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古の女王05



 彼がカルテニに到着して三日目のことだった。隣町のカオクールで例の襲撃事件が起こった。セウ=ハルフとデミングは隣町へ詳細を聞きにいったらしく、夜遅くまで帰らない、とデミルマートが朝食を運んできた時に教えてくれた。

「どうにも物騒ですね。早く解決するといいんですが……。これではモートの研究団の方たちも来るのが大変でしょうね」

 イウの部屋の小さなテーブルに、朝食を並べながらデミルマートは呟いた。
 元々他種族を嫌う白い髪の村でダルテスの襲撃事件が起きたのだ。おそらく関係ないと思われるモートの研究団を近隣の白い髪は警戒するだろう。変な輩が自衛と称して研究団を襲うようなことがなければいいが、あれば国際問題に発展しかねない。もっともそこまでの問題になってしまえば、むしろこのように小さな村には、関係のない出来事になってしまうだろうが。

「二日後にちゃんと来るのかな」
「来ると思いますよ。あの方たちが時間に遅れたことはありませんもの。見た目はまぁ、ちょっと不気味で無愛想ですけど、基本的には律儀な方たちだと思います」

 温和そうなデミルマートですらこの程度なのだ。そう世の中は温和な人物ばかりで構成されているわけではない。彼は会ったこともないモートの研究団を想像して心配になった。

「ただいま。デミルマートさん」

 一階の玄関の方からセウ=ハルフの声がした。ただいまと言うからには、もう帰ってきたのだろうが、まだ昼と呼ぶにも早い時間帯である。

「ちょっと行ってきます。お坊ちゃんは朝食を召し上がってください」

 デミルマートはそう言って、小走りで部屋を出て行ったが、彼も事件のことが気になっていたのですぐに後を追いかけた。

「あら、お早いお帰りですね。お一人ですか?」

 玄関にいたのはセウ=ハルフ一人だった。デミングのことは察しが付く。
 セウ=ハルフは珍しくよそ行きの格好で、それなりに上等な茶色の上着を羽織っている。靴もいつものではなく、よく磨かれた皮のハーフブーツを履いており、洒落た小さな帽子も頭に乗っけていたが、それはあまり似合っていなかった。

「あ、デミングは例のごとく置いてきました」
「あらまぁ」

 とデミルマートは一応言ってみせた。彼女なりの配慮なのだろう。

「ちょっと知らせておきたいことがあって」

 慌てている様子はなく、いつものように適当な理由をつけてデミングに仕事を押し付けてきたように見えたのだが、セウ=ハルフは二人を広間に誘導し、座るように言った。雰囲気に現れないだけで、大事な話をするつもりらしい。

「今回の被害者は死ななかったんです。怪我は負ったが、生死に関わるものじゃなかった」
「それは初めてのことですね。前にも一人だけ即死ではない子がいたけど、すぐに死んでしまったとお聞きしました。ひどい目にあって運が良いとは言いがたいですが、命が助かって本当に良かったですね。事件に進展はあったんですか?」

 デミルマートはなぜか少し緊張しているようで、胸の辺りで落ち着きなく両手の細長い指を絡ませている。

「それなんですが、どうもダルテスに深手を負わせたらしいんです。襲われた少年は下級貴族の息子で狩りをするためにカオクールにやって来ていました。で、その狩りの最中に少し夢中になって護衛とはぐれてしまい、一人になったところを襲われたんです。ダルテスは見たことないほどに立派で大きな黒い馬に乗り、月の形を模した矛(ほこ)のようなものを持っていて、動くたびに矛に付いている飾りがシャンシャンという音を立てていたそうです。彼は狩りをするために弓を持っていたから、それでダルテスに向かって矢を射った。矢は命中し、ついでに護衛もその音ですぐに気付いて駆けつけ、ダルテスに反撃を加えた。少なくとも三本の矢は命中していたと彼らは言っています」
「それで、ダルテスは捕まったの?」

 イウが聞くとセウ=ハルフは今度、イウの方を見た。

「いや、武器を構えている護衛部隊に突進してそのまま突っ切り、森のどこかへ消えてしまったそうだ。護衛の一人がその時、馬に頭を潰されて死んだんだと」
「まぁ。かわいそう……」

 眉を寄せてデミルマートが小さく呟いた。

「目撃証言によるとダルテスの髪の色は緑だったらしい」
「ダルテスって髪が緑色なの?」
 
 とイウは聞いた。実はダルテスの髪の色も知らなかったのだ。

「いや、普通は金色か茶色だが、おそらくラルグイムのダルテスだろう。ラルグイムには染髪の文化があるからな」
「じゃあ、実行犯がダルテスで、裏で糸を引いているのはラルグイムのシクアス種族ってところでしょうか? あの国は確か、お金持ちのシクアスがダルテスを傭兵として雇っているんですよね?」
「カオクールの警吏はそう考えているみたいですね」

 セウ=ハルフはため息をついた。そして上着の裏ポケットからスミジリアンの地図を取り出して広げだした。なかなか大きな地図であり広間の大きいテーブルいっぱいに地図は広がった。

「二十二件目にしてやっとヘマをしたって感じだな」

 と、今回の事件現場を指でコツコツと突いてセウ=ハルフが言った。

「二十二件も!」

地図にはご丁寧にも事件が起きた場所は印がされており、順に番号がふられ日付まで書かれている。その印の多さにイウは声を荒げた。

「そうだよ。一ヶ月で二十二件。ここ十日はこの近辺にばかり出没する。最初はヴルドンへ向かうクウェージア移民ばかりが襲われたから、移民の受け入れを反対している勢力の仕業だと思われていた。しかしヴルドンを三度襲撃してからは円を描くようにしながら西へ向かってきている。そして最西端のこの村も先日一度襲われた。ダルテスは今のところ、この西近辺から動く気はないらしいな」

セウ=ハルフは説明しながら事件順に地図の記しに指を差していった。地図の印を目で追っていると、彼はあることに気付いた。はっとした瞬間、それと同時くらいにセウ=ハルフが口を開いた。

「そういえばダルテスは少年にこう訊いたそうだ。『お前の名はイウか』と」
「そんな……!」

 彼は思わず震えた声を出した。
 イウにダルテスの知人はいない。長らく異文化を拒絶してきたクウェージアとダルテスにはもちろん縁などない。巨人のように大きく逞しく、戦争好きで横暴だと教わってきただけで、生まれて此の方見たこともない。狙われるような理由も思いつかない。第一、クウェージアの王子イウは死んだことになっているはずだ。死んでいないことが発覚したのだとしても、追ってくるのはクウェージアの新政府の軍人か、スミジリアンの警吏というのが筋だろう。

 しかし――彼は襲撃事件現場がマークされた地図に目をやった。そのダルテスはクウェージア移民の通ってきた道を辿って事件を起こしている。クウェージアとスミジリアンを結ぶ八号線街道を二度往復した後、クウェージア移民の目的地ヴルドンを三度襲撃。しばらく沈黙し、その先はほぼ正確に半径十キロの円を描いて旋回しながら、物凄い勢いで西に――つまり西端の村カルテニを目指すように向かってきていた。ダルテスが西へ進路を変えたのは、偶然にもイウが墓場で目覚めた日であった。そして今はカルテニの近隣にある町村にダルテスは潜伏しているのだ。

 どうにも嫌なものを感じる。気味が悪い。

 セウ=ハルフはなにか言いたげにイウの顔を見た。疑っているのは明らかだが、その表情からは見て取れない。いまだ親しみさえ浮かべたような、嫌味のない面構えなのだ。かえって恐ろしいものがある。

「でもイウってクウェージアの王子様の名前よね? クウェージアではイウって名前のひと、たくさんいるんじゃないでしょうか?」

 二人に割って入るようにしてデミルマートが口を挟んできた。
確かにイウという名は珍しくない。王族の子供には国民的な名を付けるのが習わしであったし、国民は王家への敬意と憧れの表しとして王族の名を付けたがるものである。よってイウは当然のように普遍的な名前であった。クウェージアの少し大きな道通りで、その名を呼ぼうものなら少なく見積もっても五人は振り向いただろう。

「そうだよ! だってぼくにはダルテスの知り合いなんて一人もいないし、狙われる覚えもない。それにクウェージアにイウなんて名前の奴はいくらでもいるもの。そうだよ、ぼくじゃないよ。きっと狙っているのは貿易商の息子あたりだ。クウェージアで他種族と交流があるのは貿易商しかいないもの。きっとそうだ」
「奴の言葉にはまだ続きがあるんだ」

 セウ=ハルフの表情は崩れない。まだ少年の無邪気さを捨て去れていない、悪意のない笑みを僅かに湛えている。それはなにか決定的なことを言わんとしているようにも思えた。イウはけしてそれに屈しまいと静かに唾を飲み込み、呼吸を整え、セウ=ハルフの次の言葉を待った。


「『お前の名前はイウか。アンディゴウノの』」


 一瞬、呼吸が止まった。鳥肌が湧き立ち、緊張のあまり全身が痺れに包まれている。
 アンディゴウノ。それはクウェージア王家の隠された家名である。なぜ隠されているのかいえば、それはもう四百年も前に捨てられたことになっている家名だったからだ。

 クウェージアは元々、黒い髪のエクアフであるノーマーリ王家が統治している国だった。そこへ隣国スミジリアンの王位継承戦争に敗北した時の第一王子デュードゥエがクウェージアへの亡命を希望し、ノーマーリ王家はそれを受け入れたのだった。そのデュードゥエがアンディゴウノ王家だった。そしてアンディゴウノ・デュードゥエ――正確には息子のベルドゥエはノーマーリ王家を乗っ取ってしまったのだ。形式上、ノーマーリ王家の養子に入ったことになっている。ゆえにクウェージアは先日の黒革命が起こる前まで形式的にはノーマーリ朝を引き継いできたことになる。しかし、黒い髪を嫌悪する白い髪の王族らは、黒い髪の家名を名乗ることを嫌い、アノディゴウノの家名を大切にした。
 よって代々、クウェージアの白い王子はアンディゴウノの家名を極秘裏に受け継いできたのだった。
 ちなみにご本家スミジリアンのアンディゴウノ朝は二百年前に滅びており、今はエルティエオという王家がスミジリアンを統治している。つまりダルテスの言った『アンディゴウノ』は明らかにクウェージアの王家を指していた。

 知っているはずがない。
 アンディゴウノの家名を知っているのは、主要の王族と側近の選ばれた数人しかいない。
 一体、誰だ。誰がぼくを狙っているんだ。

「そういえば、俺はお前の家名を聞いてなかった気がするな」

 セウ=ハルフは軽い口調で言った。
 ここで口をつぐんでしまっては、自分がアンディゴウノ・イウであると認めてしまったのも同然だ。なんとか毅然として振舞わねばならない。彼は息を吸った。

「それは秘密にしておきたいんだ。実はぼくはどうしてもオルギアに行きたくて、勝手に抜けてきてしまったんだ。セウ=ハルフは農民じゃないそうだし、こんなに立派な屋敷に住んでいる。まんいち警吏だったりでもしたら、ぼくは目的を達成する前にヴルドンへ返されてしまうかもしれない。だからぼくはできうる限り、個人情報を洩らしたくない。ぼくはオルギアに行きたいだけだ。本当にそれだけで面倒な事情を抱えているわけじゃないし、そのダルテスのことも知らない」

 彼が刺々しい口調で言うと、セウ=ハルフは驚いたような不思議そうな表情を浮かべ、何度か瞬きをし、少し考え、そして唐突に泣き出しそうな顔になった。

「なにを勘違いしているのか知らないが、俺は警吏じゃないぞ。俺はもっとお前に信頼されてると思ってたんだけど……。少なくとも、ヴルドンへは追い返したりしないさ。一応モートの研究団にお前も一緒に行けるよう頼んでやるつもりなわけだし……」
「ごめん……」

 気が抜けるほど本当にしょんぼりしてしまったセウ=ハルフを見て、彼はなんだかかわいそうなことをしたと思った。心持ちか、セウ=ハルフの頭に乗っている小さな帽子もしょぼくれているように感じる。

「いや、いいけど」

 と言いつつもセウ=ハルフは肩を落として小さくなってしまっている。その様子はただの子供のようだ。もしこれで嘘を付いていたのだとしたら、天性の詐欺師である。

「とにかく気をつけろよ。ダルテスはイウって名前の少年を標的にして、この近辺をうろうろしてるんだから。って、俺は言いたかっただけなのに……。せっかく無理して早く帰ってきたのに……」
「ごめん……本当にごめん」

 イウはセウ=ハルフの背中を撫でながら顔を覗き込んでなだめようとしたが、案外傷は深いようで、明後日の方向にぶつぶつと何かを言っている。

「セウ=ハルフさん。ワイン飲んでご飯食べて元気を出してください」

 いつの間にか姿を消していたデミルマートが昼食を持ってきた。

「あれ、昼食あるんですか?」
「きっとセウ=ハルフさんは昼頃に帰ってくると思って、昼食を作っておいたんですよ」

 その言葉を聞くと、セウ=ハルフはなんとも居た堪れない顔をして力なく笑った。デミルマートの勘は侮れない、ということらしかった。

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