、幻影は「ちゃんと掴まる」と言って許さなかった。

「なんか暇そうですね」

 そう声を掛けてきたのはイウと並んで進んでいる、エクアフ語の上手い男だった。声の軽さはセウ=ハルフに近かったが、表情はもちろん石のように硬い。イウと目が合うと男は小さな会釈をした。

「さっき名乗るのを忘れてたんですけど、僕は剽軽(ひょうきん)です。あだ名ですがね」
「ひょうきん?」

 あまりにもモートとは縁のなさそうなあだ名だったので、イウは危うく吹き出しそうになった。お世辞にも剽軽はひょうきんそうに見えない。声の印象でそんなあだ名が付けられたのだろうか。

「どうしてエクアフ語で意味のある単語で名前を名乗るの?」

 とイウは気になっていたことを聞いた。

「モート種族は音より意味を大切にするんです。それに僕たちの言語は発音が難しいから、他種族は僕たちの名前を発音するのも無理だと思います」
「確かにさっき少し聞いたけど、音として全然聞き取れなかった。それにしても剽軽はずいぶんとエクアフ語が上手いね」
「うん。そうなんですけど、モート語は不得意なんです。聞き取れるんだけど、発音が苦手で……というのも、モートって他種族に比べてすごく舌が長いんです。それで他の言語を喋ろうとすると舌が邪魔になって上手く発音できないわけなんですが――だから発音が下手でもリスニングはできているんですよ。で、僕は舌を短くする手術をしたんです。モート語を話すのに支障のない程度にって言ったのに、短く切られすぎて、おかげで他種族の言葉は上手いのにモート語が下手くそになってしまいました。まぁ、意思の疎通はできるから問題はないんですが、その事情を知らないひとと話すのは少し恥かしいですね」

 剽軽の話し方は極めて明るく面白さを含んでいる。無表情さえ直せば、確かに彼はひょうきんかもしれなかった。

「モート種族って笑わないの? 笑っちゃいけない規則があるとか?」
「そうですね。笑うのはあまり誉められたことじゃないです。感情を制御できていないってことですから、特に仕事中に笑うのはいけません。ばかにしているような印象を与えてしまいます。もちろんその感覚が世界標準でないのは理解していますよ。ただモートの変な美徳が長い間変わらないんですね。でも僕は休日に時々笑いますよ。子供の頃は笑いすぎてよく母に怒られたものです。三日に一度くらい笑っていましたから。だから僕のあだ名は剽軽なんですよ」

 剽軽の言葉にイウは少し安心した。モート種族もちゃんと笑うこともあり、母親に叱られることがあるのだ。あまり想像はできなかったが、案外普通の生活を送っているのかもしれないな、と思った。

「そっか。オルギア探査は仕事なんだね。じゃあぼくはモートが笑うところが見れないのか、残念」
「いつか僕たちの国に来れば見れますよ。モートの笑顔」

 と言って剽軽は軽く二度頷いた。その声は表情からは信じられないくらいに活き活きとしている。

「モートの国は国交を絶ってるって聞いたけど」
「うん、そうですけど、国交はね。友好の証さえあれば、個人だったら大丈夫です」
「友好の証?」

 モートはエクアフと同じように他種族を拒絶しているのだと思っていたが、エクアフの排他文化とは根本的に違うようだ。エクアフは個人も他種族も他国も拒絶するが、モートはそうではない。それどころか、こうして遠方を訪れ他種族や他国を知ろうとしているようにも思える。

 彼らの口から友好という言葉が出たのは少々意外だったが、なんとなくモートの価値観がわかってきたような気がした。

「高峰に言えばくれますよ。黒いカードなんですけど、後で頼んであげます。セウ=ハルフさんとデミングさんにも前にあげました。そのカードがあれば、モートの国に入ることができますよ。でも二度と外の世界には帰れませんけどね。だから来るひとはほとんどいません」

 おそらく剽軽は笑いたかったのだろう。剽軽は何度も頷いた。

「二度と外に出られないなら行きたくないな。よほど暮らしやすければいいけど」
「そうですよね、普通。でもきっと僕たちの住んでる仙窟区を見たら驚くと思います。世界最高の技術が結集したモート三国の最大都市なんです。それに仙窟区には――」
「剽軽。お喋り。ひょうきんはそこまで」

 ずっと無口を決め込んでいた幻影が静かな一言を放つと、剽軽はすぐに口を閉じた。そういえばモートはエクアフ語を発音するのが苦手なだけで、意味は理解できると言っていた。文法的にも未熟である幻影や他のモートがどこまで剽軽とイウの会話を聞き取れたかは知らないが、少なくとも高峰は全て理解できただろう。

「幻影は高峰より厳しいな。僕だって分別なく話しているわけじゃないのに」

 と剽軽は幻影にエクアフ語で言ったが、幻影の返しはモート語で、それ以降は剽軽もモート語を使ったので会話の意味はわからなくなった。ただ雰囲気からすると剽軽は幻影に怒られたらしく、剽軽はおとなしくなってしまった。



「正午になりました。休憩にしましょう」

 しばらくして、高峰が振り向いて言った。確かに太陽の高さは正午頃ではあったが、正午になったと断言したのが不思議だった。エクアフの国では毎日六度鳴る鐘で時間を知っていた。鐘が鳴らなければ正確な時間を知ることはできないのだ。

「よし、じゃあ休憩。昼飯にしよう」

 先頭を進んでいたセウ=ハルフは休息の知らせで開放的になったのか、一目散にイウのところへ駆けてきた。

「デミングが昼飯を持ってるから、後ろに行こう」

 セウ=ハルフの表情のある顔がなんだか懐かしく感じる。

「ご飯食べてくる」

 と幻影に言うと、幻影は頷き彼が馬から降りるのを手伝ってくれた。
 隔たりというわけではないが、エクアフとモートの距離そのものと言うべきか、昼食を取るにもみんなで仲良くとはいかないようだった。モートはモートで、エクアフはエクアフで固まり、しかも結構な距離をおいて食べた。
 
 イウもあまりモートと昼食を食べたくはなかった。なにせ相手は笑わないのだ。こちらが歓談している最中、ずっとあの石のような顔をされていてはたまったものではない。

 エクアフたちは適当な石に腰掛け、輪になってデミルマートが作ってくれた昼食を頂いた。中身はサンドウィッチで、豚の塩漬けとトマトが挟んであった。おいしいものが食べられるのは昼食までで、夕食からは自分たちで炊飯をしなければならなかったので、彼らは豚肉を大事に味わって食べていた。

「この草原、どこまで続くの?」

 果ての見えない草原の世界を見渡して、イウは言った。これでは本当に海と変わらない。目印になりそうな木すら生えていないのだ。この朽ちた街道がなければあっという間に方向感覚は狂ってしまうだろう。

「あと三日くらいだね。この廃王国街道に沿って行くと白い森に着くんだ。森の中でも街道は続いているんだけど、白い森という名前からも想像できるとおり霧が濃くて、辿るのも大変なんだよ。こんな目立つ赤いマントを着ていても見失うことがあるんだ」

 と、デミングはマントをひらひらさせて言った。

「そ、森に入ってからが面倒なんだ。何度行っても慣れないねぇ。昔からオルギア周辺ってあんな感じだったのかな。あんな霧の濃いところにわざわざ都市を作るなんて、なに考えてたんだろうな」
「気候の変化で現在は濃霧に覆われています。ですが思います。建国当初はオルギアの周辺に濃霧は発生していなかったと」

 セウ=ハルフの声の上に硬い声が重なってきた。まったく気配はしなかったのだが、セウ=ハルフの後ろには高峰がぬっと立っていた。悪気がないのはわかるのだが、高峰の出現で和やかな雰囲気は一気に陰鬱へと下降し、草原に吹く風が冷たくなった気がした。

「せっかくですから、話をしませんか。時間が少しですが」

 そう言いつつも高峰は立ったままで、こちらへ近付いてくることはない。これでも遠慮しているのかもしれない。

「珍しいな。高峰の方から来るなんて」

 セウ=ハルフは身体ごと後ろを向き、高峰に笑いかけたが、それはもちろん無駄なことだった。

「ある噂を聞きました。そのことについて知りたいのです」
「エメザレのことかな」
「そうです」
「だと思った。だからこいつを連れて行くことを許可したんだろう」

 と言ってセウ=ハルフはイウを目で指した。

「おおむね、そうです」

 高峰はそう答えてから、イウを見た。
 モートの瞳は冷たい輝きを放ち、見つめられるだけで背筋が無意識に伸びるような緊張が走る。そんな高峰の瞳とにわかに目が合って、イウは密かに唾を飲み込んだ。
「イウさん、お聞きしたいことがいくつかあります。答えることができますか?」
 だが瞳から受ける印象とは違い、高峰の声は優しいのだ。おそらく高峰は優しい人物で、幻影ほど堅物ではない。言い方次第では、高峰ならアシディアのことを教えてくれるような気がした。
 セウ=ハルフとデミングは高峰に圧倒されているのか、この状況を観察しているのか、割り込んでくる様子はない。

「ぼくも聞きたいことがあるんだ。だから、エメザレのことを話すかわりに、ぼくの質問に答えてほしい」
「いいでしょう。私には答えられることもあります。しかし、答えられないこともあります。機密事項は答えることができません」
「ぼくもそうだ。答えられることと答えられないことがある」

 生ぬるいことになってしまったが、イウも全てを正直に答えるわけにはいかない。この条件で承諾するしかなかった。

「では質問を開始しましょう」

 高峰と見詰め合ったまま、質問合戦が始まった。静かな風に高峰の長い髪がなびくのがやけに劇的に感じた。

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